『梧陰存稿 言霊』を読む~我が国の憲法 五色を“しらす”天皇(すめらみこと)#井上毅 #梧陰存稿 #しらす #うしはく #倉山満 #江崎道朗

『梧陰存稿 言霊』を読む~我が国の憲法 五色を“しらす”天皇(すめらみこと)


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『言霊』

本論文は『皇典講究所講演録』第二巻(明治23年3月1日刊)に「古言」と題して収録。のちに『教育時論』第360号付録「梧陰先生遺文」(明治28年4月15日刊)に収録。

 

大日本帝国憲法 第一条

大日本帝国万世一系天皇之を統治す

 

「統治す」とされてますが、井上毅が作成した憲法草案においては、「しらす」とされていました。

 

『帝国憲法物語』(倉山満著)によれば、当時においても、すでに人々にとって馴染みのない言葉となっており、このため「統治す」という言葉が採用されたそうです。

憲法義解でも「統治す」とは「しらす」に他ならないと解説が加えられていますが、「しらす」は、さらに支配、領有を意味する「うしはく」に対する語であることが梧陰存稿収録の『言霊』でも述べられています。 

   

「うしはく」を現代風に言えば、「占領している」とか、「占有している」というのが適切なのではないでしょうか。

そこには暗に物質的な力(武力)による上からの抑えつけという概念が通底していると言えます。

 

では「しらす」という言葉それ自体が直接的に指す意味とは何なのでしょうか。

 

「統治」という言葉すら、現在においては「まとめおさめること。特に、主権者がその国土・人民を支配し、おさめること」とされており、これでは、井上毅が「玉と石ほど違う」と指摘した「しらす」と「うしはく」の明確な違いが伝わらないような気がします。

  

「しらす」の意味を考えてみたところ、同じく梧陰存稿に収録されている『五倫と生理との関係』で述べられている比喩が目に留まりました。

   

『個人の生活と五倫の関係とは例えば、目と色のようなものである。

色がなければ目はその役割を果たせない。暗室に閉じ込められて五色を見させられたところで、その色は見えはしない』

(by「五倫と生理との関係」より) 

 

人が元来備えている素晴らしい特性、すなわち五倫を“色”に例えたならば、暗室に日の光を行き届かせ、“五色”のありのままの美しさを“知らす”ところに、“しらす”の本義があるとも言えるのではないでしょうか。

 

倉山満先生の『日本一やさしい天皇の講座』や『日本人として知っておきたい皇室のこと』に掲載の江崎道朗先生の論を読みながら、こんなことを考えてみました。

 

梧陰存稿、本当に味わい深いです。

 

『梧陰存稿 言霊』(意訳) 

■言霊

古い言葉を吟味するということは一つの歴史学である。いずれの国であっても太古の歴史は曖昧であって当時の思想や風俗は文字で残っている伝記のみであって知ることが困難であることが多いが、古くから伝わる言葉は古の人の風俗・思想をそのまま後の世に伝えて、遥か未来から古へと遡って当時の様子を想像させる。

ならば古言を取り調べることは歴史学の一つとして数える価値があるといえる。

 

そもそも「言霊の幸はふ国」と称えられる我が国の古言には様々な尊きことが述べられている中に、私はこの上なく素晴らしい言葉を見つけた。

 

土地と人という2つの原資を備えた国を支配する所作を称える言葉は、国々によって様々だが、支那では国を有(も)つと言う。有つとは、我が物にして、我が領分であり、手に入れる心であって、一般に、ある屋敷を手に入れた、或いは、ある山を我が物にしたと言う時と同じ言葉である。

 

詩経に奄有天下とあり、奄有とは「覆いかぶせて手に入れる心」であって、天下は広大なものであるから、このように称したのであろうと思われる。

これは、領土、国民をモノのように一つの私財とみなすものであって、『中庸』においては富有天下ともいう。

 

