『生きる意味って何だろう』 チャンネルくらら 特別番組『約束の大地 想いも言葉も持っている』#チャンネルくらら

『生きる意味って何だろう』

 

特別番組『約束の大地 想いも言葉も持っている』ゲスト:東京大学名誉教授 矢作直樹 倉山満【チャンネルくらら・4月9日配信】

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 @YouTubeさんから

 

生後1か月で病を患い、最重度の脳障がい児になってしまったみそろぎ梨穂さん。

そんなみそろぎさんが書いた詩集『約束の大地 想いも言葉も持っている

http://amzn.to/2nYdoWd

 

『生きる意味って何だろう』
非常に重たいテーマです。
五体満足に生まれてくる人もいれば、みそろぎ梨穂さんのように生後1か月で大病を患い、最重度の脳障がい児になってしまう人もいる。
 
他にも交通事故に遭ってしまう人や事件に巻き込まれる人
 
天災に巻き込まれる人、病に倒れてしまう人
 
拉致されてしまう人
  
もし自分が同じ立場になったならと思うこともありますが、どれほどの苦痛が横たわっているのか想像もつきません。
 
自分にできることがあるとすれば、他人の痛みを少しでも分かろうと努力することぐらいでしょうか。
 
それすら本当にできるかどうか自信はありませんが、それでも他者に対する最大限のリスペクトだけは持ち続けたいと思います。

 

それができない人間にはなりたくないですね。

トランプ政権の意思決定プロセスと戦時内閣と日本 #シリア空爆 #北朝鮮問題 

トランプ政権がシリアのアサド政権を空爆しました。

アサド政権が使用したとみられる化学兵器に対する人道的見地からの制裁の意味が強いと報じられています。

 

これに対してアサド政権を支援する側に立っているロシアは非難声明を出していますが、実際のところはどのように分析しているのでしょうか。

ロシア発の情報サイトとして継続してウォッチしているロシアNOWは次のように分析しています。

今回の空軍基地への攻撃は、トランプ大統領が感情に流されて行ったものだと述べる専門家もいるが、まさかそんなことはあるまい。攻撃の日時があまりにも巧妙に選ばれているし、ロシアと直接の衝突が生じる可能性も最小化されているからだ。例えば、ロシア軍は攻撃についての予告を受けており、それによって同盟国シリアの軍隊も、予め軍事施設の避難を始めていたので、実質的な損害は避けられた

  

ロシアNOWの分析を信用するのであれば、今回のシリア空爆は計算され尽くしたうえで実行されたものと相手側にも受け止められているようです。

 

正直なところを言えば、今回のシリア空爆の持つ意味や今月中にも起きるのではないかと懸念されている朝鮮半島有事について、どのような心構えでいればいいのか、日本として何を、どこまですることができるのか、すべきなのか、わかりません。

ですが、事実として一つ言えることがあるとすれば、トランプ政権は「戦時内閣」の様相を呈してきているのではないかということは言えるのではないでしょうか。

 

ベトナム戦争の反省

なぜそのように感じたのか。

それは時期を同じくして読んでいた奥山真司さん訳のクラウゼヴィッツの「正しい読み方」』 

http://bit.ly/2pd8NiW

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ベトナム戦争に関する論考が掲載されていたからです。
 
それはハリー・サマーズ氏によるベトナム戦争に対する論考で、ハマーズ氏によれば、ベトナム戦争の失敗の原因の一端に指揮系統が統一されていなかったこと、すなわち
ベトナム戦争中の歴代政権たちは自らを戦時内閣とはせずに、平時の意思決定プロセスをそのまま維持していたことが挙げられる」との指摘があったのです。
 
上述したように、今回のトランプ政権によるシリア空爆が果たして効果があったのか、なかったのか、それとも逆効果だったのか、さらに言えば北朝鮮や中国・ロシアに対してどのような影響を及ぼすのか私には見当もつきません。
 

もしトランプ大統領に「共に立ち向かおう」と手を差し伸べられたなら-
それでもその意思決定のスピードという意味においては「戦時内閣並みであった」と言えるのではないでしょうか。
 
トランプ氏が大統領になる前に出版された江崎道朗先生の著書『マスコミが報じないトランプ台頭の秘密』  の書評を書いたときに、次のようなことを書いてみました。

http://bit.ly/2eevoM7

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もしトランプ大統領に「共に立ち向かおう」と手を差し伸べられたなら-

 “差し出されたその手を力強く握り返すことのできる手”を日本は持っているのでしょうか?
  
