書評『慰安婦像を世界中に建てる日本人たち』 日本を蝕む、”反日日本人と外務省”の闇

日本を蝕む、”反日日本人と外務省”の闇

書評『慰安婦像を世界中に建てる日本人たち』

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慰安婦像は反日日本人と外務省が生み出したと言わざるを得ないのではないか-。
本書は慰安婦問題」を取り扱うことで、「従軍慰安婦が事実か否か」という歴史認識だけではなく、もっと「深い闇」がその根底にあるということを浮かび上がらせることに成功しています。

 
■日本を貶める反日”日本人”
本書が明らかにしているのは「日本を貶めたいと考えている”日本人”がいる」という事実です。
おそらく大多数の人にとっては理解し難いことなのではないでしょうか。
日本人なのですから日本が好きなのはごく自然なことだからです。そこに小難しい理屈を並び立てる必要はありません。外国の人から「日本って素晴らしいね」と言われたら素直に嬉しいですし、不条理なことがあれば「なんとかならないのか」、「いまよりももっと良くすることはできないのか」と思うのも「日本が好きだから」ではないでしょうか。
 
ですが、残念ながらそのように考えることができない日本人がいることも事実のようです。
戦時中においても日本共産党野坂参三や、共産主義に染まったことで日本にいることができなくなった共産主義者ジョー・コイデら米国側あるいはソ連の国際共産主義組織「コミンテルン反日プロパガンダに加担していたこと『ブラック・プロパガンダ』(山本武利著)、『アメリカ共産党コミンテルン(ハーヴェイ・クレア、ジョン・アール・ヘインズ著)等によって明らかになっていますし、最近のものでは『革命のインテリジェンス』(佐々木太郎著)において、日本のマスコミ、公安関係者をはじめ今の民進党の幹部たちの多くがその出自としている旧・社会党ソ連の工作機関であるKGBの影響下にあり、党の政治方針すらコントロールされていたことが明らかとなっています。
  
本書でも「慰安婦=性奴隷」というプロパガンダを国連の場に持ち込んだのは、ほかでもない反日日本人”であるということが、多くの事実関係、講演会などで起きた悪質な妨害、嫌がらせ、国連の場の生々しい出来事の数々などによって示されています。
 
■「世界抗日連合」による「日本人民および日本政府への宣言」、およびその実践としての「慰安婦
本書で特に注目したのは反日日本人が組織する左翼系団体が「世界抗日戦争史実維護連合会(世界抗日連合)」と連携しながら活動している団体であるということです。
 
ここで登場してくる「世界抗日連合」という組織は一体どういう組織なのか。
それは評論家の江崎道朗先生著の『コミンテルンルーズヴェルトの時限爆弾』において詳しく語られているのですが、「1994年に結成された、日本の戦争責任を追及するアメリカ、カナダ、香港を中心とする世界中の三十もの中国系、韓国系、日系団体が結集・結成した統一組織」なのだそうです。

その世界抗日連合は「南京大虐殺57周年世界記念会議」において「対両岸政府宣言」「日本人民および日本政府への宣言」という2つの宣言を採択しており。「日本人民および日本政府への宣言」の中で次の”5つの要求”をしていることが江崎先生の手によって指摘されています。
 
- 1.中国人民への謝罪を公式に声明し、両岸政府に文書として提出する。
- 2.日本の歴史教科書の誤りを正し、歴史の真実を明らかにする。
- 3.中国および日本での”記念碑”を立て霊魂を慰め、その事実を”碑”に刻み、後世の人が過ちを繰り返さぬようにする。
- 4.あらゆる被害者に合理的賠償を実施する。
- 5.関連公文書資料を公開し、過去の日本の軍閥の罪行を明らかにする。

 
「中国および日本での”記念碑”を立て霊魂を慰め、その事実を”碑”に刻み、後世の人が過ちを繰り返さぬようにする」-。
 
世界抗日連合という国際的反日グループの一翼としての日系団体が主体的に実行しているのが「慰安婦問題」であるように見えるのは気のせいではないでしょう。
 
■かくも根深き外務省の闇~チャイナ・スクール瀋陽総領事館事件
また、本書を読めば誰でも疑問を持つのが、これら反日プロパガンダに対する外務省の姿勢ではないでしょうか。
 