一人が天下を私物にするとは穏やかならぬ言葉であるが、支那の聖人はこの言葉を修飾するために、「有天下而不興というが、不興ということと有つということは、一句の中にあって意味の矛盾があるものだ」と述べている。

 

その後、政治思想が発達して、治国又経国などという言葉を用いるに至ったが、この治るといい、経すというのは乱れた糸のひとつひとつを揃える心であって、多少は精緻な文字であるとはいっても、それでももっぱら物質上の考えにもとづいて成り立っているものである。

 

また人民に対してはどのような言葉を用いているかというと民を御すと言い、または民を牧すという。御すとは馬を使い、牧すとは羊を飼うことであって、これは人民を馬羊のように捉えていた太古未開の時代の一般的な思想をそのまま反映したものである。

 

ヨーロッパでは国土を手に入れることを何というかと問うてみると、国を占領すと言うらしい。占領という言葉は<オキュパイド>、そっくりそのまま奪うという意味をも含んでいる。また人民に対しては<ゴーウルメ>、船の舵をとるという意味の言葉を使っている。支那で御す、牧すと言ったのと同じで、人民を一つのモノとみなすところから転じたものである。

 

支那も西欧諸国も、昔の人の国土、人民に対する言葉は、まったく粗雑な言葉を用いたものである。国土を縄張りにして、自分の領分とするという事を目的とし、人民をひとつのモノとみて、手綱をつけ舵をとって、乗り治めるというあしらいで、こういう言葉を使ったものと思われる。これは、(これらの国の)古の人は、現代のように政治学の精密な思想がなかったからであろう。

 

さて、我が日本は、この国土人民を支配することの思想をなんと言っているか。

古事記」に健御雷神をお下しになって、大国主神をおたずねになられた場面では「いましのうしはける葦原の中つ国は、我が御子の知らさむ国ぞといよさしたまひき」とある。

うしはく」といい、「しらす」というこの二つの詞をもって、太古に「人主の国土人民に対する働き」を名付けたものであった。

 

一方では「うしはく」と言い、もう一方では「しらす」と言うからには、二つの間に差があったに違いない。大国主神については「汝がうしはける」とのりたまひ、御子のためには「しらす」とのりたまうたのは、この二つの詞に、雲泥の差があったからだと思われる。

 

「うしはく」という言葉は、本居宣長の解釈に従うと、すなわち「領す」ということで、ヨーロッパ人が“オキュパイド”、と言い、支那人が“富有”、“奄有”と言うのと全く同じ意味である。これは、いち土豪の所作であって、土地人民を自分の私財として取り入れていた大国主神のしわざを表したものであるにちがいない。

正統の皇孫として、御国を照らし臨み玉ふ大御業は「うしはく」ではなく「しらす」と仰せられたのである。

 

その後、神武天皇の御称名を始国馭天皇(はつくにしらすすめらみこと)と申し上げ、また代々のご詔勅大八洲国知ろしめす天皇ととなえ奉ることを、公文式となされたのである。

畏れ多いことだが、皇祖伝来の御家法は「しらす」という言葉にあると言っても過言ではない。

 

国を知り、国を知らすというのは、各国に比較することのできる言葉がない。今、国を知り、国を知らすということをそのまま、支那、西洋の人々に聞かせたならば、その意味を理解できないだろう。

それは、支那、西洋の人々には国を知り、国を知らすということの示す意味合いが、元来、その脳髄の中に存在しないからである。

 

「知る」ということは、今の人々が普通に使う言葉のように「心で物を知る」という意味であって、内なる心と外たるものの関係を表し、内なる心は外のものに臨んで、鏡がものを照らすように「知り明からむ」という意味である。

 

西洋の論理法に従って解釈すれば主観的に無形の高尚なる性霊心識の働きを表したものである。古書で、「しらす」という言葉に「御」の字を当てたのは、当時の歴史を編纂した人が、適当な漢字が無いのに苦しんで、この字を借用したのであって、元来「知らす」という日本語の意味には適しない文字である。

