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環境克服思想を突破せよ! 『サピエンス全史』との対比でみる「対立」から「共生」への戦略的思想転換

書評『新・環境思想論―二十一世紀型エコロジーのすすめ』 海上知明

 

 

環境克服思想を突破せよ! 『サピエンス全史』との対比でみる「対立」から「共生」への戦略的思想転換

■作品紹介

著者は「孫子」研究の専門家にして地政学的戦史分析家、さらに環境問題の専門家でもある海上知明先生。
海上先生の著書で読んだことがあるのは、
川中島合戦:戦略で分析する古戦史』孫子の盲点~信玄はなぜ敗れたか?~』『環境問題の戦略的解決』
 
いずれも通説に囚われない独自の視点から鋭く物事を捉えており、淡々と史実・事実を積み重ねているように見えて、その積み重ねた事実すべてが伏線となって、一気呵成に”あるべき方向”へと集約していき、その結晶として一分の隙も見当たらない緻密な「結論」が導き出されるという、盤上で風林火山を体験させてくれるような知的考察を読み手に提示してくれる、唯一無二の評論家ということで、一気にファンになってしまいました。
 
本書は、そんな海上先生が「環境問題」「エコロジー」の視点から人類の文明の発達、そして現代文明の起点としての農業革命や産業革命、その発展と問題点について分析し、「現代文明にかわる次の文明のあり方、その根源としての思想のあり方」について考察を加えたものとなっております。

-「人類の文明の歴史を語っている書」といえば-

「人類の文明の歴史を語っている書」といえば、いま話題となっているのは世界的ベストセラーとなっている『サピエンス全史』でしょう。

 
世界中の主要メディアから称賛され、ジャレド・ダイアモンドなど歴史家、ダニエル・カーネマンなど経済学者、さらにはビル・ゲイツマーク・ザッカーバーグらも先を争うように熟読したと言われています。
 
一方、本書は「エコロジーからの視点」という限定的な考察となっているため、『サピエンス全史』ほど網羅的ではないかもしれませんが、それでも「農業革命」と「産業革命」という現代文明の発展の大きな一里塚であった出来事、その背景、その後の世界の動きについての考察の深さについては、『サピエンス全史』を超えるものと断言できますし、『サピエンス全史』とはまた異なった視点、分析が展開される中にも、その理論の緻密さに驚きを禁じえない一冊となっています。

■太古より人類は自然の摂理を”突破”することで発展してきた

まず、本書を読んで驚かされるのが人間は「道具」や「火」を使いだした頃(一説には150万年前~30万年前とも)からすでに「自然破壊」を行っており、「自然の摂理を突破することで人類は発展してきたのだ」ということでしょう。
「草原の経済学」で考えると10~15頭のライオンを支えるためには1,500~2,000頭のシマウマが必要であり、そのシマウマは2万ヘクタールの草原によって養われているのだそうです。
同じ理屈でいけば、どんなに強力な武器を持っていようとも人間が住めるのは2万ヘクタールにつき15~20人だけになります。
 
ちなみに現在の世界総人口は約70億人とされており、地球の陸地面積はおよそ148,890,000㎢、ヘクタールに換算すると149万ヘクタールになるようです。これに上記の公式を当てはめると2017年の現在においては2万ヘクタールにつき9,400万人が住んでいることになります。

なぜ自然の摂理、制約を超えて人類の人口はこれほどまでに増加したのでしょうか。

-農耕による限界突破-

その一つに農耕の開始があるそうです。農耕開始当初の世界人口は400万~500万人程度だったと言われています。それが農業によって「草原の経済学」の限界を突破し、16世紀頃には9,000万人にまで増加します。 

「たとえば、クリストファー・メインズは自然の没落は農業に始まるとみなしている。狩猟・採集社会は、自然があるがままの「生産力」で与えてくれたものによって成り立つが、農耕社会は自然の営みとは無関係に必要なものを無理矢理生産する社会である。」


と本書で述べられているとおり、農耕が”草原の経済学”を突破する嚆矢であったという説には説得力があるのではないでしょうか。

 

-農耕開始以前の狩猟時代の方が豊かだった?!-

「農耕開始以前の狩猟時代の方が人類は豊かだった」「農耕は非効率だった」ということも本書では指摘されています。(このあたりのことは『サピエンス全史』でも触れられていますが)

それには当時の自然環境が多分に影響しており、狩猟時代は現在よりも温暖・湿潤な環境に恵まれていたようです。それが1万1千年前の「ヤンガー・ドリアスの突然の寒のもどり」で森の資源が激減し、食料危機に直面、食うに困って、仕方がなく始めたのが「農耕のはじまり」なのだというのです。