なぜ、これほどまでに日本が貶められているのに外務省は反論しようとしないのか-。
 
なぜ、日本を守ろうとしている側を外務省はないがしろにするのか-。
 
著者の杉田水脈先生が「一体どこの国の外務省か」と憤りを感じるのも無理はありません。
  
ですが、そのような外務省の外交姿勢は「弱腰外交」「事なかれ主義」という単純なレベルのものではなく、もっと根深い「闇」を抱えているものであることも事実のようです。
 
新著『日本をダメにするリベラルの正体』絶好調のジャーナリスト山村明義先生の2014年の著書『GHQの日本洗脳』によれば、戦後GHQ占領下の外務省はGHQとの「連絡調整業務」以外は役割がなく、自主独立国としての「外交権」のほとんどを奪われた状態にあったそうです。
 
占領当初のGHQ「政治顧問団」の団長を務めていたのが初代外交局長(大使)となったジョージ・アチソンでしたが、アチソンは駐豪専門家として国務省を歩んできた「チャイナ・スクール」の外交官であり、中国寄りのアチソンは日本に対してとことん「強硬派」であり、当初は「外務省の廃止」すら迫って来ていたそうです。
 
このため、占領期のみならず戦後の日本は「補償外交一辺倒」となり、どの国でも当たり前の「自主外交」すら満足に出来ずにきたというのです。
特に注目すべきは作中で引用されている村田良平元外務事務次官の言葉で、

「日本は普遍的に受け入れられている民主主義や人権や自由についてさえ対外的には明確に語ってはならないとされていました。」

 

「民主主義の概念が組み込まれていない北朝鮮や中国の体制に対してさえ、基本的な自由とか人権について発言することを一切、控えてきました。」


のだというのです。
これだけにとどまりません。
山村明義先生の別著「外務省 対中国、北朝鮮外交の歪められた真相」では平成14年に発生した瀋陽総領事館事件※を主題に、いかに外務省内の「チャイナ・スクール」と呼ばれる面々が権力を握り、「中国への迎合と自己保身」だけを目的に存在しているのかということを明らかにしています。
(※瀋陽総領事館事件総領事館に駆け込みをはかった「脱北者」家族5人を中国側に引き渡してしまった事件。「ハンミちゃん一家駆け込み事件」としても知られ、ハンミちゃんの父親、キム氏が逃亡中に必死で投げた手紙を日本領事が受け取ろうともしなかったことや、当時の阿南惟茂・駐中国大使「大使館に入ってくれば、不審者とみなして追い出せ。人道的な面で問題になれば、わたしが責任を取る。入ってきて、面倒なことになるくらいなら、追い出した方がよい」と指示していたと報道され、人権軽視の事なかれ主義だと批判された事件)
 
同じ日本人として信じたくありませんが、外務省出身者の評論家・孫崎享拉致家族を北朝鮮へ送り返そうとした田中均のような人物が外務省の要職を歴任していたことや、2017年の現在においても駐中国大使を務めているのが過去に南京大虐殺を認める発言をしたと言われているチャイナ・スクールのエース、横井裕駐中国大使であることを思うと、本書で明らかにされている現在の外務省の姿勢も「さもありなん」という絶望にも似た気持ちになってしまいます。

反日プロパガンダに対抗するために
では現状の打開策として一体何ができるのでしょうか。
例えば江崎先生は、前述の『コミンテルンルーズヴェルトの時限爆弾』において
・アメリカを舞台にした反日宣伝には英語で反論すべき。
・内外の反日宣伝に対処する専門機関の創設
ASEANに代表される親日ネットワークおよびアメリカの保守派と連携して“攻めの外交”を行うこと。

と提案されていますし、
 
山村先生においては外務省内にも変革の動きがあり、若手の中には良心派が増えてきているということが指摘されています。この場合「外務省だから」と十把一絡げに批判するのではなく、伊勢志摩サミットを成功裏に導いた齋木昭隆事務次官のような優秀な外交官はもっと評価することも必要でしょう。
 
さらに、その名もズバリ憲政史家の倉山満先生の著書反日プロパガンダの近現代史においては、「キャッチコピーの重要性」も指摘されています。
「説明しても興味のない人には通じないし、わからない。キャッチコピー一言にまとめることが重要なのだ」と。
 
さらに本書『慰安婦像を世界中に建てる日本人たち』との関係で取り上げるとするならば『反日プロパガンダの近現代史』では産経新聞の小島優記者(当時)のことが取り上げられており、「たった一人の新聞記者が、いかにして外国人参政権を潰したか」ということが語られています。
 
奇しくも本書『慰安婦像を世界中に建てる日本人たち』は産経新聞出版社から出版されており、産経新聞慰安婦問題の真相究明に特に力を入れています。
 
これらの力を結集することができれば、現状を打破するキッカケがつかめるかもしれません。
杉田先生のご活動が成就し、一日も早く河野談話撤回」が成し遂げられることを願ってやみません。


お薦めです!