もしトランプ大統領に「共に立ち向かおう」と手を差し伸べられたなら―
 「おカネ(予算)がありません」と拒否するのでしょうか?
 
もしトランプ大統領に「共に立ち向かおう」と手を差し伸べられたなら―
それとも、「F・ルーズヴェルト政権下のニューディーラー達(=GHQ)が制定した“日本国憲法”で制約されているので共闘できません」と拒否するのでしょうか?
 

 

いつも楽しみに視聴しているチャンネルくららの緊急特番番組では、細川内閣を例に出し、「シリア空爆は自分の問題」との言葉で締めくくられていました。

 

楽しく学ぼう!シリア現代史特別編:「シリア空爆を語る!」【チャンネルくらら・4月7日配信】

youtu.be

 

「もしトランプ大統領に「共に立ち向かおう」と手を差し伸べられたなら-」

 

この問いに対して日本はどのように答えるのでしょうか。

「平時の意思決定プロセスの積み重ね」という選択で対応しようとでもいうのでしょうか。

今まさにこれらの問いに日本はどのように答えるべきか、決断を迫られているのではないでしょうか。

 

確かに防衛費、防衛力の増強必須です。

しかしそれを増税で達成しよう」などという、財務官僚の手の平で踊っているような愚策で行う事だけは間違っていると言えます。

 

PS:

サマーズ氏の説く戦時の内閣をイメージするにあたってはベン・ホロウィッツ著『HARD THINGS』で描かれている「戦時のCEO」が参考になりました。

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書評『駆けぬけて、テッサ!』 主人公の“危ういほどの一途さ”。 「BLIND」に込められた意味を考えさせられる。 

 主人公の“危ういほどの一途さ”。 「BLIND」に込められた意味を考えさせられる。

 

 『駆けぬけて、テッサ!』山内智恵子訳 感想 

bit.ly

 

普段は、読む本と言えば大抵は政治学社会学、ビジネス書、経営、戦略、歴史、自己啓発本等々のいわゆる実用書ばかりで、小説のたぐいのようなものはまるっきり読んだことは無いのですが、偶然、「本が好き!」で、本書のレビューを目にし、(http://bit.ly/2cBoTNn)、また本書の翻訳者である山内智恵子さんが翻訳された児童絵本「ふしぎなトイレくん」http://amzn.to/2oFlhUl

を以前に読んだこともあったことから、不思議な縁を感じ、思い切って読んでみました。
 
■主人公の“危ういほどの一途さ”
本書で一番、強烈な印象を与えるのは何を隠そう主人公の“テッサ”ではないでしょうか。
その“一途な性格”は時に“狂気じみている”印象すら与えます。
その一途さが“負の要素”から発せられた場合は“狂気”、“正の要素”から発せられた場合には“目もくらむような美しさ”を発するような、何とも形容しがたい”危うさ”を内包しているように思えてなりません。
 
それがそのまま、素行不良というレッテルを張られ、悪い方に向かっていたら主人公はただの”危ない不良少女”になっていたのかもしれませんが、主人公が持ち合わせている“眩いばかりの光”という“資質”に気付いた周囲の大人たち、或いは仲間によって、主人公は人間的に大きく成長していきます。(むしろ主人公の資質に気付くのが最も“遅い(あるいは気づかないまま)なのが両親)
 
■「BLIND」に込められた意味
原題「BLIND BEAUTY」は素直に訳すと「盲目の美」という意味になるそうですが、「BLIND」という単語には「盲人、見る目がない、気が付かない、盲目的、行き当たりばったり」という意味もあるそうです。
 