-農耕がもたらした文明と文化-

必要に迫られて”仕方なく”始めた農耕ですが、思わぬ副次効果をもたらします。それが「文明と文化の発展」です。海上先生は、

人口増加が決定的になった時期はポンティングによれば紀元前5,000年、ちょうど古代文明が登場した時期にあたる。大規模な定住化によって人口は1000年間で二倍になるペースを保ち、紀元前1000年に5,000万人、次の500年間で1億人、さらに紀元200年には二億人に達したという。こうしてみると、環境問題を加速させる区切りとしては、農耕以上に文明の登場が重要な意味をもってくるのかもしれない。


と指摘します。

現にアステカ文明、インカ文明、エジプト文明等々、いくつもの文明が生まれましたが、いずれの文明も基本的は肥沃な土地に農耕をするために人が集まり、その”人の集まり”が、やがて都市を生み、複雑な社会の調整の中で分業システムが登場することで、文明を形作っていきました。

 

■西欧文明とは”窮髪不毛の地”の文明

上記のように人類の歴史においてはいくつもの文明が、いずれも独自の発展によって他には見られない特色をもった文明でした。
では、現在、世界を覆っている現代文明(=西欧文明)はどのような文明であると言えるのでしょうか?

本書では、ヨーロッパの大地はそもそも”農業に最適とは言えない土地である”ということが指摘されています。気候そのものも寒冷地であり、降水量はローマやパリ、ロンドンでも東京の3分の1程度にしかならないと。
日照量や雨期の時期も日本と比べて決定的に異なっており、

「ヨーロッパの雨期は冬であり、作目の本格的な生育前に梅雨がある日本とでは決定的に条件が異なる。一年間を通しての日照量そのものも不足している。夏前に大量の雨量、夏場に強烈な日照量を誇る日本は、いかに農耕に適していることか」


と述べられています。

このため16世紀ごろ、当時のヨーロッパと東アジアとでは生産力に”超えられない壁”が存在し、東アジア<50>に対してヨーロッパ<1>であったそうです。
この国力差、大地の貧しさから言えば、西欧文明とは”窮髪不毛の地”(きわめて遠くへんぴで草木のはえない土地。不毛の地)の文明だったと言い切っても差し支えないように思います。

現在の世界史では、さも「人類の誕生その時から西欧文明が世界の最先端であった」かのような印象を受けますが、生産力、国力、さらには軍事力においても西欧文明はアジアに対して「虎の前の猫」状態だったのです。

このあたりは憲政史家の倉山満先生が常々発言されている

「今の世界史はニセモノ東洋史とニセモノの西洋史の野合。ヨーロッパはオリエントに負けっぱなしだった。チャイナは北方騎馬民族に負けっぱなしだった。西欧やチャイナは世界の中心ではなかった。」(『誰も教えてくれない 真実の世界史講義 古代編』の紹介文より)

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という視点と折り重なってくるところが非常に面白いところです。

 

-窮髪不毛が生んだ”エネルギー生産の限界突破”-

では、なぜ、他の文明と比較しても生産力、国力に見劣りしていた”西欧文明”が現在のように圧倒的優勢を極めるに至ったのでしょうか?

海上先生はそこに産業革命の存在を挙げ、そして産業革命が起こったその理由を環境思想の観点から鋭く考察します。
上述したように、産業革命以前の西欧文明は自然環境の過酷さや農耕に適さない土地柄のために自然環境を利用する力に乏しく、結果として、他の文明と比して著しく国力が劣るという結果をもたらしていました。
 
そんな西欧においては「自然とは”恵み”をもたらすものではなく、過酷な”試練”を与えるものであり、克服すべきもの」であるとされ、自然を人類の対立軸に置く「自然克服思想」が生み出されました。
さらにキリスト教の教義をも利用することで、後述するように、規模の拡大のために森林を破壊すること、「自然を搾取すること」を正当化させていきます。
 
また、人類に必要なものと言えば究極的には「食糧」と「エネルギー」の2つであり、どちらも森林など地表に存在する草木から得なければならないものでした。少なくとも”産業革命以前まではそうだった”と言えます。
 
西欧文明はそれに対してどのように対応したのか。
「窮髪不毛の地」であったが故に、西欧文明は森林に替わる”代替エネルギー”を「地下資源(石化燃料)」に求めるようになります。石炭・石油です。
 
こうして「窮髪不毛の地」から生まれた「自然克服思想」が「地下資源(石化燃料)の有効利用」という発想をもたらし、「産業革命」という形で結実したことで、結果として、それまでとは一変した「爆発的な生産力」を生み出すことになります。
 
もし万が一、西欧が豊かな自然に恵まれた土地に存在していたのであれば、決して「石化燃料の有効活用」などという発想が生み出されることもなかったのではないでしょうか。
ですが、「窮髪不毛の地の文明」であったがゆえに、西欧文明は石炭に着目しました。
 