 

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書評『川中島合戦:戦場で分析する古戦史』 流星光底、<天>を逸す~川中島は辺境の縄張り争いに非ず!天下統一の準決勝だった永禄四年の死闘~

書評『川中島合戦:戦場で分析する古戦史』

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流星光底、<天>を逸す ~川中島は辺境の縄張り争いに非ず!天下統一の準決勝だった永禄四年の死闘~

江戸時代の儒学者、史家の頼 山陽は川中島の戦いを題材にして次のような句を詠んだと言われています。

鞭聲肅肅夜河を過る
曉に見る千兵の大牙を擁するを
遺恨十年一劍を磨き
流星光底長蛇を逸す


(意味)
馬にあてる鞭の音もひそやかに、上杉勢は夜陰に乗じてひそかに河を渡った。夜明け方、川霧の晴れ間から上杉の大軍が、大将旗を押し立てて、武田勢の前に陣取っているのが見える。謙信にとって返す返すも残念なことは、長い年月の鍛練で磨いた腕前もかいなく、流れ星のきらめく一瞬の差で、強敵信玄を逃がしてしまったことだ。
 
「流星光底長蛇を逸す」の「流星光底」とは振り下ろす刀剣の閃光を流星にたとえた言葉であり、「長蛇」は「大きく長い蛇」の意味から転じて、「大きな獲物」や「またとない機会」を表すのだそうです。
 
一般的には、「長蛇」とは”強敵・信玄”のことを指すと解説されることが多いようですが、果たして本当にそうだったのでしょうか?
 
謙信が取り逃してしまった大きな獲物、「長蛇」とは、”信玄”ではなく「天下」そのものだったのではないか-。
 
本書を読めばこう思わずにはいられません。
 
著者の海上知明先生は孫子経営塾理事も務められる「孫子」専門家であり、古今東西の戦略・地政学に精通した地政学的戦史分析の第一人者です。
そんな海上先生が命を削る思いで書き上げたのが本書であり、今までになかった視点、すなわち地政学的観点、戦略的観点から俯瞰して「川中島合戦」を捉え、「川中島」という場所の重要性を看破することで、「永禄四年川中島合戦」の結果が、その後の東国、ひいては天下の行方を決定づけたのだということが論じられています。
 
孫子の体現者、”バランス・オブ・パワー”の武田信玄
本書では武田信玄孫子の体現者」として描かれており、信玄の軍事戦略、権謀術数は全て「孫子」に忠実に従って実行されていたのだと指摘されています。(信玄の象徴として有名な軍旗風林火山孫子から引用したもの。)
 
孫子」を忠実に実践したと書くと、まるで「マニュアルバカ」のように聞こえるかもしれませんが決してそうではありません。何よりも孫子そのものが戦略の原理原則を書き記したものであって、読むだけなら誰でも読めますが、実践しようと思えば、これほど難しいものはないという書です。(それだけ普遍性が高いとも言えますが)
 
その孫子を体現するという域にまで高めるというのは並大抵のことではありません。海上先生も「最もよく孫子を体現したのは、魏の曹操と信玄ぐらいではないか。」と指摘するぐらいです。
 
このように信玄が当代きっての名将だったことは現在においても広く知れ渡っていますが、そのイメージが強すぎるためか、実は信玄が当主となった頃の甲斐という国は強大国に挟まれた新興勢力に過ぎなかったということは、意外と忘れられている事実なのではないでしょうか。

甲斐から見て西側にある東海地方には今川氏が、東側にある関東地方には北条氏が既に一大勢力を築いており、甲斐はその二大勢力に挟まれるという位置関係にありました。
 
このため二大勢力から脅威と思われないようにする必要性があったのでしょう。周辺諸国を過度に刺激するような、合戦という目立つ形の勢力拡大ではなく、謀略を巡らすことで自国の勢力拡大を図ります。
 
そして二大勢力の間で、一定程度の勢力を持つことで、今川氏の勢力が拡大すれば、北条側について今川氏をけん制する。北条氏側の勢力が拡大すれば、逆に今川氏につくという形でバランスをとる、東国の勢力均衡のバランサーの役目を演じることに当初は徹します。
 
