かってに財務官僚名鑑~浅川 雅嗣~ #くたばれ財務省
かってに財務官僚名鑑~浅川 雅嗣~
【浅川雅嗣】
81年大蔵省入省。異例の3期目に突入した財務官。
麻生財務大臣とは08年の首相秘書官の時からの付き合いで、大の仲良しであり、オトモダチの関係。
従来の人事慣例ではあり得ない3期目続投も麻生財務大臣たっての希望で実現したと噂される。
このため後輩にあたる84年組は事務次官はおろか財務官の輩出すらままならなくなると言われている。
いつ何時いかなる状況下においても「注視する」としか発言せず、急激な円高に見舞われても一ミリも動こうとしない”傍観者スタイル”が信条。
ついた渾名は「見守りの浅川」
そのゼンマイ仕掛けの機械人形のように「注視する」とリピートする様は、ある意味、清々しさを覚えるほどだという。
3年目の今期も名人芸の域に入ったと言われる”傍観者スタイル”が炸裂するのだろうか。
鮮やかすぎる、財務省の「負けたフリ」人事 ビール腹と茶坊主とエージェント
鮮やかすぎる、財務省の「負けたフリ」人事 ビール腹と茶坊主とエージェント
現代ビジネスの記事より
霞が関「7月人事」に異変!出世するのは安倍・菅両氏のお友達ばかりhttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/52114
財務省の負けたフリ人事がよく分かる素晴らしい記事です。(皮肉)
官邸の顔色を窺う。それは大蔵省時代に「最強の官庁」と呼ばれた財務省も同じ。幹部人事ではやはり「お友達」が優遇されそうだ。
と、さも官邸の意向が人事に反映されているかのような出だしながら、
佐藤慎一次官('80年、旧大蔵省)が勇退し、後任に福田淳一主計局長('82年同)が昇格。主計局長には岡本薫明官房長('83年同)が就き、『次の次』の次官になることが確実視されています。
注目は太田充総括審議官('83年同)です。同期入省の岡本官房長の後釜に収まりそうですが、これは官邸に足繁く通っていることが評価されているから。
省内では『茶坊主』とまで揶揄されている。岡本氏の次の次官になる可能性も取り沙汰されています」
という内容。
この人事、官邸の意向どころか、どれも財務省の既定路線人事であることは、チャンネルくららの財務省ダービーを毎年楽しみにしている、財務省ウォッチャーから見れば、火を見るよりも明らか。
むしろ官邸が一ミリも人事介入できていないことの証左と言えます。
太田統括審議官の渾名は『茶坊主』だそうですが、福田次期事務次官には『ビール腹』、岡本官房長には『エージェント(オブ・ インフルエンス)』の渾名を捧げたいと思います。
書評『嵯峨天皇と文人官僚』井上辰雄著 詩と書を愛した偉大な名君 ~統治(しら)すれども支配(うしはく)せず。ウィキペディアに載らない“象徴天皇の源流“~
詩と書を愛した偉大な名君
~統治(しら)すれども支配(うしはく)せず。ウィキペディアに載らない“象徴天皇の源流“~
■嵯峨天皇の下での君民共治の治世
嵯峨天皇。桓武天皇の次男であり、兄は平城天皇。
ウィキペディアだけをみていると、「淳和上皇らの反対を押し切って自分の外孫でもある淳和上皇の皇子恒貞親王を仁明天皇の皇太子とするなど、朝廷内で絶大な権力を振るって後に様々な火種を残した。」などなど、やたら批判的な表現でもってその生涯が綴られています。
ですが、先ごろ出版された憲政史家の倉山満先生の著書『日本一やさしい天皇の講座』においては、父・桓武天皇に勝るとも劣らない偉大な名君であり、「今に至る皇室の形を作った」、「マグナ・カルタより400年も前に、立憲君主の模範を示した」と語られています。
また『日本人として知っておきたい皇室のこと』(中西輝政・日本会議)の江崎道朗先生の論考によれば、今上陛下が皇太子でいらした昭和61年、次のようなお考えを新聞紙上でお述べになられたことがあるそうです。