本書では「目の不自由な存在」として、主人公が最も大切にしている「親子二代の愛馬」が登場しますが、子供の資質に対して最も“目の不自由な存在”、“無理解”な存在として、両親は描かれているように思います。
「本書で描いた親は子供に対して無理解な存在でしたが、この本を読んでいるあなた自身はどうですか?」と作者から問われているような気になってしまいました。
そういう意味においては「親のための児童書」ということもできるのではないでしょうか。
  
本作のストーリーに感動しつつも、色々と考えさせられることが多かったです。
改めて良い本に出会えてよかったと思いました。

 

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チャンネル錯乱、恥も外聞もなく紙上でカンパ募る #月刊正論 #南京の真実 #チャンネル錯乱

正論2017年5月号

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映画「南京の真実」第3部 完成の意義

 

確か先月か先々月号で連載が終了したはずのチャンネル錯乱の水島氏が登場。

映画「南京の真実」第3部 完成の意義というタイトルですが、特に目新しいことはなし。

8ページ近くにわたって、氏の独善的冗長で散漫なだけの持論が続いたあと、最後の締めくくりとして次のような言葉が。

 

映画『南京の真実』は、これから国会議員を対象にした試写会に加えて、全国各地で上映会運動を展開していく。

どうか、この日本復活の運動の一翼を担っていただきたい。

映画ソフトの貸出料上演料は一件につき一万円会場費等はカンパ等で対応をお願いしたい。

 

“上映会運動”って何なんでしょう?

全国の公民館を恫喝して回り、無理矢理上映会を開催させる運動のことを指しているのでしょうか?

しか映画の製作費用も全て寄付金で賄っておいて、上演料も徴収、会場費用は負担しないって、チャンネル桜は持ち出しゼロなんですね。

 

支持者の善意にタカって、金を巻き上げるタカり商法、ここに極まれりという感じです。

 

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環境克服思想を突破せよ! 『サピエンス全史』との対比でみる「対立」から「共生」への戦略的思想転換

書評『新・環境思想論―二十一世紀型エコロジーのすすめ』 海上知明

 

 

環境克服思想を突破せよ! 『サピエンス全史』との対比でみる「対立」から「共生」への戦略的思想転換

■作品紹介

著者は「孫子」研究の専門家にして地政学的戦史分析家、さらに環境問題の専門家でもある海上知明先生。
海上先生の著書で読んだことがあるのは、
川中島合戦:戦略で分析する古戦史』孫子の盲点~信玄はなぜ敗れたか?~』『環境問題の戦略的解決』
 
いずれも通説に囚われない独自の視点から鋭く物事を捉えており、淡々と史実・事実を積み重ねているように見えて、その積み重ねた事実すべてが伏線となって、一気呵成に”あるべき方向”へと集約していき、その結晶として一分の隙も見当たらない緻密な「結論」が導き出されるという、盤上で風林火山を体験させてくれるような知的考察を読み手に提示してくれる、唯一無二の評論家ということで、一気にファンになってしまいました。
 
本書は、そんな海上先生が「環境問題」「エコロジー」の視点から人類の文明の発達、そして現代文明の起点としての農業革命や産業革命、その発展と問題点について分析し、「現代文明にかわる次の文明のあり方、その根源としての思想のあり方」について考察を加えたものとなっております。

-「人類の文明の歴史を語っている書」といえば-

「人類の文明の歴史を語っている書」といえば、いま話題となっているのは世界的ベストセラーとなっている『サピエンス全史』でしょう。

 
世界中の主要メディアから称賛され、ジャレド・ダイアモンドなど歴史家、ダニエル・カーネマンなど経済学者、さらにはビル・ゲイツマーク・ザッカーバーグらも先を争うように熟読したと言われています。
 
一方、本書は「エコロジーからの視点」という限定的な考察となっているため、『サピエンス全史』ほど網羅的ではないかもしれませんが、それでも「農業革命」と「産業革命」という現代文明の発展の大きな一里塚であった出来事、その背景、その後の世界の動きについての考察の深さについては、『サピエンス全史』を超えるものと断言できますし、『サピエンス全史』とはまた異なった視点、分析が展開される中にも、その理論の緻密さに驚きを禁じえない一冊となっています。