かの有名なSF歴史小説銀河英雄伝説でいうところの商業惑星国家フェザーンのような立ち振る舞いといったところでしょうか。

信玄というと戦場の強さ以外にも謀(はかりごと)に長けていたイメージがあるのも、周囲を強敵で囲まれた中で発揮した処世術に起因しているのかもしれません。
 
私の中の信玄像としては、周囲には自らと同じ力量を持つライバルが存在するも、智勇に優れ、あらゆる面において高レベルであったという点で、銀河英雄伝説でいうところの”帝国の双璧”、オスカー・フォン・ロイエンタールを想起させます。(ついでに言うと父親と確執を持っていたというところもよく似ている気がします。)
 
孫子の超越者、”第一義”の上杉謙信
では、一方の謙信はというと、その軍事的才能信玄のそれの、さらにその上をいくものだったと海上先生は指摘します。
勿論、謙信も「孫子」を学んでいたはずなのですが、本書で描かれているあまりにも完璧な作戦行動「戦術は謙信、戦略は信玄」という通説を吹き飛ばさんとばかりに孫子の体現者」たる信玄を意のままに操るその様子は、むしろ孫子の超越者」と形容したくなるほどです。
 
また「義」を貴び、領土的野心が一切なかったというのも合理主義的思考からは程遠く、常人離れしていたと言えます。
一言で言えば、天衣無縫の孤高の天才というべきなのかもしれません。

謙信を銀河英雄伝説でたとえるならば”常勝”ラインハルト・フォン・ローエングラム”不敗”ヤン・ウェンリーを足して2で割った人物というのが最も適切な表現ではないでしょうか。

地政学から見た”川中島”~辺境の縄張り争いに非ず~
そんな当代きっての名将同士がなぜ川中島で激突したのか-。
諸説ありますが、互いに肥沃な土地である信濃の掌握を企図したからだとか、威信政策のひとつだとか、単なる辺境地域での縄張り争いに過ぎないという見解も多く見受けられるようです。
ですが、本書ではそれらの諸説を地政学的見地から否定し、「天下に覇を唱える」ための必然性の中に川中島という地があったということを明らかにしています。
 
川中島がなぜ天下の帰趨を決する要所と言えるのかについて、海上先生は地政学ハートランド論・リムランド論)から論じておられますが、日本地図で見る川中島は、まさに互いの国力がぶつかり合う海峡の如き”交通地域”であり、さらに川中島攻略のその先に「上洛へのルート」が開けてくるそのさまは、「リムランドを制するものはユーラシアを制し、ユーラシアを制するものは世界の運命を制する」というテーゼがそっくりそのまま活きてくる、まさに”リムランド”そのものであるかのようです。
そういう意味において、川中島合戦」は天下に覇を唱えるための”準決勝戦”だったというのが最も適切な表現なのかもしれません。

 
■「永禄四年川中島合戦」 ~決戦を強要する謙信、引きずり込まれる信玄~
そんな歴史の必然の中にあった”川中島での戦い”でもハイライトと言えるのが「永禄四年の第四次川中島合戦」であり、幾度となく行われた戦いの中でも最も激しい激戦であり、その後の両雄の運命を決したと言っても過言ではない一戦であるように思います。

海上先生も「永禄四年川中島合戦」をして「世界の戦史史上、類を見ないほどの高度で精緻なレベルの知略戦であった」と評していますが、中でも特筆すべきは、謙信の”芸術的”とも言える戦略・戦術ではないでしょうか。
 
この時の謙信の戦争目的は「武田軍を殲滅する(!)」です。
そしてこのとんでもない目標を謙信は「戦術は謙信、戦略は信玄」という通説が妄言に思えるほどの完璧さでもって信玄を追い込んでいくことで実行していきます。
 
そもそも信玄だって「孫子の体現者」の名を戴く名将であり、並みの武将ではありません。途中で謙信の意図に気付き、何とかその術中から抜け出そうと知略を尽しますが、それすら謙信は見通していたかのようなその様は、「銀河英雄伝説」において、戦場における卓絶した心理学者であり、魔術と評される自在の戦術を弄したヤン・ウェンリーを想起させるかのようです。
 
そして追い詰められた信玄も意を決して”決戦”に打って出たのが世に言う武田別働隊による「啄木鳥(きつつき)戦法」です。
この「啄木鳥戦法」についても海上先生は当時の戦場の様子や軍の配置、そこに至るまでの経緯から、通説とは異なる見解を述べられていますが、私としても海上先生の見解の方がより説得力があるように思います。
 
■謙信、唯一の誤算~武田軍、精強なり~
「永禄四年川中島合戦」の戦果を冷静に評価した場合、「謙信の圧勝」となるのではないでしょうか。「9:1で謙信の勝ち」であったように思います。
ただ、謙信の唯一の誤算が「10:0」ではなく、「9:1」と「1」を残してしまったことにあると言えるのではないでしょうか。
 
