『梧陰存稿 五倫と生理との関係』を読む~教育勅語は儒教にあらず、自然の摂理に根差すものなり #教育勅語 #井上毅 #聖徳太子 #儒教 #五倫 #和を以て貴しとなす #自然の摂理 #梧陰存稿

『梧陰存稿 五倫と生理との関係』を読む

教育勅語儒教にあらず、自然の摂理に根差すものなり

 

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■梧陰存稿収録「五倫と生理との関係」

本文は『教育時論』第351号(明治28年1月15日号)に発表されたもの。

 

五倫とは、儒教の教えである

「父子の親(親愛の情)」、

「君臣の義(地位や事態に応じた適切な態度)」、

「夫婦の別(男女の区別)」、

「兄弟の序(兄弟間・長幼間の序列)」、

「朋友の信(友人間の信義・誠実)」

のことで、その内容は一見、教育勅語そのものであるかのように見えます。

   

ですが、本当に教育勅語儒教の教えを説いたものなのでしょうか?

  

教育勅語発布は現場からの嘆願~教育現場の混乱~

そもそも教育勅語はなぜ発布されたのか。

文科省HP掲載の学制百年史「明治憲法教育勅語」-「教育勅語の起草と発布」によれば、

「条約改正問題を控えて欧化主義思想が国内を支配し、従来の徳育の方針と激しい対立を示すようになった。そして徳育の方針に関し、論者は互いに自説を立てて論争し、いわゆる「徳育の混乱」と称せられる状況を現出した。」

とあります。

これが教育の現場にも多大な混乱を招いたことに地方長官たちも困り果て、徳育の根本方針を文教の府において確立し、これを全国に示してほしいという趣旨の建議を提出したことがその発端であると記されています。

 

教育勅語と言えば、何だか上から下へ押し付けたものという印象が未だにまかりとおっていますが、実際は、下からの嘆願に応える形で作成されたものと言えます。

 

また、現場の混乱を収拾するために作成したのであれば、ある特定の学派に偏った教えであっては混乱が収まるはずがないことは自明と言えるのではないでしょうか。

 

教育勅語自然の摂理に根差したもの

にもかかわらず、一見すれば、教育勅語はまさに五倫の教えを述べた儒教的なものにうつります。

なぜか。

その理由を本論文で井上毅は次のように述べています。(※当方意訳)

「五倫は人として人たるものは社会で生活するために必ずその規範に則って行動すべき道にして、古今を通じ、国内外で実践されている、逃れようとしても逃れることはできず、避けようとしても避けようがないものである。

 

誰が五倫を儒教固有の主義だと言っているのか。また誰がこれを東洋の古い因習の一つとみなしているのか。東西各国の情勢も調べず、古今の歴史をも論じていないではないか。

どんな論理であっても我々人間に息づく元来備わっている自然の摂理に抵抗することはできない。

 

個人の生活と五倫の関係とは、例えば目と色のようなものである。

色がなければ目はその役割を果たせない。暗室に閉じ込められて五色を見させられたところで、その色は見えはしない。

人が五倫の関係を失うということは、自然の摂理を失うということだ。」

 

つまり、儒教に基いて教育勅語が作成されたのではなく、人の摂理、自然の摂理に基いて教育勅語を作成したら、偶然、五倫と同じになったというところではないでしょうか。

 

実際、本書『梧陰存稿』で解説するところの五倫の内容を読むと、そこに通底するのは、儒教というよりはむしろ、聖徳太子が説いた「和を以て貴しとなす」とする“共存共栄の精神”であるように思えます。

 

本論「五倫と生理の関係」を読めば、より一層、教育勅語の内容を味わい深く感じることが出来るのではないでしょうか。

 

是非一度読んでみて頂きたいです。

 

五倫と生理との関係(意訳。抜粋)

■夫婦の別(男女の区別)(要旨意訳)

男女が結ばれること、二人で一人になることは一陰一陽一剛一柔であって、天地の不思議な作用があって、子孫を育てる。これは人類の組織構造に起因したるものであって、自然の摂理であることに異論はないのではないだろうか。

古典では諾冊二神(イザナギノミコトとイザナミノミコト)でお述べになられるところの有余不足相補うの作用とおなじく、互いに助け合うというエピソードがある。

すなわち、男性は剛勇にして潤大高尚の徳を備え、女性は温和にして機微精緻の性質を持っているというのは、一方は外を治め、一方は内を治めるのに適当な固有の能力であるといっていいのでないか。