天皇が国民の象徴であるというあり方が、理想的だと思います。天皇は政治を動かす立場にはなく、伝統的に国民と苦楽をともにするという精神的立場に立っています。このことは、疫病の流行や飢饉に当たって、民生の安定を祈念する“嵯峨天皇”以来の天皇の写経の精神や、また、「朕、民の父母と為りて徳覆うこと能わず。甚だ自ら痛む」という後奈良天皇の写経の奥書によっても表されていると思います。
今上陛下も天皇が国民の象徴であることの原点のひとつとして挙げていらっしゃる、嵯峨天皇。
その治世とは一体、どのようなものだったのでしょうか。
より詳しく書かれているものを読んでみたいと思い、手に取ってみたのが本書『嵯峨天皇と文人官僚』です。
そこには、優れた君主と優れた家臣が織りなす、“君民共治の姿”が見て取れると言えます。
■文章は経国の大業、不朽の盛事なり
一般に、嵯峨天皇の治世は、その元号「弘仁」(心が弘く、なさけ深く、弘く仁をほどこす」という意味)をもって「弘仁の治」と呼ばれ、特に「文章は経国の大業、不朽の盛事なり」を旨とし、文化事業の促進に力を入れた時代とされています。
嵯峨天皇自身、空海・橘逸勢とともに“三筆”に数えられる、書の達人であり、
叡智は天従にして、艶藻は神授なり。猶、旦、学びて以て聖を助け、問いて裕きを増す
(意味:生まれつき、極めて優れた資質をおもちになられ、詩人としての才能はもともと生得のものであられた。だが、それにも増して、勉学に勤められた)
(小野岑守・作『凌雲集』序文より)
と極めて優れた資質を有し、詩宴を頻繁に行うことで、朝野の一流の文化人と交流し、漢詩を詠み、史籍を編纂し、それまでの皇室の作法を書にとりまとめ、後世に残しました。
(ちなみに喫茶や日本初の図書館が登場したのも嵯峨天皇の時代だったそうです。)
このように文化面での業績が称えられている嵯峨天皇ですが、それ以外の面でも、優れた政治がなされていたことが、本書では明らかにされています。
■嵯峨天皇の下に集いし、能吏たち ~藩邸の旧臣~
嵯峨天皇自身が文化事業に力を入れていた代わりに、実際の行政面を取り仕切ることで、嵯峨天皇を支えていたのは、”藩邸の旧臣“と称された臣下たちでした。
彼らは嵯峨天皇が皇太弟であった時から皇太弟の東宮坊に奉仕し、神野神王(嵯峨天皇)に近侍していた一群の人々であり、藤原園人、藤原冬嗣、藤原三守、良岑安世、賀陽豊年、小野岑守、滋野貞主、菅原清公ら、“藩邸の旧臣”達は、皆、優れた文化人であるだけでなく、政治家としても或いは官僚としても非常に優秀であったことが記されています。
■国を治むる要は、民を富ますに在り ~もうひとつの“民のかまど”~
仁徳天皇の「民のかまど」の話は“君民共治”という日本の国柄を表すエピソードとして、つとに有名ですが、嵯峨天皇の治世においても、嵯峨天皇および”藩邸の旧臣“たちによって、「民のかまど」の精神が実践されていたことが伺えます。
特に代表的なものを挙げるならば、初期の「弘仁の治」を支えた、藤原園人の施政でしょう。
藤原園人が政治の中枢を担っていた当時は、慢性的な不作が続き、国家財政窮乏が長く続いていた時期でもありました。そのことを誰よりも苦慮していた園人は、執政の最高責任者の立場から財政再建に腐心します。
“国庫を潤わす”だけであれば、農民から苛斂誅求(むごく厳しく取り立てること)すれば、事足りますが、園人は「国を治むる要は、民を富ますに在り」を旨とする政治家でした。
園人はあくまで民衆の立場に立って財政再建を果たすという道を選び、改革の道を推進していきます。今でいえば、「経済成長なくして財政再建なし」といったところでしょうか。
例えば、弘仁五年(814年)7月21日には、「大和河内両国遠年未納稲一十三萬四千束免じ、百姓窮乏を以て、弁進に堪えず」として、大和、河内の未納稲、十三万四千束を免じています。
経済成長を一顧だにせず、己の出世のためだけに増税ばかりを推進する現在の財務官僚に、藤原園人の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいものです。