それはとくもかくにも武田軍の精強さに尽きるように思います。家康・信長程度であればひとたまりもなかったであろう、謙信の猛攻を耐え抜き、甚大な被害を被りながらも「1」を勝ち取ったのですから。
 
元々プロパガンダにも優れていた信玄はこの「1」を喧伝することで「2」にも「3」にも増やし、結果として今のパブリックイメージ「戦術は謙信、戦略は信玄」という所まで持ってきているのですから、やはり信玄も只者ではありません。
 
何より痛恨だったのは「1」を残してしまったこと、すなわち武田軍が存続することになったことで、東国のバランス・オブ・パワーが固定化されてしまったことです。これにより「川中島を経由しての上洛」というシナリオの実現可能性もゼロに等しくなってしまいました。
ここに至ってようやく信玄も、謙信もそれぞれ別の上洛ルートを模索し新たな戦略を構築し始めることになります。
 
川中島」に費やした12年もの歳月、そしてその結果閉ざされてしまった「川中島上洛ルート」は、結果として信玄、謙信双方に天下獲りへの大きな迂回を強いる結果となりました。

■流星光底長蛇を逸す
冒頭でも述べた通り、「長蛇」は「大きく長い蛇」の意味から転じて、「大きな獲物」や「またとない機会」だとされているそうです。
その一方で、中国には「蛇は1,000年生きると龍になる」という伝承もあり、「龍」と言えばまさに天高く舞い上がる”栄達”の象徴であり、「長蛇」とは途方もない大きさの”栄達”、すなわち「天下統一」と捉えることもできるのではないでしょうか。
 
もし「川中島合戦」がなかったら、もし謙信、信玄どちらかが相手を殲滅していたならば、”長蛇”は誰の手中に納められていたのでしょうか。
 
地政学、戦略の中にも歴史の「if」を感じさせる素晴らしい一冊でした。
おススメです!

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書評『環境問題の戦略的解決』特報! ついに「環境問題」に対する新しい武器、『限界突破』が登場しました。

書評『環境問題の戦略的解決』特報! ついに「環境問題」に対する新しい武器、『限界突破』が登場

 

チャンネルくららでおなじみの海上知明先生の著書『環境問題の戦略的解決』を書いてみました。
まさに目から鱗の環境問題の解決方法です!
環境問題、昨今の空き家問題に関心がある方はぜひ一読されることをお勧めします。
 
書評『環境問題の戦略的解決―環境戦略試論』
http://bit.ly/2mpozsu 

 

■特報! ついに「環境問題」に対する新しい武器、『限界突破』が登場しました。
ついに「環境問題」に対する新しい武器、孫子の考え応用した、その名も「限界突破の環境戦略」(以下「限界突破」)が登場しました。
 
これにより環境問題の主要命題「エネルギー問題」「食料問題」の大部分は解決可能となるようです。
 
簡単に言えば、「できないものはできない論」「あるべき論」の平行線の議論を突破し、「環境問題」に対して効果的なアプローチができていない従来の”環境政策を新たなステージ、すなわち”環境戦略”引き上げようというものです。
 
しかし『限界突破』するにはいくつかの条件をクリアする必要があります。
それでは、ここに詳しく『限界突破』についてまとめておきたいと思います。
 
■『限界突破』について
環境問題に対する新たな武器、『限界突破』が登場!
環境政策が”戦略的”になる!

 
東洋思想にもとづいた「孫子」の戦略理論を用いることで、既存の「エネルギー問題」、「食料問題」の限界を突破 !!

「できないものはできない」論と「あるべき論」の平行線を打破!

もう環境問題を左翼のイデオロギーの牙城とさせない!

真の「循環型社会の実現」が可能に!
 
■『限界突破』に関する概要
(その1
個別対応、対処療法の域から抜け出せず、「環境問題」に対して効果的なアプローチができていない「従来型の環境政策」に劇的な改善をもたらします。
 
(その2
環境政策を「テクノセントリズム(技術中心主義)」から「エコセントリズムエコロジー中心主義)」に転換することができます。

(その3
未来予測の変化(=不確実性)にも柔軟に対応することができます。

(その4
孫子の「戦わずして勝つ」を実戦レベルに落とし込むことで、不毛なゼロ・サム」論を突破し、「すべてが勝利者」になることを目指します。

(その5
VA思考を活用することができます。
※VA思考…VAは価値分析のこと。物事の本質は何かを問い、そこから逆算して考え直す思考法。
 
■『限界突破』を成功させるには
大前提として『限界突破』を成功させるためには以下の「2つの条件」をクリアすることが不可欠です。

- 1.環境問題を”政治的イデオロギー実現”のための手段としない。またそのような考えの持ち主・団体と付き合わない。
- 2.「日本に地下資源はない。だから輸入に頼らなければならない」「日本は農地が少ない。だから食料の自給は無理」という既成概念を捨てる。