 

このため西欧列強においても女性が政権を担うことがないのは、どの国でも同じところである。

西欧諸国の男女同権の説は、私権においてのみ、どの程度認めるかについて差があるとしても、民法においてはこの説が実行されている例はない。

 

夫婦の間における作用とおなじように、倫理の関係は自然の摂理における人身の組織構造に基づくものに他ならない。

 

■君臣の義(要旨意訳)

君臣の関係はというと、西欧諸国の先人たちがいうように人は団体動物である。

人は相集まって、団結し、助け合い、頼り合い、交換し合わなければ生活することはできない。

集団が小さければ村落であり、大きければ国家となる。一家があれば家長がおり、一国あれば君主がいる。

多くの人がつどい合う中にあって、秩序が成り立たなくてよいのだろうか。

治める人は人に養われ、人を養う人は人に治められる。木枝が別れるのと同じように、ばらばらのように見えて、その根本はひとつである。

そのようにして主君の道は成り立っている。

 

「かのアフリカ人又は南洋諸島が無知で愚かであることは、殆ど獣類と大差ない有り様であるが、とりわけ人類としての特徴を現わすものは村落に酋長がいるかどうかをもって説明し得る」と、探検家の手記で伝えられている。

 

これは君臣の道は夫婦親子と同じように人類の元来備わっている機能に基づくものではないだろうか。

 

そもそも人は羽毛があって空を飛べるわけでもなく、鱗があって水の中を潜行することもできず、歯角爪牙の類のものも、獲物をつらぬくのに十分ではない。

 

このように薄弱な体躯といえども人々の親しみ合い、慈しみ合う情と団結しあう力は、虎豹豺象をも追い払い、恐ろしき怪獣毒蛇をも攻め平らげて、百物の上に最高優勝の地位を占めるに十分なものである。

 

もしこの団結の効用がなければ、一族の人間、人民が絶滅することにそう時間はかからないだろう。

10万の兵も将を欠くときは戦うことはできず、億万の民衆も君主を欠くときは立つことさえできない。そうした団結の強さは、ただ国民の忠愛の情がどのような状態であるかで推し量ることになる。

 

■五倫に対する批判について(要旨意訳)

このようにして五倫は人として人たるものは社会で生活するために必ずその規範に則って行動すべき道にして、古今を通じ、国内外で実践されている、逃れようとしても逃れることはできず、避けようとしても避けようがないものである。

 

誰が五倫を儒教固有の主義だと言っているのか。また誰がこれを東洋の古い因習の一つとみなしているのか。東西各国の情勢も調べず、古今の歴史をも論じていないではないか。

どんな論理であっても我々人間に息づく元来備わっている自然の摂理に抵抗することはできない。

個人の生活と五倫の関係とは例えば、目と色のようなものである。

色がなければ目はその役割を果たせない。暗室に閉じ込められて五色を見させられたところで、その色は見えはしない。

人が五倫の関係を失うということは、自然の摂理を失うということだ。

 

私は儒家たちが五倫を威張り顔に一門の占有物のように主張して他の者を無父無君などと言い煽ることを笑う者である。

 

また世の人が五倫をもって儒教主義の産物とし、自らは五倫の教えのために奮起しているかのように思い込んでいる者たちを笑う者である。

田母神さん『冤罪獄中記』からの一撃! チャンネル錯乱の悪宣伝を暴く③ 世にも奇妙な起訴編 #チャンネル錯乱 #反撃の田母神 #冤罪 #偽装保守

田母神さん『冤罪獄中記』からの一撃! チャンネル錯乱の悪宣伝を暴く③ 世にも奇妙な起訴編

#チャンネル錯乱 #反撃の田母神 #冤罪 #偽装保守

 

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(↓前回はこちら)

『田母神さん『冤罪獄中記』からの一撃! チャンネル錯乱の悪宣伝を暴く① 高級コリアンクラブ編』 ⇒ http://amba.to/2qSnWKQ

 

『田母神さん『冤罪獄中記』からの一撃! チャンネル錯乱の悪宣伝を暴く② 領収証編』 ⇒ http://amba.to/2qW6ViV

※今回は悪宣伝というわけではありませんが

 