 

こういうと、古の人にそれほど高尚な思想があるはずがないと非難する人もいるだろう。

そうはいっても諺に論より証拠とあるように、古典に「うしはく」と「しらす」と二つの詞を対比する形で使っている。また、「うしはく」と「しらす」という言葉の主格(健御雷神と大国主神)との間に玉と石との差があることを見れば、なおのこと議論の余地はない。

もし、違いがないのだとしたら、この一文を何と解釈することができるのか。

 

故に支那、ヨーロッパでは一人の豪傑が興起して、多くの土地を占領し、一の政府を立てて支配した征服の結果を国家と解釈することができるが、わが国の天つ日嗣の大御業の源は、皇祖の御心の鏡をもって、天の下の民草を「しろしめす」という意義から成り立つものである。かかる次第であるから、わが国の国家成立の原理は、君民の約束ではなく、一の君徳である。「国家の始まりは君徳に基づく」という一句は、日本国家学の開巻第一に説くべき定説である。

 

我が国の建国の原理は国知らすということである。その原理によって種々の素晴らしい成果をもたらした。

第一はヨーロッパの国々の歴史上の状態を尋ねるに大方の国は一人の豪傑が占領したものであって大いなる“個人財産”である。故に、国を支配することは民法上の思想に基づき、一つの財産をあしらいもって領分とし、その人々がこの世を去るときには民法上の相続を行い、子が三人いれば、その国を3つに分けてしまうのである。

 

彼の歴史上に名高いシャーレマン帝はその莫大なる版図を三人の子に分けたことで、一つはドイツとなり、一つはフランスとなり、一つはスペインとなった。

この相続がヨーロッパ大陸の大乱の種を蒔いたと言えるのではないか。

モンゴルの相続法も同様であって、元の大祖は広大なるアジアの土地を4人の子に分けて支那の一部、モンゴルの一部、インドの一部、ペルシャの一部と切れ切れにしたことは歴史にみえることだ。

 

これはヨーロッパでは珍しくないことで二百年前まで行われていたが、オーストリア帝の諸邦各国との条約に一国を相続するのは一統の子孫に傳えるべきものにして幾多の子孫に分割すべきものにあらずということを初めて約定した。

これを彼の国の学者は学理様に主張して古は私法と公法との区別を知らず、国と家との区別を知らず、家の財産相続法を以て国土の相続に混同していたものであるなどと言っている。

 

我が国では公法私法などという学理論の有無に拘わらず、建国のおのずからの道において天日嗣の一筋なることは自然に定まっており、二千五百年前より、この大義を誤ったことがない。神武天皇の御子は4人いらっしゃったが、嫡出の綏靖天皇に御位をお譲りになられて他の3人の皇子たちには国土を分け与えることもしなかった。

 

ヨーロッパ人が二百年前に辛うじて発明した公法の区別は、我が国には太古より明確に定まっていたことで、皇道の本質であると言える。これは何故かといえば即ち我が国をしらすという大御業は、国土を占領することと、おのずから公私の違いがあるからである。

 

第二にヨーロッパにおいては古の君臨の事業を一人の私物私法としてみなすが故に君位・君職に関する経費については君主個人のもとに財産が集まることで、その費用を支出していたが、その後国費がかさむにしたがって、はじめて人民に調達金を命じ、金銭を献納させ、主君の領地からの歳入不足を補った。

これがヨーロッパの租税の始まりである。

今も現にドイツの中の小国には、君主の家の歳入が不足するにいたって、はじめて徴税ということを法律にした国さえある。

 

我が国の君道はこのような狭い道ではなく、国知らすという一大道理であることは最初から明らかであるため、君位君職に関する経費は全国に分け、負担させて、人民の義務として納めることとした。

ヨーロッパの租税は元来、約束承諾によって成立したものであり、我が国の租税は君徳君職のもとで暮らす人民の義務であると言える。

 