これら発想の転換がないと『限界突破』することは出来ません。

★環境戦略を用い、「大きく考えて、小さく実現する」ことが大前提で、小さければ小さいほど環境負荷を抑えることができます。

★エネルギー問題の『限界突破』のその先は安全保障(シーレーン防衛)も密接に関連してくるようです。

■『限界突破』の使用例 ~「空き家問題」と「農業問題」を限界突破する~
①農業問題をVA思考で考える
・日本は土地が狭い。だから農地も狭い。
 ↓
(VA思考発動)
・農作物を作るのに「土地」は必須か。
 ↓
トマトやイチゴなどの栽培に適した「ハイポニカ(水栽培)」の可能性に着目
ハイポニカ農法は「成長が早い」「収穫量が多い」「栄養価が高い」「農薬を使わない」「多額のコストを必要としない」「比較的栽培が楽」という特徴があります。

②空き家・空きマンション問題をVA思考で考える。
・これからは人口が減少する。だから空き家・空きマンションが急増する。「空き家」化した家屋は取り壊しや建て替えが困難(=家屋のゾンビ化
 ↓
(VA思考発動)
・ゾンビ化した空き家・マンションは「居住」にしか利用できないのか。
 ↓
「居住」以外の利用可能性に着目

③「農業問題」×「家屋のゾンビ化」=「ハイポニカでゾンビを蘇らせる」
<空き家・空きマンションでハイポニカを行うメリット>
- スペースいらず。マンションの一室からでもスタートできる
- 廃屋になるだけかもしれないビルに新しい役割を与えることができる。
- 都心であれば大都市を地産地消で賄う体制が整う。「消費する都市」から「生産する都市」へと限界突破が図れる。
負債化(ゾンビ化)した家屋がキャッシュを生む「資産」へと蘇る。
- 収穫のために人が必要となるため「新規雇用」が創出される。また地域の防犯対策への一助ともなる。

これはほんの一例であり、本書には他にも様々なバリエーションが掲載されています。
その組み合わせ方はまさに無限大であり、工夫次第であなたオリジナルの「環境戦略」が思いつくかも?!

お薦めです!

      #本が好き #読書 #海上知明 #環境問題 #農業問題 #空き家問題 #空き家ゾンビ

 

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書評『革命のインテリジェンス』 旧・日本社会党(現・民進党)はソ連の出先機関?! #民進党 

ある評論家の方が海外視察で一週間近く日本を空けていたら、豊洲豊中問題ばかり取り上げられていて驚愕し、あまりのひどさに「日本を取り巻く国際情勢を無視するためにわざとそうしているのではないか」とさえ思えたのだそう。

 

この意見にはまったく同感です。

それは野党・民進党にも同じことが言え、この緊迫した情勢の最中、政権の揚げ足取りしか考えていない野党・民進党「やはりコミンテルン出先機関なのか?!」との印象を抱いてしまうのは、やむを得ないところではないでしょうか。

 

書評『革命のインテリジェンス』

旧・日本社会党(現・民進党)は”ソ連出先機関”だった?!。

ソ連による対米、対日、対欧浸透工作の実態を暴く一冊

 

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本書は “影響力”のある個人を使って標的国の世論や政策を秘密裡に誘導する政治工作、すなわち「影響力」工作を、ソ連戦間期から1940年代半ばにかけて世界各地で展開していた“事実”を明らかにするというもので、ソ連の影響力工作、間接侵略工作の実態、代表的なところでは、「米国政府中枢にいかに入り込んでいたのか」や「日本の政治の中枢にいかに入り込んでいたか」という実態が描かれている。

 
■アメリカにも共産党が存在した?!
実は”資本主義”、”自由の国”の象徴ともいえるアメリカにも「アメリカ共産党」という共産主義政党が存在しているということはあまり知られていないのではないだろうか。
私もアメリカ共産党の存在は「ヴェノナ」(ジョン・アール・ヘインズ著、中西輝政編訳。絶版)や「コミンテルンルーズヴェルトの時限爆弾」(江崎道朗著)を読むまで全く知らなかった。
たしかに今では”非合法化”され実態としては無いに等しいようだが、戦前~冷戦初期の頃、アメリカにおいて”赤狩り=レッドバージ”が行われるまでは一定以上の勢力を誇っていたようだ。
 