■田母神さんがかけられた嫌疑とは何だったのか。

今回、田母神さんが公職選挙法違反の嫌疑をかけられたのは公職選挙法第221条の買収および利害誘導罪のようです。

(以下参考抜粋)

公職選挙法 第221条(買収及び利害誘導罪)より抜粋

http://senkyo-navi.net/18/237/000725.html

 

選挙運動期間中かどうかに関係なく、選挙での当選を目的として、有権者選挙運動員に対して、お金や品物を渡したり、食事やお酒をごちそうしたり、旅行や芝居・演劇・コンサート等に招待したりすることなどが、買収罪にあたります。

 

お金や品物を渡した人やごちそうした人だけではなく、お金や品物をもらった人や、食事やお酒をごちそうになった人、旅行や芝居・演劇・コンサート等に連れて行ってもらった人も、同じように、罪に問われます。

【 買収罪の例 】

有権者にお金を配る
・ 車上運動員(いわゆるうぐいす嬢)に対して法律に定める額を超えて報酬を支払う
選挙運動員に対
して、法律に定める額を超えて報酬を支払う
・ 法律上報酬を支給することができる運動員以外の人(選挙運動を手伝った人など)にお金や金券を支払ったり、食事を提供したりする

 

そして、この買収罪の罪に問われる対象者として次の者が列挙されています。

1.公職の候補者

2.選挙運動を総括主宰した者

3.出納責任者

4.選挙運動を主宰すべき者として第1号又は第2号に掲げる者から定められ、当該地域における選挙運動を主宰した者

島本・鈴木両名が行った選挙運動員への金銭の配布について、田母神さんも指示、了承していたのであれば、「共謀していたことになる」ということで公職選挙法違反として起訴されたのです。

 

当然の如く田母神さんは「自分は金銭を配ることを指示もしていないし、了承もしていない」と無罪を主張されましたが、裁判所は「被告の指示や了承があったと推認される」としたことから、今回の判決に至っています。

(参考)

公職選挙法違反 田母神元幕僚長に執行猶予つき有罪判決 | NHKニュース http://bit.ly/2rUnyJ1

推認とあるように関係者の証言などをもとに、田母神さんが指示・了承していたと考えるのが合理的だと裁判所が判断しただけに過ぎません。

 

裏を返せば、「共謀を指し示す直接的な証拠は何一つありませんでした。」と裁判所自ら白状しているようなものなのでは。

 

■自白しているのに起訴されないチャンネル錯乱?!

上記のような理由で田母神さんが起訴されたことを踏まえると、ある疑念が湧いてきます。

それは、「なぜ選対トップであったチャンネル錯乱のラードは起訴されなかったのか」ということです。

 

『不徳を恥じるも私心なし 冤罪獄中記』によると、なんとチャンネル錯乱のラードは証人喚問中に、うぐいす嬢への法定を超える報酬の支払いを了承していたことを自ら法廷の場で自白しているのです。

 

それはこちらの、NAVER まとめでも取り上げられています。

↓ 

(以下参照)

冤罪!?田母神裁判、執行猶予判決!本当の悪は・・・!?

http://bit.ly/2rUQfFT

ラード「ウグイス嬢については、島本から、法廷では一万何千円だけれど、実際、それではやっていけませんので、色をつけてやらなければまずいと報告を受けて、そういうものなんですかと。私は選挙をちゃんとやったのは初めてだから、それはそうかということで言った。」

検事「そこで了承したということか

ラード「はい

(参照おわり)

 

また、鈴木氏の証言では、当初は金銭の配布について自分の取り分が400万だと聞いて「こんなにもらえるの」と喜んでいたとの証言も出ています。

(ラード本人は否定していますが)

さらには、週刊誌などでは「お金を断って、怒鳴りつけた」と吹聴していますが、怒鳴られたはずの鈴木氏は「怒鳴りつけられたことはない」とも証言しています。

 

上記の公職選挙法第221条で列挙されている「選挙運動を総括主宰した者」とは選対本部長などの実質的責任者のことを指すのだそうです。

 

散々、長期勾留され、社会的に抹殺されかけた田母神さんが、裁判所の推論だけを根拠に判決を受け、

自ら公職選挙法に違反したことを自白しているチャンネル錯乱のラードが、何の罪にも問われず、のうのうと毒電波を垂れ流し、田母神さんを批判し続けている・・・。

 

理不尽極まりないと思うのは私だけでしょうか?