■太古より人類は自然の摂理を”突破”することで発展してきた

まず、本書を読んで驚かされるのが人間は「道具」や「火」を使いだした頃(一説には150万年前~30万年前とも)からすでに「自然破壊」を行っており、「自然の摂理を突破することで人類は発展してきたのだ」ということでしょう。
「草原の経済学」で考えると10~15頭のライオンを支えるためには1,500~2,000頭のシマウマが必要であり、そのシマウマは2万ヘクタールの草原によって養われているのだそうです。
同じ理屈でいけば、どんなに強力な武器を持っていようとも人間が住めるのは2万ヘクタールにつき15~20人だけになります。
 
ちなみに現在の世界総人口は約70億人とされており、地球の陸地面積はおよそ148,890,000㎢、ヘクタールに換算すると149万ヘクタールになるようです。これに上記の公式を当てはめると2017年の現在においては2万ヘクタールにつき9,400万人が住んでいることになります。

なぜ自然の摂理、制約を超えて人類の人口はこれほどまでに増加したのでしょうか。

-農耕による限界突破-

その一つに農耕の開始があるそうです。農耕開始当初の世界人口は400万~500万人程度だったと言われています。それが農業によって「草原の経済学」の限界を突破し、16世紀頃には9,000万人にまで増加します。 

「たとえば、クリストファー・メインズは自然の没落は農業に始まるとみなしている。狩猟・採集社会は、自然があるがままの「生産力」で与えてくれたものによって成り立つが、農耕社会は自然の営みとは無関係に必要なものを無理矢理生産する社会である。」


と本書で述べられているとおり、農耕が”草原の経済学”を突破する嚆矢であったという説には説得力があるのではないでしょうか。

 

-農耕開始以前の狩猟時代の方が豊かだった?!-

「農耕開始以前の狩猟時代の方が人類は豊かだった」「農耕は非効率だった」ということも本書では指摘されています。(このあたりのことは『サピエンス全史』でも触れられていますが)

それには当時の自然環境が多分に影響しており、狩猟時代は現在よりも温暖・湿潤な環境に恵まれていたようです。それが1万1千年前の「ヤンガー・ドリアスの突然の寒のもどり」で森の資源が激減し、食料危機に直面、食うに困って、仕方がなく始めたのが「農耕のはじまり」なのだというのです。

-農耕がもたらした文明と文化-

必要に迫られて”仕方なく”始めた農耕ですが、思わぬ副次効果をもたらします。それが「文明と文化の発展」です。海上先生は、

人口増加が決定的になった時期はポンティングによれば紀元前5,000年、ちょうど古代文明が登場した時期にあたる。大規模な定住化によって人口は1000年間で二倍になるペースを保ち、紀元前1000年に5,000万人、次の500年間で1億人、さらに紀元200年には二億人に達したという。こうしてみると、環境問題を加速させる区切りとしては、農耕以上に文明の登場が重要な意味をもってくるのかもしれない。


と指摘します。

現にアステカ文明、インカ文明、エジプト文明等々、いくつもの文明が生まれましたが、いずれの文明も基本的は肥沃な土地に農耕をするために人が集まり、その”人の集まり”が、やがて都市を生み、複雑な社会の調整の中で分業システムが登場することで、文明を形作っていきました。

 

■西欧文明とは”窮髪不毛の地”の文明

上記のように人類の歴史においてはいくつもの文明が、いずれも独自の発展によって他には見られない特色をもった文明でした。
では、現在、世界を覆っている現代文明(=西欧文明)はどのような文明であると言えるのでしょうか?

本書では、ヨーロッパの大地はそもそも”農業に最適とは言えない土地である”ということが指摘されています。気候そのものも寒冷地であり、降水量はローマやパリ、ロンドンでも東京の3分の1程度にしかならないと。
日照量や雨期の時期も日本と比べて決定的に異なっており、

「ヨーロッパの雨期は冬であり、作目の本格的な生育前に梅雨がある日本とでは決定的に条件が異なる。一年間を通しての日照量そのものも不足している。夏前に大量の雨量、夏場に強烈な日照量を誇る日本は、いかに農耕に適していることか」