さらに園人は「応 収納官物 依 本蔵事」という令も出していたそうです。
これは、当時、国司たちが近場の郡から公廨稲(くがいとう。官稲のひとつ)を割り切りがちであったがために、百姓に近隣の郡倉から稲を支給しようとしても、遠い郡の正倉から与えなければならなくなくなっている現状、国司が取りあげやすい郡倉の米穀は減少し、不便な郡は逆に官物が余っている現状を指摘し、「今後はそのようなことは許されない」と、国司の悪習を弾劾するものであったそうです。
また、弘仁四年(813年)11月には、捕虜についての建策もしています。
諸国に流刑となった蝦夷に対して、国司らが朝旨に背き、憐み労おうとしないために、蝦夷らが叛逆するのだと指摘し、実際に播磨介、備前介、肥後守らが処分されたようです。
諸国の捕虜となった蝦夷らの反乱を一方的に蝦夷側に帰するのではなく、それを管理し、公民化に努めなければならなかった地方の国司の責任を問うたものであると、著者の井上博士は指摘します。
この藤原園人の路線は、嵯峨天皇・上皇時代を通じて行われ、園人の次に政治の中枢を担うことになる藤原冬嗣らにも引き継がれ継承されていきます。
■統治(しら)すれども支配(うしはく)せず
以上のように嵯峨天皇は自ら積極的に政治を動かす立場に身を置こうとはせず、実際の施政は臣下に委ねていました。
本書でも詳しく記されていますが、薬子の変における嵯峨天皇の指導力を見るに、おそらく嵯峨天皇自身が親政を行っていたとしても、後世に残る優れた政治がなされていた可能性は高いのではないでしょうか。
(例えば、平城上皇側の著名な武人官僚であった文屋綿麻呂に対しては、厚遇し、正四位上に叙し、参議に列せしめたそうです。この厚遇に綿麻呂は感激し、「歓喜踊躍」して、直ちに兵を率いて、宇治、山崎の橋を圧え、京の守護に当たったとか。このあたりのエピソードもウィキペディアではごっそり抜け落ちています。)
ですが、嵯峨天皇はそれを敢えて行いませんでした。
むしろ、文化事業に取り組むとともに、飢饉があれば、飢民に賑給を行い、イナゴの害があれば、負稲を免じ、疫病が流行れば、天下の名神に幣を奉じて祈らせるなどを行っていたとされています。
このように嵯峨天皇は”統治(しら)すれども支配(うしはく)せずを体現した天皇であり、『日本一やさしい天皇の講座』では「嵯峨天皇が生み出した”天皇不親政の伝統”が結果的に皇室を長続きさせる秘訣になった」とも指摘されています。
※「統治(しら)す」と「支配(うしはく)」の違いについては、明治時代を代表する法制官僚である井上毅著の『梧陰存稿』の記述が詳しいです。
嵯峨天皇は書の名人というだけでなく、極めて有能な君主であり、「統治(しら)すれども支配(うしはく)せず」即ち”象徴”の体現者にして、その源流ともいうべき天皇であること、また嵯峨天皇を支えた臣下たちも、極めて優れた官僚であったことを窺い知ることができ、大いに参考になりました。
おススメです!
本が好き! 週間書評PV 第2位『倉山満が読み解く 足利の時代』、第3位『日本一やさしい天皇』他
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本が好き!書評PVランキング (17/06/19-17/06/25)
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『倉山満が読み解く 足利の時代』と『日本一やさしい天皇の講座』が第2位と第3位に!
書評でも書きましたが、この2冊はセットで読むことをおススメします!
そのほか4位~8位まで、なんとトップ10の中に7つ書評がランクイン!!
『アウシュヴィッツの手紙』もついに総合ランキング30位にランクイン!
『反米の世界史』も20,000PVの大台突破!