 

「今は心静かに。今に見てろ」

(『不徳を恥じるも私心なし 冤罪獄中記』より)

田母神さんの今後の反撃に期待したいです。

 

PS:

錯乱が5/24付けで放送していた内容によると、鈴木氏が作成した資料や証言が田母神さんが有罪となる有力な証拠であったのだと言いたいようです。

だったら、

「ラードは自分の取り分が400万だと聞いて”こんなにもらえるの”と喜んでいた」

という鈴木氏の証言も事実だったというわけですね。

 

また、「自分は選対本部長だったが、私の責任がどこにあるのかいってもらいたい。」

と発言していますが、そのものズバリ、”選対トップ”としての公職選挙法 第221条(買収及び利害誘導罪)に関する説明責任なのでは?

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ちなみに若者はチャンネル錯乱なんて観てませんよw

田母神さん『冤罪獄中記』からの一撃! チャンネル錯乱の悪宣伝を暴く② 領収証編 #チャンネル錯乱 #偽装保守 #反撃の田母神 #冤罪

田母神さん『冤罪獄中記』からの一撃! チャンネル錯乱の悪宣伝を暴く② 領収証編

#チャンネル錯乱 #偽装保守 #反撃の田母神 #冤罪

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前回の「高級コリアンクラブ編」に引き続き、田母神さんの”実質的勝利”を踏まえて、今回はその②「領収証編」です。

 

(↓前回はこちら)

『田母神さん『冤罪獄中記』からの一撃! チャンネル錯乱の悪宣伝を暴く① 高級コリアンクラブ編』 ⇒ http://amba.to/2qSnWKQ

  

この領収証に関することも使途不明金が発覚してすぐからチャンネル錯乱のラードどもが喧伝していたものです。

  

【桜特捜班】田母神事務所政治資金横領事件、告訴状の準備完了[桜H27/6/29]
http://bit.ly/2rQCdVC

(引用)
まあはっきり言うと、手前の金だと思ってドンドコドンドコ、はっきり言いますと、会計責任者からお金をもらってね、使っちゃった。今一生懸命必死になって、実際は領収書を揃えたりね、何だとかって誤魔化そうとしてますけど、こういう色んなものがね、我々証拠とか色々掴んでおりますから、粛々とやるということであります。

(引用終わり)

  

などと称し、あたかも「領収証を偽造している」かのような発言です。

さらに輪をかけて、次の動画には、H29/5/24現在においても、以下のような説明書きがなされています。

  

【田母神横領事件】架空の会計責任者!今、問われる保守の自浄作用[桜H28/3/10] 

http://bit.ly/2qSngoC  

(引用)

遂に司直の手が入った田母神俊雄事務所の政治資金横領事件は、田母神氏自身が説明責任から逃亡し、かつ自身に有利な印象操作を図るなど、卑劣・卑怯な振る舞いを繰り返している。また、着服したという会計責任者の後任は、全くの名義可貸しで実務にタッチしておらず、そこに田母神氏自身の手による横領や文書偽造疑惑も追加される事になった。保守の自浄能力が問われる今般の事件について、水島から可能な範囲で説明をさせていただきます。

(引用終わり)

 

■存在していた領収書

結論から言えば、領収証に関して偽造した事実は一切ありませんでした。

 

16/7/2付の朝日新聞によれば次のように報じられています。

関係者によると、田母神被告の事務所などに、飲食店などで使った大量の領収書が残っていた。特捜部が精査したところ、大半は田母神被告の政治活動と認めうる支出だったという。

 

また既に不起訴となっている選挙資金横領疑惑、今回の公職選挙法違反疑惑のどちらの裁判においても、領収証の偽造などという話は持ち上がっていません。

 

前回の高級コリアンクラブ編でもそうでしたが、チャンネル錯乱のラードどもが、領収証についても、ありもしないデタラメを吹聴し、騒ぎ立てていたというのが現時点における厳然たる事実と言えるのではないでしょうか。

 

なんせ、裁判所どころか他のメディアですら領収証偽造疑惑などとは”一切報じられていない”のですから。

   

ありもしないデタラメを吹聴して、人を貶めるような人間を”下衆”と称したと思うのですが・・・。

違うのでしょうか?

