書評『工作員・西郷隆盛 謀略の幕末維新史』 義に生き、義に殉じた、”稀代の工作員” #倉山満 #倉山工房 #講談社 #西郷隆盛 #せごどん #大久保利通 #インテリジェンス

【書評】

倉山満著『工作員西郷隆盛 謀略の幕末維新史』

義に生き、義に殉じた、”稀代の工作員

 

 

 

■南洲翁は聖人君子にあらず

西郷隆盛といえば「いいひと」、「いいひと」と言えば西郷隆盛
近現代の歴史上の偉人の中で、これほどまでに「いいひと」と言われている偉人も珍しいのではないでしょうか。

実は、そんなに西郷さんについて詳しく知っているわけではなかったので、本書『工作員西郷隆盛』と前後して、
西郷どんとよばれた男』(原口泉著)
西郷隆盛明治維新』(坂野潤治著)
西郷隆盛 - 維新の功臣 明治の逆賊』(相川司著)
西南戦争』(小川原正道著)
あたりも読んでみたのですが、やはり西郷さんは一般的なイメージで語られるような、聖人君子的な人物ではなく、
「気難しく、気まぐれで、人の好き嫌いが激しい、好戦的で、妥協を知らない、破滅的な性格だった」
と言うのが本当のところのようです。
  
ですが、それでも西郷さんが「いいひと」であることには変わりはありません。
  
聖人君子的な「いいひと」ではなかったかもしれませんが、誠実で一度約束したことは必ず実行する、絶対に相手を裏切らない、清廉潔白な人物という意味において「いいひと」だったのです。
 
工作員なんていうと、スパイ映画でお馴染みのように、騙し合いの世界のはず。ならば、そんな”いいひと”に工作員みたいなマネが務まるわけないだろう」

と思ってしまいがちなところですが、実際はむしろその逆で、「誠実ないいひとであること」が優秀な工作員(インテリジェンス・オフィサー)の第一条件なのだそうです。
  
本書でも著者の倉山先生が、

「スパイというと、人を裏切るのが仕事と勘違いしている人がいますが、そのようなことは一生に一度あるかどうかです。」 

「実際の活動では、人と信頼関係を築き、そこから情報を取るのがスパイの仕事なのです。」

と指摘されていますが、同様のことを警視庁公安部長、警察大学校長を歴任したインテリジェンスの専門家、元内閣情報調査室長の大森義夫氏が述べています。 

大森氏の著著『インテリジェンスを一匙』によれば、

「インテリジェンスは騙されたり、騙したりのビジネスだ。それだからこそ人を裏切らない誠実さが第一である。」

 なのであり、イスラエルが世界に誇る対外諜報機関モサド」においても「正直は一番安全な嘘である」という格言が残されているそうです。

 

また、西郷さんと言えば、皆から「西郷どん」と親しみを込めて呼ばれるような愛されるキャラクターの持ち主でもありましたが、そういった側面も”工作員としての西郷隆盛”にとってプラスに働いていたようです。
 
現代の国際社会において最も有名な工作員といえば、ロシアのプーチン大統領旧ソ連の情報機関KGB出身)をおいて他にいませんが、TVで見る”コワモテ”のプーチン大統領のイメージからは想像もできませんが、意外にもプーチン大統領「人たらしの名人」と呼ばれており、驚くほど愛想が良いのだそうです。
 
クレムリン・ウォッチャー(ロシア情報通)の間では、「あの愛想のよさは典型的KGB「とろけるように心酔する者もいる」と評されおり、木村汎著『プーチン 内政的考察』によれば、プーチン大統領本人も自分自身のことを「人間関係の専門家」と豪語しているのだとか。
(そう言えば、現代の私たちが一般的にイメージする西郷さんも、晩年の長年の病気や不健康がたたって、肥満体になってしまった西郷さんであり、青年期や30代のバリバリの頃の西郷さんは、大柄ではあっても、肥満体ではない、がっしりした力士(貴乃花のような感じでしょうか)のような体型だったと言う話もあるそうですから、意外とプーチン的な雰囲気を醸し出していたのかも。)

  
激動の幕末において「薩摩に西郷あり」と名を馳せていく過程や、征韓論争の際も多くの士族たちが西郷さんを慕い、共に下野していったことを思うと、西郷さんの”工作員気質”がここでも発揮されたのではないだろうかと思わずにはいられません。


■寡兵で大軍に勝利し、無血クーデターをも成功させた稀代の策略家

西郷さんの評価の中で大きく意見が割れるものと言えば、戦争指導力もそのひとつでしょう。
どうしても西南戦争のずさんな戦争指導が脳裏から離れず、それがゆえに、「西郷さんは戦争下手だった」「西南戦争に負けたのも実戦経験に乏しかったのが敗因だ」と論評する人も少なからずいるようです。
 
人それぞれ異なる意見があって然るべきですが、やはり西南戦争はかなり特殊要因が絡み合ったものであって、西南戦争でもって西郷さんの戦争指導力を推し量ろうとすると、訳がわからなくなる気がします。 
むしろ、積極的に論じるべきは、西郷さんが鳥羽・伏見の戦いで、寡兵でもって大軍に勝利し、かつ廃藩置県という「事実上の無血クーデター」すらも成し遂げているという点ではないでしょうか。
 