そして石炭は、森林であれば一度伐採したら次の発育まで待たなければならないところを、石炭であれば、「掘り続け、採れ続ける限り、生産は無制限に行える」という特質、恐るべき生産力を有しており、それまでのエネルギー生産の限界を突破してしまいました。
 
農耕によって草原の経済学の限界を突破した人類は、産業革命によって、ついにエネルギー生産の限界を突破しましたが、それをもたらしたのが”窮髪不毛の地の文明”であるというのは逆説的とも言えるのではないでしょうか。

■攻撃的文明(Aggressive civilization)-自然克服と帝国主義- 

エネルギー生産の限界を突破した西欧文明ですが、その文明の起点である思想に「環境克服思想」という恐るべき攻撃性を秘めた思想を内包していました。

そもそも「環境克服思想」はデカルトニュートンパラダイムをその本質とする「二元論」の上に成り立つ思想であり、それが故に「人間」と「自然」を対立関係に置かざるを得ないものであったことから、海上先生は、 

「現代文明とは、自然克服思想をともなって拡大してきたヨーロッパ文明の延長上に生まれてきたものである。」

 

ニュートン主義者によって有機的秩序は徹底的に否定されていく。科学主義はデカルトが描いたように、自然を人間の外側の存在として精密な機械のように分析した。同時にそこでは、フランシス・ベーコンが描いたように、自然は征服されるものとみなされていた。」


と指摘します。 

これがさらに拡大解釈されるとどうなるか。
「文明とはヨーロッパ文明だけであり、他の地域には文明などはない。未開である」という意識が生まれます。”未開”とはすなわち”自然”であるということです。
となれば、未開の地に住む人類とは野蛮人(=自然)であり、当然に征服すべき対象、搾取すべき対象となります。
帝国主義、植民地支配の概念の誕生」です。
ここまでくると、

「歴史家フレデリック・J・ターナーによるフロンティアの定義、「文明と未開が出会う場所」はアメリカ民主主義形成のおおもとが「未開に対する文明の勝利」というかたちでの「自然克服思想」の一つの現れであることを示すものである。いみじくも「死んだインディアンだけが良いインディアン」というスローガンがあったが、アメリカ植民地人にとって先住民族は伐採されるべき森林と同じ「自然」とみなされていた。」

 

「植民地獲得が、自然克服の現れであることは明白である。」


とする海上先生の指摘に首肯せざるを得ないのではないでしょうか。

また、現代文明をひとつのシステムとみなした場合、
「地下の鉱物資源を利用して画一的な大量生産を集中的に行うものであり、そのために生産と資源浪費、そして汚染は無限に拡大する傾向をもち、その製品を売り払うために世界全体を一つの枠組みに組み込んでいくシステム」であるといえます。

上記の帝国主義とシステムとしての”画一性”、”汚染の無限拡大”が組み合わさった結果もたらされたのが「世界規模での生態系の破壊の進行」です。

本書では北米で50億羽いたリョコウバトが絶滅したこと、18世紀から19世紀にかけて米国がクジラを乱獲していたこと、イギリスがビルマの約400万ヘクタールもの森林を伐採したことがなどが取り上げられ、

「これらの傲慢で残虐な侵略と支配の背景にあったのが、自然克服の思想である。それがナショナリズムと融合し、ヨーロッパ至上主義へと変形していったのである。」


と指摘されています。

 

■現代文明における環境思想~環境克服思想の呪縛と『サピエンス全史』

ヨーロッパの願望、自然と他民族への搾取と破壊を可能にした産業革命ですが、大気汚染やスラム化の悪化に伴い徐々にそれを反省する態度が現れ、それが今日の「環境思想」を形作っていきます。
現在における環境思想にはネオ・マルサス主義、生態系保存論、動物開放、ソーシャル・エコロジー、ディープ・エコロジー等々、様々な考えかたが存在しており、百花繚乱の様相を呈しています。

ですが、いずれの思想も思想様式そのものは、自然克服を導いた様式から変化したとは言い難く、未だに環境克服思想の呪縛に囚われているに過ぎないとの印象が拭えません。

-『サピエンス全史」はマルサス人口論』の焼き直しなのか-

そして「環境克服思想の呪縛」から逃れられていないのは、どうやら環境思想だけに限られた話ではないようです。冒頭に紹介した『サピエンス全史』もその思考様式として”自然克服思想の延長上にある”ようです。

 

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『サピエンス全史』の紹介でよく取り上げられるエピソードとしては「人類は小麦によって家畜化された」、「国家や共同体、貨幣などは虚構”フィクション”に過ぎない」、「サピエンスは超サピエンスにとって代わられる」というものが挙げられます。
たしかにオリジナリティに溢れた視点であり、真理をついている面があるのも否定しませんが、「救いようがない」、「あまりにも悲観に過ぎるのではないか」との印象を抱く人も多いのではないでしょうか。
 