  

貶められた田母神さんの怒りの声が聞こえてくるようです。

  

「今は心静かに。今に見てろ」

(『不徳を恥じるも私心なし 冤罪獄中記』より)

田母神さん『冤罪獄中記』からの一撃! チャンネル錯乱の悪宣伝を暴く① 高級コリアンクラブ編 #チャンネル錯乱 #反撃の田母神 #冤罪 #偽装保守 #ラード

田母神さん『冤罪獄中記』からの一撃! チャンネル錯乱の悪宣伝を暴く① 高級コリアンクラブ編 

#チャンネル錯乱 #反撃の田母神 #冤罪 #偽装保守 #ラード

 

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公職選挙法違反の罪に問われた裁判も執行猶予となり、田母神さんの実質的勝利に終わりました。

(チャンネル錯乱の放送がお通夜みたいだったことが全てを物語っています。)

 

とは言え、田母神さんご本人は判決内容にご不満な様子。Twitter控訴する意思があることを示唆しています。

 

自動車事故で、本来、責任負担10対0のはずなのに、あれこれ理由をこじつけられて8対2にされたら、腹立たしくもなるといった心境なのではないでしょうか。

 

閑話休題

ともかく裁判も一旦落ち着いたということで『不徳を恥じるも私心なし 冤罪獄中記』で書かれている内容に従い、チャンネル錯乱の悪宣伝を暴いてみたいと思います。

 

■高級コリアンクラブ編

今回の件についてチャンネル錯乱のラード達が撒き散らしていた悪宣伝の代表的なものの一つと言えば、使途不明金は田母神らが遊興費に使っていた。しかもそれは赤坂の高級コリアンクラブで使い込まれていた。」というものではないでしょうか。

 

さも、裏取りをしているかの如く、ラード達は言っていましたが、結論から言えば、

田母神さんは高級コリアンクラブに通っていませんでした。

 

高級コリアンクラブに通っていたのは鈴木、島本両名だけであり、このことは店側にも確認済みであることが本書『冤罪獄中記』で明かされています。

  

一方の錯乱側はというと、

こちらの優良ブログの記事『田母神問題・チャンネル桜水島氏錯乱中…その9』によれば
http://amba.to/2rPYrap

 

単に「鈴木、島本が行っていたのだから、田母神も同席していたはず」と憶測で発言していたことを暗に認めています。

要は、本来は「鈴木・島本」が連帯して行っていたことに、なぜか田母神さんも加わっていたことにして、憶測で発言していたのです。

  

そもそも放送メディアを自称するのであれば、店側への取材などを行っていても不思議ではありませんが、チャンネル錯乱が、そのような取材活動を取った形跡は寡聞にして知りません。

 

ロクな取材活動もせず、田母神さんを横領疑惑の容疑者に仕立て上げようとしていたのが、チャンネル錯乱だったというわけです。

 

この一件によって、左翼やリベラル側から見れば「やはり保守や右翼はネトウヨだからダメだ」というレッテルが貼られ、実際に大勢の人が保守陣営から離れていき、保守は一大勢力になれず、五年以上立ち直れなくなったと指摘されるような打撃を受け、千載一遇のチャンスを失ったと言われています。

(参照)

『日本をダメにするリベラルの正体』外伝 チャンネル錯乱、愛国詐欺のなれの果て
http://amba.to/2ojfrqr

 

何よりも、憶測だけで犯罪者扱いし、人ひとりの人生を狂わそうとしたという事実に憤りを感じざるを得ません。

 

「今は心静かに。今に見てろ」

(『不徳を恥じるも私心なし 冤罪獄中記』より)

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井上毅論集『梧陰存稿』を読む ~国語ができれば賢くなる?!こどもの脳発育のために重要な国文教育~ #井上毅 #国語教育 #国文教育 #教育 #教養 #初等教育

井上毅論集『梧陰存稿』を読む

~国語ができれば賢くなる?!こどもの脳発育のために重要な国文教育~

 

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(前回はコチラ)

http://amba.to/2r1XwGK

 

■序文:梧陰存稿国文の部小言

まず「梧陰存稿国文の部小言」というタイトルで序文が書かれており、井上毅がなぜ、本書『梧陰存稿』を公刊しようと思ったのか、その理由が書かれています。

  