と述べられています。

このため16世紀ごろ、当時のヨーロッパと東アジアとでは生産力に”超えられない壁”が存在し、東アジア<50>に対してヨーロッパ<1>であったそうです。
この国力差、大地の貧しさから言えば、西欧文明とは”窮髪不毛の地”(きわめて遠くへんぴで草木のはえない土地。不毛の地)の文明だったと言い切っても差し支えないように思います。

現在の世界史では、さも「人類の誕生その時から西欧文明が世界の最先端であった」かのような印象を受けますが、生産力、国力、さらには軍事力においても西欧文明はアジアに対して「虎の前の猫」状態だったのです。

このあたりは憲政史家の倉山満先生が常々発言されている

「今の世界史はニセモノ東洋史とニセモノの西洋史の野合。ヨーロッパはオリエントに負けっぱなしだった。チャイナは北方騎馬民族に負けっぱなしだった。西欧やチャイナは世界の中心ではなかった。」(『誰も教えてくれない 真実の世界史講義 古代編』の紹介文より)

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という視点と折り重なってくるところが非常に面白いところです。

 

-窮髪不毛が生んだ”エネルギー生産の限界突破”-

では、なぜ、他の文明と比較しても生産力、国力に見劣りしていた”西欧文明”が現在のように圧倒的優勢を極めるに至ったのでしょうか?

海上先生はそこに産業革命の存在を挙げ、そして産業革命が起こったその理由を環境思想の観点から鋭く考察します。
上述したように、産業革命以前の西欧文明は自然環境の過酷さや農耕に適さない土地柄のために自然環境を利用する力に乏しく、結果として、他の文明と比して著しく国力が劣るという結果をもたらしていました。
 
そんな西欧においては「自然とは”恵み”をもたらすものではなく、過酷な”試練”を与えるものであり、克服すべきもの」であるとされ、自然を人類の対立軸に置く「自然克服思想」が生み出されました。
さらにキリスト教の教義をも利用することで、後述するように、規模の拡大のために森林を破壊すること、「自然を搾取すること」を正当化させていきます。
 
また、人類に必要なものと言えば究極的には「食糧」と「エネルギー」の2つであり、どちらも森林など地表に存在する草木から得なければならないものでした。少なくとも”産業革命以前まではそうだった”と言えます。
 
西欧文明はそれに対してどのように対応したのか。
「窮髪不毛の地」であったが故に、西欧文明は森林に替わる”代替エネルギー”を「地下資源(石化燃料)」に求めるようになります。石炭・石油です。
 
こうして「窮髪不毛の地」から生まれた「自然克服思想」が「地下資源(石化燃料)の有効利用」という発想をもたらし、「産業革命」という形で結実したことで、結果として、それまでとは一変した「爆発的な生産力」を生み出すことになります。
 
もし万が一、西欧が豊かな自然に恵まれた土地に存在していたのであれば、決して「石化燃料の有効活用」などという発想が生み出されることもなかったのではないでしょうか。
ですが、「窮髪不毛の地の文明」であったがゆえに、西欧文明は石炭に着目しました。
 
そして石炭は、森林であれば一度伐採したら次の発育まで待たなければならないところを、石炭であれば、「掘り続け、採れ続ける限り、生産は無制限に行える」という特質、恐るべき生産力を有しており、それまでのエネルギー生産の限界を突破してしまいました。
 
農耕によって草原の経済学の限界を突破した人類は、産業革命によって、ついにエネルギー生産の限界を突破しましたが、それをもたらしたのが”窮髪不毛の地の文明”であるというのは逆説的とも言えるのではないでしょうか。

■攻撃的文明(Aggressive civilization)-自然克服と帝国主義- 

エネルギー生産の限界を突破した西欧文明ですが、その文明の起点である思想に「環境克服思想」という恐るべき攻撃性を秘めた思想を内包していました。

そもそも「環境克服思想」はデカルトニュートンパラダイムをその本質とする「二元論」の上に成り立つ思想であり、それが故に「人間」と「自然」を対立関係に置かざるを得ないものであったことから、海上先生は、 

「現代文明とは、自然克服思想をともなって拡大してきたヨーロッパ文明の延長上に生まれてきたものである。」

 

