書評『川中島合戦:戦場で分析する古戦史』 流星光底、<天>を逸す~川中島は辺境の縄張り争いに非ず!天下統一の準決勝だった永禄四年の死闘~

書評『川中島合戦:戦場で分析する古戦史』

amazon http://amzn.to/2ms68lg 

書評サイト本が好き!http://bit.ly/2lH6cz1 

流星光底、<天>を逸す ~川中島は辺境の縄張り争いに非ず!天下統一の準決勝だった永禄四年の死闘~

江戸時代の儒学者、史家の頼 山陽は川中島の戦いを題材にして次のような句を詠んだと言われています。

鞭聲肅肅夜河を過る
曉に見る千兵の大牙を擁するを
遺恨十年一劍を磨き
流星光底長蛇を逸す


(意味)
馬にあてる鞭の音もひそやかに、上杉勢は夜陰に乗じてひそかに河を渡った。夜明け方、川霧の晴れ間から上杉の大軍が、大将旗を押し立てて、武田勢の前に陣取っているのが見える。謙信にとって返す返すも残念なことは、長い年月の鍛練で磨いた腕前もかいなく、流れ星のきらめく一瞬の差で、強敵信玄を逃がしてしまったことだ。
 
「流星光底長蛇を逸す」の「流星光底」とは振り下ろす刀剣の閃光を流星にたとえた言葉であり、「長蛇」は「大きく長い蛇」の意味から転じて、「大きな獲物」や「またとない機会」を表すのだそうです。
 
一般的には、「長蛇」とは”強敵・信玄”のことを指すと解説されることが多いようですが、果たして本当にそうだったのでしょうか?
 
謙信が取り逃してしまった大きな獲物、「長蛇」とは、”信玄”ではなく「天下」そのものだったのではないか-。
 
本書を読めばこう思わずにはいられません。
 
著者の海上知明先生は孫子経営塾理事も務められる「孫子」専門家であり、古今東西の戦略・地政学に精通した地政学的戦史分析の第一人者です。
そんな海上先生が命を削る思いで書き上げたのが本書であり、今までになかった視点、すなわち地政学的観点、戦略的観点から俯瞰して「川中島合戦」を捉え、「川中島」という場所の重要性を看破することで、「永禄四年川中島合戦」の結果が、その後の東国、ひいては天下の行方を決定づけたのだということが論じられています。
 
孫子の体現者、”バランス・オブ・パワー”の武田信玄
本書では武田信玄孫子の体現者」として描かれており、信玄の軍事戦略、権謀術数は全て「孫子」に忠実に従って実行されていたのだと指摘されています。(信玄の象徴として有名な軍旗風林火山孫子から引用したもの。)
 
孫子」を忠実に実践したと書くと、まるで「マニュアルバカ」のように聞こえるかもしれませんが決してそうではありません。何よりも孫子そのものが戦略の原理原則を書き記したものであって、読むだけなら誰でも読めますが、実践しようと思えば、これほど難しいものはないという書です。(それだけ普遍性が高いとも言えますが)
 
その孫子を体現するという域にまで高めるというのは並大抵のことではありません。海上先生も「最もよく孫子を体現したのは、魏の曹操と信玄ぐらいではないか。」と指摘するぐらいです。
 
このように信玄が当代きっての名将だったことは現在においても広く知れ渡っていますが、そのイメージが強すぎるためか、実は信玄が当主となった頃の甲斐という国は強大国に挟まれた新興勢力に過ぎなかったということは、意外と忘れられている事実なのではないでしょうか。

甲斐から見て西側にある東海地方には今川氏が、東側にある関東地方には北条氏が既に一大勢力を築いており、甲斐はその二大勢力に挟まれるという位置関係にありました。
 
このため二大勢力から脅威と思われないようにする必要性があったのでしょう。周辺諸国を過度に刺激するような、合戦という目立つ形の勢力拡大ではなく、謀略を巡らすことで自国の勢力拡大を図ります。
 
そして二大勢力の間で、一定程度の勢力を持つことで、今川氏の勢力が拡大すれば、北条側について今川氏をけん制する。北条氏側の勢力が拡大すれば、逆に今川氏につくという形でバランスをとる、東国の勢力均衡のバランサーの役目を演じることに当初は徹します。
 
かの有名なSF歴史小説銀河英雄伝説でいうところの商業惑星国家フェザーンのような立ち振る舞いといったところでしょうか。

信玄というと戦場の強さ以外にも謀(はかりごと)に長けていたイメージがあるのも、周囲を強敵で囲まれた中で発揮した処世術に起因しているのかもしれません。
 
私の中の信玄像としては、周囲には自らと同じ力量を持つライバルが存在するも、智勇に優れ、あらゆる面において高レベルであったという点で、銀河英雄伝説でいうところの”帝国の双璧”、オスカー・フォン・ロイエンタールを想起させます。(ついでに言うと父親と確執を持っていたというところもよく似ている気がします。)
 
孫子の超越者、”第一義”の上杉謙信
では、一方の謙信はというと、その軍事的才能信玄のそれの、さらにその上をいくものだったと海上先生は指摘します。
勿論、謙信も「孫子」を学んでいたはずなのですが、本書で描かれているあまりにも完璧な作戦行動「戦術は謙信、戦略は信玄」という通説を吹き飛ばさんとばかりに孫子の体現者」たる信玄を意のままに操るその様子は、むしろ孫子の超越者」と形容したくなるほどです。
 