※誤読している箇所があるかもしれませんので、その時はご指摘頂ければ幸いです。

(意訳)

梧陰存稿国文の部小言

若い頃は好んで漢文を学び、文を磨こうとしていた。中年の頃から顧みて、その非を悟り、文部の職を受けるにあたり、公衆に向かって漢文は廃止すべきであることを明言し、己の職に拘らず一個人として有志の末列に加わる誓いを立て、国文興起の盛運をたすけるべきとの志をも公にしたのは、やむにやまれぬ心の切なる思いを述べたものである。

 

将来、国文教育が再び繁栄に向かうだろうというのは、噂話を風で捉えるかのように根拠のないものであるようだ。

世の著述家、ジャーナリスト達は不規律な雑文(漢文崩し)の慣習を使用し、規則だっている国文など相手にもしていない。

 

また国文刊行雑誌の載せる、道の記、旅の記など伊勢物語土佐日記のまがい物のような梅の記、櫻の記、楓の記物も、四季の咏こそ優雅に書き記すとも実用に値せず、三鏡または古今の注釈などは研究され尽くしている狭い分野のものでしかなく、一般の百科芸術経済政治社会に何の影響もあろうはずがない。

きつい言い方をすれば漢文にも劣る不要物であるといえる。

 

国文教科読本の目的は、読法および文法を授け、音調を正し、さらに読本により記録された事実をもって、間接的にほかの諸科を学ぶための基礎とすることにある。

 

故に、国文読本はなるべく単純な文章を選んで、高等教育に従って高尚な古人の名文を教えるべきで今日に不要の死語を用いた多くの注釈を必要とする文章を教えるべきではない。(専門家は除く)

 

にもかかわらず、盛衰記や義経記などまがいものの文章を優美だとし、また当時だからこそ美談として広く世間に広まっていたものを今日の教科書の選章としたるは何たることか。

 

某樓記遊、某山記がどれほど上手い文章だと言っても、それは奈良、平安の頃に真っ先に学ばなければならないものであって、富国強兵の現代にあって修めるべきは実学でなければならない。

 

国文教育における障害物の最たるものは現代人であって殊更に漢文を学んでいる化粧の怪物どもであろう。(私は現に中学読本で行われている第四第五の巻は廃止すべきだと思う)

 

このような有り様であるにもかかわらず、国文学者および教育者の中からも国文教科書の改正を提言する人が少ないのはどういうことか。

 

嗚呼、国文よ。千年来、暗黒世界に沈み込んでしまったことで、その輝きを万丈に放つ力すら失くしてしまったのだろうか。

 

その絶望的な状況は一向に止む気配がない。とは言え、(日本は)言霊の幸はふ国である。

国文教育の発達が国家の運命を左右するのだから、世の人が決して放置するはずがない。 

 

時は既に来ている。将来必ず豪傑なる人物が現れ、閉ざされた世界から抜け出し、幼稚な学説を斬り、奈良平安の巣から脱して、大いに国文教育の組織を拡張し、近世の学術経済百般の書物を網羅し、天地に至るまで広く影響を与え、西洋の緻密なる論理法を自在に操り、支那の豊富な文材を使いこなし、わが国の文明の発達を成して、旭の光が弥高く、豊かに登る勢いを示すに違いない。

 

国文存稿を出版するにあたり所感を記した。

(了)

 

■明治における国文教育の意義

この「国文の部小言」から察するに、明治28年当時、まだ書き言葉は漢文を教えることが主流であり、国文(日本語で書かれた文章)を教えることはまだまだ主流とは言い難い状況だったようです。

 

そうした状況に、井上毅は居ても立ってもいられず、出版を決意したのが本書『梧陰存稿』であることが、この序文から伺えます。

 

それにしても「漢文は廃止すべき」とまで言い切るとは穏やかではありません。

一体なぜ、井上毅はそこまで国文教育に拘ったのでしょうか?