本書「革命のインテリジェンス」では世界最大の資本主義国であるアメリカに対して、そのアメリカ共産党を通じて、あるいはそれ以外のルートを通じてソ連の情報機関による「影響力」工作がいつ頃から着手されるようになったのか、その起源について明らかにしている。
 
ある人物はソ連の支援によって政治家を目指し、
ある人物はアメリカ共産党員であることを伏せてジャーナリストとして言論活動を行い、アメリカ国内の有名政治新聞で副編集長まで上り詰める。
ある人物はアメリカ政府高官でありながら、アメリカの国策にかかわる機密情報を非合法に提供し、ソ連に有利になるように誘導する。
ある人物は原爆の開発メンバーでありながら、その開発資料をソ連に提供し、ソ連の核開発、開発に要するコスト、開発期間を劇的に改善させる。

ソ連あるいは共産主義の浸透工作の凄まじさが改めて浮き彫りになっている。
 
■日本における影響力工作
アメリカに対するそれと同じように、日本に対する影響力工作もすさまじい。
本書によると与野党、マスコミ、公安関係者とありとあらゆるところに、その「影響力工作」は及んでおり、具体的な事例として本書では以下の事例が取り上げられている。
 
自民党の代議士
・“周恩来の遺書“という偽文書をコラムにのせた大手新聞社の編集局次長 山本卓二※朝日新聞ではない。
日本社会党の幹部たち
・公安関係者
 
1975年~79年まで東京のKGB駐在部に勤務して対日工作にあたり、その後アメリカに亡命したスタニスラフ・レフチェンコによる米国連邦議会下院情報特別会聴聞会における、日本における自身の活動についての証言、“レフチェンコ証言”によると
KGBは1970年代において、日本社会党の政治方針を効果的にコントロールできていた。同党の幹部のうち10人以上を影響力行使者としてリクルートしていた」
とされている。
 
日本における共産主義の政党といえば、まずは「日本共産党」の名が挙がるだろうが、日本共産党は「中国の出先機関」であり、ソ連の日本における出先機関は「日本社会党」であった--。
それどころか、与党幹部にも、マスコミにも、公安当局にすら“エージェント”が入り込んでいた事実を本書は、元KGB諜報官であるレフチェンコ氏の証言やビットマン氏らの証言、それを裏付ける根拠資料と共に見事に暴き出している。
もちろん、個々の事例に関しては専門家の間では既に既成の事実であったのかもしれないが、それでも本書のような形でまとまった形でソ連の浸透工作をしると改めて浸透工作の凄まじさに、そして、その「日本社会党」の生き残りが、現「民進党」の幹部らであり、いまだ日本の政治の中枢に深く関与していることを思うと戦慄を覚える。 

憲政史家の倉山満先生曰く「戦後の日本はアクター(当事者)ではなくシアター(舞台)に成り果ててしまった」そうだが、まさにアメリカ、ソ連共産党中国共産党が入り混じっての“代理戦争”が日本の政治を舞台に繰り広げられていたのかと思うと、「戦後の日本は平和だった」という認識すら崩れてしまうのではないか。
 
これがまだ“序の口”だということが本書の内容の濃密さを物語っている。
日本の政治史、国際政治に興味がある人にとっては必読の一冊。

 

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おフランスは狂気の国?! 書評『嘘だらけの日仏近現代史』

書評『嘘だらけの日仏近現代史

(Scorpionsさんの書評)【本が好き!】http://bit.ly/2lta0FM 

おフランスは狂気の国?!

累計35万部を誇る倉山満先生の代表作「嘘だらけ」シリーズ第6弾。シリーズ6冊目ながら、今までと違う視点を得ることができ、シリーズ愛読者も、初心者も興味深く読むことができるのではないでしょうか。
今回取り上げる国はおフランスです。
フランスと言えば、オシャレ・貴族・フランスパン・イヤミ(お〇松くん)といったところでしょうか。(「ベルばら」はよく知らないので)

そんな「気品」に溢れ、「お上品」で、「教養」があるように思えるフランスは、「人権宣言」とも相まって「自由、平等、博愛」の国のようにも思えます。

ですが、本書を読めば世の中そんなに甘くないのだということを思い知らされます。

■絶対に真似したくない、「フランス革命

あらかじめ申し上げておくと、本書はフランスの悪口を言っているだけの本でありません。
最初に主権国家を成立させたとしてリシュリューやその後継者マザランのことやナポレオン戦争後の名外交官タレイランのことは非常に好意的に評価していますし、第二次世界大戦後に至っては、ド・ゴールのもと敗戦国から再び大国へのし上がったその根性を見習うべきだとすら述べています。

