書評『駆けぬけて、テッサ!』 主人公の“危ういほどの一途さ”。 「BLIND」に込められた意味を考えさせられる。 

 主人公の“危ういほどの一途さ”。 「BLIND」に込められた意味を考えさせられる。

 

 『駆けぬけて、テッサ!』山内智恵子訳 感想 

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普段は、読む本と言えば大抵は政治学社会学、ビジネス書、経営、戦略、歴史、自己啓発本等々のいわゆる実用書ばかりで、小説のたぐいのようなものはまるっきり読んだことは無いのですが、偶然、「本が好き!」で、本書のレビューを目にし、(http://bit.ly/2cBoTNn)、また本書の翻訳者である山内智恵子さんが翻訳された児童絵本「ふしぎなトイレくん」http://amzn.to/2oFlhUl

を以前に読んだこともあったことから、不思議な縁を感じ、思い切って読んでみました。
 
■主人公の“危ういほどの一途さ”
本書で一番、強烈な印象を与えるのは何を隠そう主人公の“テッサ”ではないでしょうか。
その“一途な性格”は時に“狂気じみている”印象すら与えます。
その一途さが“負の要素”から発せられた場合は“狂気”、“正の要素”から発せられた場合には“目もくらむような美しさ”を発するような、何とも形容しがたい”危うさ”を内包しているように思えてなりません。
 
それがそのまま、素行不良というレッテルを張られ、悪い方に向かっていたら主人公はただの”危ない不良少女”になっていたのかもしれませんが、主人公が持ち合わせている“眩いばかりの光”という“資質”に気付いた周囲の大人たち、或いは仲間によって、主人公は人間的に大きく成長していきます。(むしろ主人公の資質に気付くのが最も“遅い(あるいは気づかないまま)なのが両親)
 
■「BLIND」に込められた意味
原題「BLIND BEAUTY」は素直に訳すと「盲目の美」という意味になるそうですが、「BLIND」という単語には「盲人、見る目がない、気が付かない、盲目的、行き当たりばったり」という意味もあるそうです。
 
本書では「目の不自由な存在」として、主人公が最も大切にしている「親子二代の愛馬」が登場しますが、子供の資質に対して最も“目の不自由な存在”、“無理解”な存在として、両親は描かれているように思います。
「本書で描いた親は子供に対して無理解な存在でしたが、この本を読んでいるあなた自身はどうですか?」と作者から問われているような気になってしまいました。
そういう意味においては「親のための児童書」ということもできるのではないでしょうか。
  
本作のストーリーに感動しつつも、色々と考えさせられることが多かったです。
改めて良い本に出会えてよかったと思いました。

 

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