ニュートン主義者によって有機的秩序は徹底的に否定されていく。科学主義はデカルトが描いたように、自然を人間の外側の存在として精密な機械のように分析した。同時にそこでは、フランシス・ベーコンが描いたように、自然は征服されるものとみなされていた。」


と指摘します。 

これがさらに拡大解釈されるとどうなるか。
「文明とはヨーロッパ文明だけであり、他の地域には文明などはない。未開である」という意識が生まれます。”未開”とはすなわち”自然”であるということです。
となれば、未開の地に住む人類とは野蛮人(=自然)であり、当然に征服すべき対象、搾取すべき対象となります。
帝国主義、植民地支配の概念の誕生」です。
ここまでくると、

「歴史家フレデリック・J・ターナーによるフロンティアの定義、「文明と未開が出会う場所」はアメリカ民主主義形成のおおもとが「未開に対する文明の勝利」というかたちでの「自然克服思想」の一つの現れであることを示すものである。いみじくも「死んだインディアンだけが良いインディアン」というスローガンがあったが、アメリカ植民地人にとって先住民族は伐採されるべき森林と同じ「自然」とみなされていた。」

 

「植民地獲得が、自然克服の現れであることは明白である。」


とする海上先生の指摘に首肯せざるを得ないのではないでしょうか。

また、現代文明をひとつのシステムとみなした場合、
「地下の鉱物資源を利用して画一的な大量生産を集中的に行うものであり、そのために生産と資源浪費、そして汚染は無限に拡大する傾向をもち、その製品を売り払うために世界全体を一つの枠組みに組み込んでいくシステム」であるといえます。

上記の帝国主義とシステムとしての”画一性”、”汚染の無限拡大”が組み合わさった結果もたらされたのが「世界規模での生態系の破壊の進行」です。

本書では北米で50億羽いたリョコウバトが絶滅したこと、18世紀から19世紀にかけて米国がクジラを乱獲していたこと、イギリスがビルマの約400万ヘクタールもの森林を伐採したことがなどが取り上げられ、

「これらの傲慢で残虐な侵略と支配の背景にあったのが、自然克服の思想である。それがナショナリズムと融合し、ヨーロッパ至上主義へと変形していったのである。」


と指摘されています。

 

■現代文明における環境思想~環境克服思想の呪縛と『サピエンス全史』

ヨーロッパの願望、自然と他民族への搾取と破壊を可能にした産業革命ですが、大気汚染やスラム化の悪化に伴い徐々にそれを反省する態度が現れ、それが今日の「環境思想」を形作っていきます。
現在における環境思想にはネオ・マルサス主義、生態系保存論、動物開放、ソーシャル・エコロジー、ディープ・エコロジー等々、様々な考えかたが存在しており、百花繚乱の様相を呈しています。

ですが、いずれの思想も思想様式そのものは、自然克服を導いた様式から変化したとは言い難く、未だに環境克服思想の呪縛に囚われているに過ぎないとの印象が拭えません。

-『サピエンス全史」はマルサス人口論』の焼き直しなのか-

そして「環境克服思想の呪縛」から逃れられていないのは、どうやら環境思想だけに限られた話ではないようです。冒頭に紹介した『サピエンス全史』もその思考様式として”自然克服思想の延長上にある”ようです。

 

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『サピエンス全史』の紹介でよく取り上げられるエピソードとしては「人類は小麦によって家畜化された」、「国家や共同体、貨幣などは虚構”フィクション”に過ぎない」、「サピエンスは超サピエンスにとって代わられる」というものが挙げられます。
たしかにオリジナリティに溢れた視点であり、真理をついている面があるのも否定しませんが、「救いようがない」、「あまりにも悲観に過ぎるのではないか」との印象を抱く人も多いのではないでしょうか。
 
むしろ、「従来の歴史学に欠けていた視点を取り上げた」というわりに、サピエンスと超サピエンスの関係性などは自然克服思想から派生した社会的ダーウィニズム、すなわち「古き未開は新しき文明にとって代わられる」というテーゼがそっくりそのまま踏襲されており、「単に超サピエンスを新しき文明側に、サピエンスを古き未開へと、その立ち位置を変えてみただけの、置き換えに過ぎないのでは?」と思ってしまいます。