 

この序文を読む限り、井上毅が何よりも重視していたのは百科芸術経済政治社会において通用する実学であったように思います。

 

だからこそ、実学の習熟に何の役にも立たない、今は使われることなく死語となっている言葉を多用し、文章の煌びやかさのみを修めようとする漢文(あるいは漢文を教える教師)を「化粧の怪物」と称したのではないでしょうか。

(現に、国文であれば何でも構わないと言っているのではなく、国文刊行雑誌の載せる、道の記などは「漢文以下の不要物」と言っています。)

  

西洋列強に追いつくべく、近代化を進めていた当時にあっては、大いに産業を興し、国を強くする必要があり、そのために学問を修める必要がありました。

それは漢文では成し遂げられるものではなく、国文によってこそ成し遂げられるものだったのでしょう。

 

とはいえ、「支那の豊富な文材を使いこなし」としているように、実際には漢文は漢文として大いに使いこなせと言っていることにも注目すべきではないでしょうか。

 

■現代における国文教育の意義とは

では、現代における国文教育の意義とは一体何なのでしょうか?

 

巷では組織的な再就職あっせん(天下り問題)や前事務次官が出会い系バーに出入りしていたという、なんともため息が出るような話題しか振りまかない文科省には、次のように掲載されています。

 

(以下抜粋) 

【小学校/中学校学習指導要領】

言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で正確に理解し適切に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。

 

(1) 日常生活に必要な国語について,その特質を理解し適切に使うことができるようにする。

(2) 日常生活における人との関わりの中で伝え合う力を高め,思考力や想像力を養う。

(3) 言葉がもつよさを認識するとともに,言語感覚を養い,国語の大切さを自覚し,国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養う。

(抜粋終わり)

 

正直、わかったような、わからないような、今一つ掴みどころがない内容のように思えます。 

これを読んで、「やっぱり国文教育は大事だ、大いに勉強しよう」と思う人はそれほど多くはないのではないでしょうか。

 

■脳の発育のために重要な国文教育

むしろ、「国文教育は、脳の発育のために決定的に重要である」とする方が簡潔明瞭でわかりやすいような気がします。

 

脳障害児治療の先駆者として、また、健常児の早期発達に関する活動で、多大な功績を残したグレン・ドーマン博士の著書『親こそ最良の医師』には次のようなことが述べられています。

 

(以下引用)

ものを学びとる能力のある唯一の器官である脳は、テレビを通じて大きくてはっきりしたことばを、耳を通じて「聞き」、それを脳独自の方法で解釈する。

同時にその脳が、テレビに大きくはっきりと写された文字を、目を通じて「見」、まったく同じ方法で解釈する。

こどもの脳にとっては、像を「見る」のも音声を「聞く」のもまったく変わりない。

(引用終わり)

 

像を「見る」のも音声を「聞く」のも、まったく同じ方法で解釈するのであれば、日常生活でしゃべったり、聞いたりする言葉使いや話し言葉で用いる文法で書かれている文章の方が、脳にとっても理解しやすいという結果になるのは、ごく自然な結果ではないでしょうか。

 

それが井上毅がいうところの

「国文教科読本の目的は、読法および文法を授け、音調を正し、さらに読本により記録された事実をもって、間接的にほかの諸科を学ぶための基礎とすることにある。」

という事なのではないかと。

  

現時点においては、このような見解に至りましたが、「教育に正解はない」というのも一つの真理であると言えます。

 

機会があれば、小学校の国語の先生に一度「国語教育の意義とは何ですか?」と聞いてみたいものです。

 

井上毅論集『梧陰存稿』を読む ~明治国家形成のグランドデザイナー、その素顔~ #井上毅 #明治日本 #憲法 #国語教育

井上毅論集『梧陰存稿』を読む

~明治国家形成のグランドデザイナー、その素顔~

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井上毅と言えば、明治日本を代表する法制官僚であり、その明晰な頭脳をもってして、明治日本の法整備に尽力、多大な功績を残した人物です。

 

「明治国家形成のグランドデザイナー」とも称され、とりわけ、『大日本帝国憲法』、『教育勅語』、『憲法議解』策定の中心メンバーであったことでつとに有名です。

  

本書『梧陰存稿』は、そんな井上毅が残した論説集で、いつも大いに参考にさせて頂いているブログ主さんから薦められたのをきっかけに読んでみました。

 

恐らく、井上毅の名は知っていても、井上毅がどういう人物だったのか、どのような考えの持ち主だったのかを知っている人というのはごく限られているのではないでしょうか。

 