総合ランキング順位がランクアップ間近ですし、『川中島合戦』もあわせて、この3作品はある意味、常連組になっているのがスゴイ。
『不徳を恥じるも私心なし』も『慰安婦像を世界中に建てる日本人たち』もマスコミの報道では知ることができない事実を知ることができ、とても参考になります。
多くの人に読んで頂きたい一冊です。
第2位 541PV 『倉山満が読み解く 足利の時代─力と陰謀がすべての室町の人々』 倉山満
第3位 423PV 『日本一やさしい天皇の講座』倉山満
第4位 347PV 『アウシュヴィッツの手紙』内藤陽介
第5位 293PV 『不徳を恥じるも私心なし 冤罪獄中記』 田母神俊雄
第6位 286PV 『慰安婦像を世界中に建てる日本人たち』 杉田水脈
第7位 277PV 『川中島合戦:戦略で分析する古戦史』 海上知明
第8位 276PV 『反米の世界史』 内藤陽介
木下康司大元帥様の近況 #くたばれ財務省 #緊縮は人権侵害 #増税原理主義者
木下康司大元帥様の近況 #くたばれ財務省 #緊縮は人権侵害 #増税原理主義者
特にこれと言った情報ではありませんが、
「8%消費増税時の立役者、偉大なる民族の太陽、連戦連勝の鋼鉄の霊将、史上最強の財務事務次官」
と言われた、木下康司大元帥様の近況報告です。
最強次官の名を欲しいままにしつつも、変わらぬ郷土愛を持ち続けていることには敬意を表しますが、日銀新潟支店の金融経済動向報告によれば新潟は依然として個人消費は弱含みのよう。
それでも省益のために現役幹部達を消費増税へまい進させるのでしょうか。
新潟県の金融経済動向
http://www3.boj.or.jp/niigata/shiryou/geturei/g2017/geturei2906.pdf
「ミッドナイト・バス」の思い語る 竹下昌男監督が日報トキの会で講演|社会|新潟県内のニュース|新潟日報モア
「ミッドナイト・バス」の思い語る
竹下昌男監督が日報トキの会で講演
本県出身者や在勤経験者ら本県とゆかりのある首都圏在住者でつくる「新潟日報トキの会」(会長・小田敏三新潟日報社社長)の第17回例会が16日、東京都千代田区のホテルニューオータニ東京で開かれた。来年1月に県内で先行上映予定の映画「ミッドナイト・バス」の竹下昌男監督(56)が講演し、「新潟で映画を撮りたかった」と新作への思いを語った。
佐渡市出身の宮田亮平文化庁長官や、元財務事務次官で新潟市出身の木下康司日本政策投資銀行副社長ら約60人が出席した。
※ついでに昔書いた木下大元帥様の人物紹介を更新してみました。
(人物紹介)
【木下康司】
革命戦士。華やかさに欠け地味だったため全く人気が出ず、田中、香川の後塵を拝すも、短時間に血税8兆円をつぎ込む「ハイスパート為替介入」と「俺は香川のかませ犬じゃない」発言で一気にブレイク。
一躍、財務省トップに躍り出る。
現在は、次期日銀総裁の座を虎視眈々と狙っているという噂も。
ポリシーは「上司には逆らわない。」
「いくら有能でも上司に逆らう奴は組織にとって危険分子」
『梧陰存稿 人に自尊自卑の性あるの説』を読む ~過ぎたるは及ばざるが如し~ #井上毅 #梧陰存稿
『梧陰存稿 人に自尊自卑の性あるの説』を読む ~過ぎたるは及ばざるが如し~
『人に自尊自卑の性あるの説』
本論文は後に『如蘭社話』後編第三巻(大正二年九月十五日刊)に収録。
自尊自卑の性とありますが、主として自卑の心に関する井上毅なりの考え方が提示されています。
自卑の心、すなわち自らに欠点があると感じる心、自らの社会には至らぬ所があると認識すること、それ自体は謙徳であり、進歩のもとであり、決して悪いことではない。
ただし、自卑の心は「利用すべきものであって、害用してはならないものである」と述べます。
黄金世界をどこに求めるのか。中国は古代に、インドは冥界に、西洋は未来に、そして日本は諸外国に求めるきらいがあると、井上毅は指摘します。
現世に安住していては、そこに進歩は無い。
かといって、黄金(世界)に捉われ過ぎては、現世の良さが損なわれるのではないか。
井上毅は奈良・平安時代を例に挙げて、その過ぎたる様を批判していますが、実は当時の官民問わずの急進的な西洋化、欧化主義に警鐘を鳴らす気持ちもあったのではないかと思わずにはいられません。