また『サピエンス全史』著者ハラリ氏はインタビューで

「問題なのは、経済成長はある一定レベルに達した以降は、必ずしも幸せに結びつかないということ。物を買うことが幸せにつながらない段階が訪れます。集団でも、経済の成長がすべての問題の解決をもたらすわけではありません。経済成長を追求すれば、生態系には大きな危機が訪れる


と語っています。

現在においては、経済成長と自殺者数には明確な相関関係があること(経済の停滞は自殺者の増加をもたらす)や、ヒトラーが率いたナチスなどは不況下であったからこそ、将来に希望が持てない民衆から支持を得て、その勢力を伸ばしたことが経済学の見地から明らかとなってます。

「経済成長不要論」を訴えるということは、「自殺者が増えても構わない」ホロコーストが起きても構わない」と言っていることに等しいのだということをハラリ氏は認識しているのでしょうか。

また、「経済成長」を「人口増加」に置き換えたならば、現在では”過去の遺物”となっているマルサスの『人口論』(人口増加の幾何学的伸びに対して、土地生産力に依存する食糧増加が代数的な伸びしかしないことに注目し悲観的な予測をしたことで有名)と全く同じロジックになる点も気がかりです。
 
ハラリ氏は「虚構」というキーワードを用いて人類史の真実を暴くという試みを『サピエンス全史』全編を通じて実践していますが、図らずも彼自身の言葉そのものが修辞(レトリック)という名の虚構で彩られている点に注意しなければならないのではないでしょうか。 
  

■環境克服思想を突破せよ 「対立」から「共生」へ

環境克服思想の呪縛に囚われた思想のその先には何があるのか-。
『サピエンス全史』では

私たちはかつてなかったほど強力だが、それほどの力を何に使えばいいかは、ほとんど見当もつかない。人類は今までになく無責任になっているようだから、なおさら良くない。物理の法則しか連れ合いがなく、自ら神にのし上がった私たちが責任を取らなければならない相手はいない。その結果、私たちは仲間の動物たちや周囲の生態系を悲惨な目に遭わせ、自分自身の快適さや楽しみ以外はほとんど追い求めないが、それでもけっして満足できずにいる。
自分が何を望んでいるかもわからない、不満で無責任な神々ほど危険なものがあるだろうか?


との言葉で、その最後を締めくくります。

確かに、人類は今までになく無責任であり、動物や生態系を悲惨な目に合わせ、自らの快楽しか興味のない、にもかかわらず決して満足出来ないでいる、「不満で、無責任な神々」なのかもしれません。

ですが、その一方で、謙虚さをもち、動物を、自然を慈しみ、時として自分の命すら省みず、他者の命を救おうとする、慈愛、思いやりの心といった「良き面」を持っているのもまた人類なのではないでしょうか。

本書『新・環境思想論―二十一世紀型エコロジーのすすめ』では、海上先生は”今後のあるべき姿のひとつ”として、東洋思想、日本の文化伝統に基づいた「環境思想」を提示します。
それは神道仏教、あるいは儒教といったものに根差した考え方、すなわち「多様性」や「アニミズム」、「寛容の精神」を取り入れた「調和と共生の環境思想」と言えます。

「調和と共生の環境思想」においては、「経済成長」と「自然保護」すら対立しません。なぜなら「自然エネルギーの直接利用」と「スモール化」を推し進めることで「経済成長が環境破壊をもたらす」という因果を打ち破るからです。

(海上先生のすごいところは、この「調和と共生」という考え方を単に理念的なものとして唱えるのではなく、そこに戦略研究家としてのリアリストの側面を添えることで、極めて実践的な、現実社会で実現可能なレベルにまで具現化させている点にあると言えます。これに関しては『環境問題の戦略的解決』 で詳しく描かれており、こちらも必読の書と言えます。)

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欧米のような「自然克服」と、それへの反動としての「反人間」という二元論的対立構造ではなく、「自然から価値を得る経済」と「自然と社会の中間地点の意識」という「自然は人間の大切な友達なのだ」という視点に基づいた「調和と共生の環境思想」-。
 
現代の私たちに必要なのは、「不満で、無責任な神々」だと自らを卑下するのではなく、むしろ自らの「良き面」にもスポットを当て、未来を切り開く努力をすることなのではないでしょうか。
 
お薦めです!