鳥羽・伏見の戦いでは、”怪物政治家”徳川慶喜を戦場に引きずり出すという離れ業をやってのけ、あまつさえ薩長5千VS幕府軍1万5千という圧倒的劣勢であったにも関わらず、錦の御旗を掲げることに成功し、完勝
廃藩置県も本来、下級武士に過ぎない西郷さんや大久保の手によって主君筋の大名たちの土地が取り上げられるという「大政変」にもかかわらず、ほとんど抵抗らしい抵抗もさせずに成就させます。
 
このあたりを見誤ると、なぜ青年時代の古傷がもとで刀すら満足に振ることができない西郷さんが陸軍大将・近衛都督を兼任するなど、新政府の軍事部門を一手に引き受けていたのか分からなくなるのではないでしょうか。
西郷さんは戦わずして勝つ、情報戦の天才だったのです。

 

■双璧の争覇戦 ~「友情の岐路となった岩倉使節団」~

本書のクライマックスとして第5章のエピソード「友情の岐路となった岩倉使節団を語らずにはいられません。
幼少期からの竹馬の友として、維新の同志として、常に行動を共にしてきた大久保利通と違える日が来ようとは、当の本人たちも夢にも思っていなかったのではないでしょうか。
 
それまでは、互いに異なる境遇、立場に置かれることはあっても、所詮は日本国内での話。志を共有することは、さほど難しくはなかったのかもしれません。
 
それが、一方は使節団に参加し、世界を見聞してきたことで、明治新国家へのビジョンも想いも新たにしてくる一方、片方は基礎固めすらできていない、スキャンダルばかりの留守政府を預かる身。
そもそも西郷さんは、パーマストン砲艦外交にも似た、武力を背景にした交渉を得意とするのであって、内政はからっきしです。当の本人もそれがわかっているから固辞していたのでは。
 
だからこそ、江藤新平らを排除せんがために、大久保が政争を仕掛け、(大久保にとっても不本意でありながらも)江藤らとともに西郷さんを排除したこと自体が、西郷さんにとって「裏切り」と映ったのではないでしょうか。
 
大久保の方は、明治新国家の道筋を立てるためには、自分が政権に復帰する必要がある。そのためには江藤らを排除せねばならない。西郷さんを巻き添えにすることになったとしても、それは”一時的なもの”であり、裏切りではない。きっと西郷さんなら自分の考えを判ってくれる、と思っていたのかもしれません。
 
ですが、根っからの工作員である西郷さんから見れば、どう映るのか。

前述の通り、工作員にとって義を重んじることは大前提であり、裏切りは一生に一度あるかないかです。それを大久保は仕掛けてきた。つまり「生まれてから今日に至るまでの二人の関係全てを無かったことにする」と言っているにも等しかったのかもしれません。
もしくは、工作員としての自身のプライドを激しく傷つけられたがゆえなのか-。
 
そう思うと、その後の二人が決して和解することがなかったことや、ただただ状況に押し流される遭難船かのように西南戦争を進めていったことにも説明がつく気がします。憶測ですが。
 
とは言え、大久保も「地下で謝るしかない」と発言していたことや、西郷さんの死の報せを聞いて「泣きじゃくっていた」そうですから、西郷さんがどう思っていたのかうすうす感じていたのかも知れません。
また後の大久保の非業の死の遠因が自らの死にあることを知ったならば、地下で泣いて詫びたのは西郷さんの方かもしれないと思うと、なんだかやるせない気持ちになります。
 
二人の思いがすれ違っていくその様子が、なんだか銀英伝のミッターマイヤーとロイエンタールを想起させるのは気のせいでしょうか。


■愛の西郷、義の西郷

NHK大河の「西郷どん」は、「人を愛し、故郷を愛し、国を愛し、民を愛し…“見返りを求めない愛”を与え続けました。人は親しみを込めて、男を『西郷どん(セゴドン)』と呼びました。」というキャッチコピーにもあるとおり、”愛”という観点から西郷さんを描いているようです。
原作小説の『西郷どん』もナナメ読みしてみましたが、確かに色んな意味で”愛”に溢れた一冊でした(苦笑)
 
一方で本書は、義という側面から西郷さんを描いていると言えます。
工作員西郷隆盛」とは「決して裏切らない、義の男、西郷隆盛」を言い換えたものと捉えてもいいのかも知れません。
『西郷どん』も多くの参考文献、専門書に裏付けされた内容のようなので、『西郷どん』と本書『工作員西郷隆盛』を読み比べてみるのも面白いかもしれません。
 
少なくとも私自身は、本書『工作員西郷隆盛』を読んだ上で、『西郷隆盛 - 維新の功臣 明治の逆賊』(相川司著)や『西南戦争』(小川原正道著)あたりを読むと、すんなり頭に入ることが出来ました。
 
おススメです!