また黄金世界を諸外国に求めるきらいがあるのは、今現在の日本の姿を見ても、変わりがないように思えます。
ローレンツ・フォン・シュタイン博士は、「歴史にこそ無限の勢力資源がある。」と述べたと言われています。(by『シュタイン国家学ノート』より)
憲政史家の倉山満先生の言葉を借りれば、
「文明という横軸を乗り越えつつも、歴史という縦軸から発するものを再確認する。その積み重ねによって、変わりゆく伝統の中で国家を守り、歴史を紡いでいく。これこそが先人たちが身をもって実践してきた保守の態度です。」
となろうかと思います。
よりよい社会の実現のためにこそ、歴史を知り、伝統に心を配ることが必要なのではないでしょうか。
PS:なんだか『倉山満が読み解く 足利の時代─力と陰謀がすべての室町の人々』 の書評で書いた内容と通底するテーマになったような気がします。
興味ある方は、こちらもご覧になって頂ければ幸いです。
(書評はコチラ)
『倉山満が読み解く 足利の時代─力と陰謀がすべての室町の人々』
『人に自尊自卑の性あるの説』(意訳)
人類の万物の霊たる特徴として、その固有の高尚なる性質として、人々に自尊の天性を必ず持っており、同時にその反動としての天性、自卑の天性を必ず持っている。
自卑の性質は、人々自身が、自分に欠点があると感じるという個性、パーソナリティのことで、すなわち謙徳とも言えるすべての向学進歩の要素である。
この天性の映し出すところとして、人々みずから、自分たちが生活する社会が不十分であることを認識し、一転して、他に至善円満の人類と至善円満の社会があることを想像するに至る。
釈迦は尤も自尊を持っている人であるため、己の生活する社会を不足だとする感じることを描き出して、天地欠陥世界と述べた。
世の古今を問わず、国を問わず、書籍および現在の事実に徹するにおおよそ人類というものを裏面からみたならば、自尊自大なる積極の性格とまた自謙自屈なる消極の気習とを併存させているのは、これもまた一種の奇妙な現象というべきだろう。
それゆえ、ある人により、ある国によっては、この両極端の癖習の傾きの程度に厚薄深浅の差があるだけでなく、さらにまた種々の奇異なる状態を現出させる。
支那人は自ら、己の欠点と己の生活する社会の欠点と感ずるに、古代に至善円満の人物と至善円満の社会があることを想像する。
それは支那の文学がはやくに発達し、古代のことを記録した歴史家が優美で厳かなる文章をもって巧みにその人物および社会を書き記したために、後世の人は、その文章の眩さに誘惑されて古代に黄金世界があり、真理があると想像したことによるものである。
このように、古代に至善円満の世界があると想像するがために、「古を好む」といい、「古を尊ぶ」といい、学問なり、政治なり、百般の事について、すすんで古代の状態に遡ることを目的とし、自らの生活する社会を見下して澆季(乱世、世の末)とか、あるいは叙世末運だと盛んに言い立てることに至る。
又自ら、支那の古代に黄金世界があることを信じているために従い、支那という国の自尊他卑の風潮をも強盛にさせている。
インド人は現在社会をもって欠陥世界とし、冥界に至善円満の世界があることを想像し、開祖マホメットもまた同一の思想をとった。天堂浄土の説がこれである。
近世の哲学者たちは、自然の進化によって漸次に発達し、今日はようやく文明の区域に初歩を進めたことをもって未来に至善円満の世界に到着する希望があることを主張する者がいる。この説は未来来世に黄金世界があることを想像している。
朝鮮人の著述の書を読むに高麗の末、支那の文学がひとたび高麗に入ったときから朝鮮人の思想は起こって皆支那を崇拝して文明極盛の国としてこれを模範とし、これに追従模倣するに余念がないかのようだ。そのため、裏面よりその国の歴史によって観察するときは朝鮮という国は前後に分けて、切り離すべきである。
支那の文学が未だ朝鮮に入る以前は野蛮ながらも高句麗は一つの強大国になるという意思を失っていなかったが、支那の文学がひとたび入った後は一転して、まったく一つの文弱国となり果ててしまった。