 

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新・環境思想論―二十一世紀型エコロジーのすすめ   海上 知明

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敵は内にあり-『正論2017年5月号 中国にとって日本は昔からスパイ天国 #江崎道朗』を読んで

敵は内にあり 『正論2017年5月号 中国にとって日本は昔からスパイ天国 江崎道朗』を読んで

正論2017年5月号

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[特集 世界を動かすスパイ戦]

中国にとって日本は昔からスパイ天国 江崎道朗

 

現在、トランプ政権ではドラゴンスレイヤー(対中強硬派)が今後の対中政策を主導していくと目されています。

トランプ政権の対中強硬策は日米中三ヵ国の関係の全面的見直しへと発展していく可能性が高いし、そうなるように働きかけることが重要だと指摘。

 

そうした中で、今回江崎先生が問題提起されているのは「どうして中国共産党がこれほどまで力を持ったのか」という点。

そこには中国によるスパイ活動や対日工作があったことが論じられています。

 

ですが、これだけをもって脊髄反射的に「中国人は排除すべき」とするのは短絡的なのではないでしょうか。

 

記事をちゃんと読めば、おわかりいただけるかと思いますが、

そもそも中国人に共産主義を教え込んだのは誰のか-。

  

清算主義な立場から恐慌を根本的に治癒するには共産主義的な体制への転換が必要であるとした中国共産党のシンパだった経済学の権威は誰だったのか-。

  

元々、保守系の出版社だったにもかかわらず、共産主義にかぶれたエリートたちによって乗っ取られ、日中戦争侵略戦争だとする宣伝工作をしたのは、どこの出版社だったのか-。

 

いずれも社会主義にかぶれた日本人共産主義者だったのではないでしょうか。

それは戦前だけの一時的な現象ではなく、2017年の現在においても同様であることが、杉田水脈先生よる慰安婦像を世界中に建てる日本人たち』で明らかにされています。

 

また、”日本人捕虜に対する侵略史観の洗脳工作”には野坂参三日本共産党の初期メンバーらが深く関与していました。(「正論」15年9月号 「隠された『脅威』はどこまで解明されたか」より)
 

中国共産党の戦略や対日工作の歴史を知るということは、「日本のなかの”内なる敵”と対峙せよ」ということを指しているのではないでしょうか。

 

PS:文中に出てくる「改造社」のように、保守系だったにもかかわらず、「北に脅威はない」などとまるで日本共産党と同じことを主張する保守系団体現代にも存在します。

天皇万歳、愛国、南京の真実を訴える映画を作っているから保守だ」というのもまた、短絡的だと言えるのではないでしょうか。

 

<参考> 

日本を蝕む、”反日日本人と外務省”の闇

書評『慰安婦像を世界中に建てる日本人たち』

http://bit.ly/2mzuMkp 

 

チャンネル桜コミンテルンのブラック・ラジオと田母神事務所問題』

http://amba.to/2nKqxmr 

 

『脅威のシンクロ率!! 徹底比較!志位VS水島 「北は脅威ではない」』

http://amba.to/2ooTcQN

 

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祝!『嘘だらけの日仏近現代史』が週間ベスト第3位にランクイン! #八重洲ブックセンター #倉山満

週間ベスト10:朝日新聞デジタル 

http://bit.ly/2on379u
(1)応仁の乱=呉座勇一著、中公新書

(2)儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇=ケント・ギルバート著、講談社+α新書

(3)嘘だらけの日仏近現代史=倉山満著、扶桑社新書

3月12~18日、八重洲ブックセンター本店調べ、ノンフィクション部門

 

 

おフランスは狂気の国?! 

書評『だらけ近現代

http://bit.ly/2lta0FM

おフランスは狂気の国?!

■絶対に真似したくないフランス革命

■理性という名の毒 

■理性しかない人間は人間的なのか 

 

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