また「義」を貴び、領土的野心が一切なかったというのも合理主義的思考からは程遠く、常人離れしていたと言えます。
一言で言えば、天衣無縫の孤高の天才というべきなのかもしれません。

謙信を銀河英雄伝説でたとえるならば”常勝”ラインハルト・フォン・ローエングラム”不敗”ヤン・ウェンリーを足して2で割った人物というのが最も適切な表現ではないでしょうか。

地政学から見た”川中島”~辺境の縄張り争いに非ず~
そんな当代きっての名将同士がなぜ川中島で激突したのか-。
諸説ありますが、互いに肥沃な土地である信濃の掌握を企図したからだとか、威信政策のひとつだとか、単なる辺境地域での縄張り争いに過ぎないという見解も多く見受けられるようです。
ですが、本書ではそれらの諸説を地政学的見地から否定し、「天下に覇を唱える」ための必然性の中に川中島という地があったということを明らかにしています。
 
川中島がなぜ天下の帰趨を決する要所と言えるのかについて、海上先生は地政学ハートランド論・リムランド論)から論じておられますが、日本地図で見る川中島は、まさに互いの国力がぶつかり合う海峡の如き”交通地域”であり、さらに川中島攻略のその先に「上洛へのルート」が開けてくるそのさまは、「リムランドを制するものはユーラシアを制し、ユーラシアを制するものは世界の運命を制する」というテーゼがそっくりそのまま活きてくる、まさに”リムランド”そのものであるかのようです。
そういう意味において、川中島合戦」は天下に覇を唱えるための”準決勝戦”だったというのが最も適切な表現なのかもしれません。

 
■「永禄四年川中島合戦」 ~決戦を強要する謙信、引きずり込まれる信玄~
そんな歴史の必然の中にあった”川中島での戦い”でもハイライトと言えるのが「永禄四年の第四次川中島合戦」であり、幾度となく行われた戦いの中でも最も激しい激戦であり、その後の両雄の運命を決したと言っても過言ではない一戦であるように思います。

海上先生も「永禄四年川中島合戦」をして「世界の戦史史上、類を見ないほどの高度で精緻なレベルの知略戦であった」と評していますが、中でも特筆すべきは、謙信の”芸術的”とも言える戦略・戦術ではないでしょうか。
 
この時の謙信の戦争目的は「武田軍を殲滅する(!)」です。
そしてこのとんでもない目標を謙信は「戦術は謙信、戦略は信玄」という通説が妄言に思えるほどの完璧さでもって信玄を追い込んでいくことで実行していきます。
 
そもそも信玄だって「孫子の体現者」の名を戴く名将であり、並みの武将ではありません。途中で謙信の意図に気付き、何とかその術中から抜け出そうと知略を尽しますが、それすら謙信は見通していたかのようなその様は、「銀河英雄伝説」において、戦場における卓絶した心理学者であり、魔術と評される自在の戦術を弄したヤン・ウェンリーを想起させるかのようです。
 
そして追い詰められた信玄も意を決して”決戦”に打って出たのが世に言う武田別働隊による「啄木鳥(きつつき)戦法」です。
この「啄木鳥戦法」についても海上先生は当時の戦場の様子や軍の配置、そこに至るまでの経緯から、通説とは異なる見解を述べられていますが、私としても海上先生の見解の方がより説得力があるように思います。
 
■謙信、唯一の誤算~武田軍、精強なり~
「永禄四年川中島合戦」の戦果を冷静に評価した場合、「謙信の圧勝」となるのではないでしょうか。「9:1で謙信の勝ち」であったように思います。
ただ、謙信の唯一の誤算が「10:0」ではなく、「9:1」と「1」を残してしまったことにあると言えるのではないでしょうか。
 
それはとくもかくにも武田軍の精強さに尽きるように思います。家康・信長程度であればひとたまりもなかったであろう、謙信の猛攻を耐え抜き、甚大な被害を被りながらも「1」を勝ち取ったのですから。
 
元々プロパガンダにも優れていた信玄はこの「1」を喧伝することで「2」にも「3」にも増やし、結果として今のパブリックイメージ「戦術は謙信、戦略は信玄」という所まで持ってきているのですから、やはり信玄も只者ではありません。
 
何より痛恨だったのは「1」を残してしまったこと、すなわち武田軍が存続することになったことで、東国のバランス・オブ・パワーが固定化されてしまったことです。これにより「川中島を経由しての上洛」というシナリオの実現可能性もゼロに等しくなってしまいました。
ここに至ってようやく信玄も、謙信もそれぞれ別の上洛ルートを模索し新たな戦略を構築し始めることになります。
 
川中島」に費やした12年もの歳月、そしてその結果閉ざされてしまった「川中島上洛ルート」は、結果として信玄、謙信双方に天下獲りへの大きな迂回を強いる結果となりました。

■流星光底長蛇を逸す
冒頭でも述べた通り、「長蛇」は「大きく長い蛇」の意味から転じて、「大きな獲物」や「またとない機会」だとされているそうです。
その一方で、中国には「蛇は1,000年生きると龍になる」という伝承もあり、「龍」と言えばまさに天高く舞い上がる”栄達”の象徴であり、「長蛇」とは途方もない大きさの”栄達”、すなわち「天下統一」と捉えることもできるのではないでしょうか。
 
もし「川中島合戦」がなかったら、もし謙信、信玄どちらかが相手を殲滅していたならば、”長蛇”は誰の手中に納められていたのでしょうか。
 
地政学、戦略の中にも歴史の「if」を感じさせる素晴らしい一冊でした。
おススメです!

f:id:ScorpionsUFOMSG:20170310023139j:plain