足下のわが国の史籍を見るに古代、純朴な民の気風がようやく開けようとしたときに際し、隋・唐朝の文学が仏法とともに輸入したときは、一国を挙げて異常の賛歌をもってこれを迎え、一人、二人の聡明な人物がこれを唱導し、民衆が雷同し、その勢いは快流の如く、ほとんど自らの国あることを忘れて、文学政治風俗百般のことは皆、海を隔てた西土を模倣して、これを彷彿させることを望んだ。
この時の人の思想は、国語国文を廃してゆくゆくは全くの漢語漢文に変化させようと試みたようなものである。その証拠に語り部の語り伝える古代の遺事を不充分な漢文をもって翻訳編纂して正史として著し、そのため奈良の倉庫に残りたる天平年間の古文書の負債の証文、納税の受取官吏の病気届に至るまで、みな漢文で書かれていることからもわかる。
政治改革は非常に急激なかたちで施行され租税戸籍軍団の法はみな隋唐に模倣したようだ。中には隋の口分田をまねた班田の図が存在するということを見るにつけ、山川原野が錯綜するのもお構いなしに幾何模様に分区すること碁盤の目のようであり、そして人別にこれを配当したようである。
到底、実際に行われたとは思えないが、史籍の記載するところによればこれを全国的に実施したことで間違いないようだ。書紀に大宰師(大宰府長官)より上った奏文に班田の制は九州では実施されなかったようであるが、兎に角一時はこれを断行せんと試みたようである。その時の人民の苦情は、想像を絶して、なお余りがある。
民間の風習は正月の七日七草の粥より七月七日牛女の祭りに至るまで年中行事は大抵皆、呉越の風習を模倣し、都であろうが田舎であろうが隅々まで行われたものであるとみえ、現に今日までも残っており、殆ど我が国の古代以来の固有の風俗であるかのように思われる。
大化の改新はわが国の文明の初歩として進歩の階梯であることに疑問の余地はないが、他の一方からみれば、政治上には国費が疲弊し、戸口が凋亡し、民心はバラバラになり、士豪が勢いを得て、ついに武門の世となる原因となり、文学上においては固有の優美なる国語を錯乱させ、決して企ててはいけない他国の文を模倣しついに一種異様、奇怪な文体を編成し、千年間、世のあらゆる史籍及び著作をして、ほとんど、見えるはずの光来を無くしてしまった。
「そうはいっても今日に至り、冷眼を以て論評する立場のであれば、当時の得失を公平に判断すべきだ」とは言っても、試しに身を当時において一つの時代の潮流の中に立つものと仮定したとしても、誰かあえて興論に逆らい、衆説を干して、不屈の説をとり、後世の定論を待つ者がいなかったのだろうか。
このような場合において人智の薄弱であることは慨歎にまさる者はない。
なお、これのみならず最も奇怪なのは臣子の大義名分を忘れて唐の朝臣となって、自らの栄達とした阿倍仲麻呂がいた。那須国造の碑には、永昌という唐の年号を用いている。(永昌は朱鳥の二文字が歴滅したのを後世の好奇の人が改作したものであるとの説もあるが、私は現地に行って、その碑石を見るに、そのような跡があるようにはみえない。)
銅燈臺銘として有名な橘の逸勢の書には唐の諺を避けて丙の方角に景(造園)に作った。
この類によって見れば、当時の君民の思想を迷路の中に導いたのは博識聡明をもって自認していた文学者たちの罪に、その大部分があると言わざるを得ない。
今、虚心にその原因となるところを探れば、これは皆、人の性、自己の欠点を感じる霊覚より生じ、歩みをとして、その極点に趨りし者である。
又、人世永遠の標準により観察すれば、これも社会の進歩の一つの駅路にして、当時の人民は、この自然の運歩に支配されたものに過ぎず、ただちに一人、二人の罪ではない。
げんにこれを略説するに、種々の国民が、あるいは古代に黄金世界を求め、あるいは冥界にこれを求め、あるいは未来にこれを求め、あるいは外国にこれを求めるのは、皆人類自然の性により来た想像力の作用によって、変化の顕象を成すものである。
近来、西洋には絵画にかいた地獄または浄土と同じように書を記して、空想の栄土黄金世界の伝説の地を映し出して自らを慰めるものもいる。
これらは自己の社会の欠点を感ずる性癖の極みというべきであろう。
自卑の性は謙徳であり、進歩の要素である。これは利用すべきものであって、これを害用してはならない。
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