むしろ、「従来の歴史学に欠けていた視点を取り上げた」というわりに、サピエンスと超サピエンスの関係性などは自然克服思想から派生した社会的ダーウィニズム、すなわち「古き未開は新しき文明にとって代わられる」というテーゼがそっくりそのまま踏襲されており、「単に超サピエンスを新しき文明側に、サピエンスを古き未開へと、その立ち位置を変えてみただけの、置き換えに過ぎないのでは?」と思ってしまいます。

また『サピエンス全史』著者ハラリ氏はインタビューで

「問題なのは、経済成長はある一定レベルに達した以降は、必ずしも幸せに結びつかないということ。物を買うことが幸せにつながらない段階が訪れます。集団でも、経済の成長がすべての問題の解決をもたらすわけではありません。経済成長を追求すれば、生態系には大きな危機が訪れる


と語っています。

現在においては、経済成長と自殺者数には明確な相関関係があること(経済の停滞は自殺者の増加をもたらす)や、ヒトラーが率いたナチスなどは不況下であったからこそ、将来に希望が持てない民衆から支持を得て、その勢力を伸ばしたことが経済学の見地から明らかとなってます。

「経済成長不要論」を訴えるということは、「自殺者が増えても構わない」ホロコーストが起きても構わない」と言っていることに等しいのだということをハラリ氏は認識しているのでしょうか。

また、「経済成長」を「人口増加」に置き換えたならば、現在では”過去の遺物”となっているマルサスの『人口論』(人口増加の幾何学的伸びに対して、土地生産力に依存する食糧増加が代数的な伸びしかしないことに注目し悲観的な予測をしたことで有名)と全く同じロジックになる点も気がかりです。
 
ハラリ氏は「虚構」というキーワードを用いて人類史の真実を暴くという試みを『サピエンス全史』全編を通じて実践していますが、図らずも彼自身の言葉そのものが修辞(レトリック)という名の虚構で彩られている点に注意しなければならないのではないでしょうか。 
  

■環境克服思想を突破せよ 「対立」から「共生」へ

環境克服思想の呪縛に囚われた思想のその先には何があるのか-。
『サピエンス全史』では

私たちはかつてなかったほど強力だが、それほどの力を何に使えばいいかは、ほとんど見当もつかない。人類は今までになく無責任になっているようだから、なおさら良くない。物理の法則しか連れ合いがなく、自ら神にのし上がった私たちが責任を取らなければならない相手はいない。その結果、私たちは仲間の動物たちや周囲の生態系を悲惨な目に遭わせ、自分自身の快適さや楽しみ以外はほとんど追い求めないが、それでもけっして満足できずにいる。
自分が何を望んでいるかもわからない、不満で無責任な神々ほど危険なものがあるだろうか?


との言葉で、その最後を締めくくります。

確かに、人類は今までになく無責任であり、動物や生態系を悲惨な目に合わせ、自らの快楽しか興味のない、にもかかわらず決して満足出来ないでいる、「不満で、無責任な神々」なのかもしれません。

ですが、その一方で、謙虚さをもち、動物を、自然を慈しみ、時として自分の命すら省みず、他者の命を救おうとする、慈愛、思いやりの心といった「良き面」を持っているのもまた人類なのではないでしょうか。

本書『新・環境思想論―二十一世紀型エコロジーのすすめ』では、海上先生は”今後のあるべき姿のひとつ”として、東洋思想、日本の文化伝統に基づいた「環境思想」を提示します。
それは神道仏教、あるいは儒教といったものに根差した考え方、すなわち「多様性」や「アニミズム」、「寛容の精神」を取り入れた「調和と共生の環境思想」と言えます。

「調和と共生の環境思想」においては、「経済成長」と「自然保護」すら対立しません。なぜなら「自然エネルギーの直接利用」と「スモール化」を推し進めることで「経済成長が環境破壊をもたらす」という因果を打ち破るからです。

(海上先生のすごいところは、この「調和と共生」という考え方を単に理念的なものとして唱えるのではなく、そこに戦略研究家としてのリアリストの側面を添えることで、極めて実践的な、現実社会で実現可能なレベルにまで具現化させている点にあると言えます。これに関しては『環境問題の戦略的解決』 で詳しく描かれており、こちらも必読の書と言えます。)

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欧米のような「自然克服」と、それへの反動としての「反人間」という二元論的対立構造ではなく、「自然から価値を得る経済」と「自然と社会の中間地点の意識」という「自然は人間の大切な友達なのだ」という視点に基づいた「調和と共生の環境思想」-。
 
現代の私たちに必要なのは、「不満で、無責任な神々」だと自らを卑下するのではなく、むしろ自らの「良き面」にもスポットを当て、未来を切り開く努力をすることなのではないでしょうか。
 
お薦めです!

 

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