井上毅という人物がどういう人物だったのかを知る手がかりとして『梧陰存稿』は非常に貴重な一冊であるにも拘らず、その存在も、一体何が書かれているのかも全く知られていないように思います。

 

そこで、当ブログでは、そんな『梧陰存稿』に収録されている論説を今後は少しずつ紹介していければと思います。(不定期になると思いますがご容赦下さい)

  

『梧陰存稿』の概要について述べると、本書は井上毅の死後に公刊されたもので、第一巻を国文で記した論説をまとめて「国文存稿」とし、第二巻は漢文で記したものをまとめて「漢文存稿」とする二部構成となっています。

 

(残念ながら漢文については私が不勉強のため、何が書いてあるかチンプンカンプンですが、「国文存稿」は旧かな使いや、旧漢字に四苦八苦しながらも、何とか読み進めることができました。)

 

『国文存稿』は主に国語教育や教育、日本の国柄について述べた論文を中心にまとめられたもので、『井上毅伝 史料篇第3 井上毅伝記編纂委員会/編』の巻末の解説文によると、その多くが『明治名文集』にも収録されているそうです。 

   

『梧陰存稿』自体は国立国会図書館デジタルコレクションにも収納されており、ネット上で無料閲覧できます。

とは言え、閲覧できるのは手書きのものであり、かつ旧漢字の意味するところが分かりづらいことも多々あろうかと思います。(実際、私がそうでしたので苦笑)

 

そんな時は、『井上毅伝 史料篇第3 井上毅伝記編纂委員会/編』に収録されている『梧陰存稿』を読まれることをお勧めしたいです。

 

旧漢字が使われているのはそのままですが、タイピングされたものになっており、読みやすさは段違いと言えます。

 

県立図書館などの大きな図書館であれば所蔵している可能性がありますので、ぜひ機会があれば手に取って頂ければ幸いです。(私もそうしましたw)

 

いずれは手書きで書かれたものや漢文で書かれたものをスラスラ読めるようになりたい・・・。

 

次回以降は本編に入りたいと思います。

 

井上毅伝〈史料篇 第3〉 (1969年)

http://amzn.to/2s024dV 

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反撃開始! 田母神さんの鉄槌が、ラード様の贅肉腹に突き刺さる?! #チャンネル錯乱 #田母神 

反撃開始! 田母神さんの鉄槌が、ラード様の贅肉腹に突き刺さる?!

#チャンネル錯乱 #田母神 #チャンネルくらら #田母神俊雄 #ラード様

 

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田母神俊雄裁判を語る!速報【チャンネルくらら・5月22日配信】 

https://youtu.be/o4SBvuXdAKc 

 

田母神さんが公職選挙法違反の罪に問われた裁判について東京地裁の判決が出ました。

 

そもそも今回の一件は、元選対事務局長の島本氏と共謀して選挙後に運動員の買収をしたとの疑いで起訴されたものでしたが、

 

新聞各社の報道などをみても、田母神さん自身が率先して買収をしたことは認められず、当時の人間関係、状況から”共謀したとするのが合理的”という極めて論拠の薄いものが裁判所の判断の前提となっているようです。

 

田母神さんご本人は判決にご不満のようですが、それも当然でしょう。

 

とはいえ、(今後控訴するしないは別にして)、今まで制限を受けていた活動の場が大きく広がったのも事実。

 

田母神さんが反論できないのをいいことに、好き放題、でたらめなことを発信していた”保守界のハート様”ならぬ”呆守界のラード様” には、鉄槌を下さねばならないのではないでしょうか。

 

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補足:ラード様とは?

呆守界のリーダー、偽装保守界の英雄にして、チャンネル錯乱の代表取締役社長。「溶けかけたラードの塊」のような風貌から”ラード様”と呼ばれる。

三度のメシより訴訟が好きで、何でも裁判に訴える。  

また裁判費用のためと称して支持者から寄付金を募ることを生業とし、チャンネル錯乱TVはそのための手段に過ぎない。 

趣味が高じて映画製作も行う。この映画の製作費用も支持者からの寄付金で賄い、自らの懐は決して痛まないように腐心した。

「ボランティア」「手弁当」という言葉が大好きで、労働の対価を支払うことを極端に嫌う。

その一方で、自分が身銭を切ったものについてはきっちり回収しているらしい。

 

↓ラード様のご尊顔

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