ですが、フランスの歴史の中に学ぶべきことは多くあれど、絶対に真似したくない出来事といえばフランス革命をおいてほかにはないのではないでしょうか。

■人権宣言に塗り込まれた「理性」という名の猛毒

フランス革命のもと発せられた「人権宣言」には第一条から「人権」「圧政への抵抗権」「国民主権」と続き、「法の適正手続き」「罪刑法定主義」「推定無罪の原則」「信教の自由」「表現の自由」「財産権」などが記されています。
「ここに書かれていることが全部問題なのではない、どさくさに紛れて怖いことを書くからマズイのだ」と倉山先生は指摘します。

怖いこととは一体何なのか。
それは「理性」なのだそうです。

これら17の権利を前文で「最高存在の前に宣言する」としているからマズいのだと。
ここでいう「最高存在」こそが、当時のルソーが提唱していた理論に連なる「理性」なのだというのです。

当時の革命家たちは伝統的に信仰してきたキリスト教に基づく道徳性を無視し、「理性」のみに従うとすることで、これまでのフランスを全否定し、まったく新しい歴史を作ろうとしていたのだと。

■理性しかない人間は人間的であると言えるのか

「最高存在を理性としたのが問題だったのだ」と言われてもピンとこないかもしれません。
なんせ世間一般には”感情的な人間”であるよりも”理性的な人間”と言われる方が、誉め言葉のように聞こえるのですから。

ですが、万が一、「理性しかない」人間がいたとしたら、どうでしょうか。
その人物は完璧な人間なのでしょうか?
そもそも「人間的である」とすら言えるのでしょうか-。


『社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学』(ジョナサン・ハイト著)によると、サイコパスは”理性的に思考するが感じない”のだそうです。
サイコパスは何の情動も持たないと言うわけではなく、自己欲求には情動を示すそうです。
ですが、他人を気づかっていることを示す情動は見せません。

「まるで彼らには物体しか存在せず、そられのいくつかがたまたま二本足で歩き回っている世界で生きているかのようにしか認識できない」


サイコパスの情動あるいは直観は、もっとも邪悪な不正義に対してすら、まったく動こうとしないのに対し、思考(理由を考えること)はまったく正常で、戦略的な思考に著しく長けているのだ」

のだそうです。

本書『嘘だらけの日仏近現代史』においてもチェスタトン

狂人とは理性をなくした人間のことではない、理性しかない人間のことだ

と看破したと言います。
フランス革命を主導し、その後独裁政治を敷いたロべスピエールがその「狂人」の最たるものと言えますが、フランスという国全体が「理性」という名の毒に侵されていたと言わねばならないのではないでしょうか。

■理性だけでもダメだが、感情的だけというのも・・・

フランスは「理性」という名の猛毒に侵され、道を誤りました。
では、日本はどうなのでしょうか。
本書を含む「嘘だらけ」シリーズで明らかになっているのは、諸外国云々以前に、日露戦争を勝利した後の日本は”平和ボケ”してしまい、理性的に思考することを忘れ、感情に支配され、場当たり的な対応に終始し、道を誤ったということです。

前述のジョナサン・ハイトの書では、「情緒はあれど思考しないのは”乳児”である」と指摘されています。
口にするのもはばかれますが、「当時の日本(少なくとも首脳部)は乳児のように稚拙だった」と言われて反論できる人はいるのでしょうか。
また、地政学国際法の通義を忘れてしまった戦後の日本もまた経済規模の大きくなった「図体が大きくなっただけではないか」と言われて反論できる人はどれほどいるのでしょうか。

「図体が大きいだけの乳児」から「自立した大人」になるためにこそ、フランスという「狂人」から「真人間」に戻った国の歴史、文化、伝統を学ぶ必要があるのかもしれません。

決して某Z省のように「消費税は懐に手を突っ込まれるのが嫌いなフランス人から税を取るための、よくできた税制だ」などという理由から学ぶためではないことだけは言えます。

フランスという「理性という名の狂気を経験した国」をメインに据えることで、逆に日本がいかに「感情に支配されていたのか」が際立ったという意味において、シリーズ6冊目ながら、また今までと違う視点を得ることができ、シリーズ愛読者も初心者も興味深く読むことができる一冊となりました。

おススメです!

 

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