以上のように述べた東西の間の違いは何がそうさせたのかといえば、これは偶然の結果ではない。いずれの国の歴史も千年の後の変遷は千年の昔に生じているものである。

私は太古の歴史を歩いて、こじつけの説をつくることを好むものではない。

とはいえ、この国を「うしはく」といい、「知らす」ということの違いに至っては、作り話ではないことは明文事実であり、また二千五百年来の歴史上の結果が証明し、他の国と全く雲泥の違いがあることは誰一人として否定できないだろう。

 

そもそも我が国の万世一系は畏れ多くも学問のように論ずべきものではないとはいえ、その最初に必ず一つの原因があることに疑いはない。

いま、何度もいうようで恐縮だが、最後に一言、結論を言わずにはおれない。

 

畏れ多くも我が国の憲法はヨーロッパの憲法の写しにあらずして即遠つ皇祖の不文憲法の今日に発達したものである。

 

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天皇(すめらみこと)にみる真の保守の姿

 『日本一やさしい天皇の講座』書評

http://bit.ly/2qUN0xb

 

『日本一やさしい天皇の講座』書評 天皇(すめらみこと)にみる真の保守の姿 #倉山満 #チャンネルくらら #皇室 #譲位

『日本一やさしい天皇の講座』書評 

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天皇(すめらみこと)にみる真の保守の姿

 

『嘘だらけシリーズ』でおなじみの憲政史家、倉山満先生の著書にして『保守の心得』、『帝国憲法の真実』に続く“保守三部作”、堂々の完結編。
神武天皇以来の皇室の歴史を辿りながら、天皇の役割は「秩序を回復することにある」と喝破し、歴代天皇がいかに日本を“保守”してきたかを明らかにした一冊と言えます

 
■絶望の先の一筋の光
その切れ味鋭い語り口から絶大な人気を誇る倉山先生ですが、実はその著書の“あとがき”は暗澹たる思いを感じさせるものが多いです。
 
(以下参照) 

「我々は恥ずかしい時代を生きている。日本建国より初めて外国軍隊に占領され、その押し付けてきた憲法を押し戴いている。これを先祖と後世に恥じることが、自主独立の国になる第一歩である。」

(by帝国憲法物語)
 

「敗戦から七十年。実に空しい改憲論議を続けてきた。日本はいつまで敗戦国のままなのか!?戦後七十年がすぎたが、このままだと七百年、七千年たっても、日本は敗戦国のままだろう。」

(by『日本国憲法を改正できない8つの理由』)
 

「われわれ日本人は、人類全体に対する罪を自覚すべきだろう。われわれ大日本帝国は、世界史で最も模範的な文明国であった。しょせんはヨーロッパの公法にすぎなかったInternational Lawを、正しい意味での国際法とした。それにもかかわらず、世界大戦における愚かなふるまいにより、大国の地位から滑り落ちてしまった。それどころか、地球の地図に国名ではなく、単なる地名としてのみ残る小国に転落してしまった。」

(by『国際法で読み解く世界史の真実』)
 

「今の日本は、国名ではなく地名にすぎないのです。地政学でいう、アクターではなくシアターです。アクターには「主体」という意味もあります。では、我が国が主体を持つのはいつの日でしょうか。
予想をしていても、そんな日は永遠に来ないでしょう。」

(by『世界一わかりやすい地政学の本』より)
(参照終わり)
 
なぜか。
それは、俗に「保守」と呼ばれる人たちのあまりの不甲斐なさに絶望してきたからだそうです。
また、同時に今の日本政府の現状にも不甲斐なさを感じていたからに他なりません。
アメリカの持ち物にされるどころか、中国やロシア、あまつさえダブルコリアにすら小突き回される。軍事力を失い、政治もダメ、教育もダメ、唯一の取柄だった経済も停滞中。
「無いもの尽くしではないか」という倉山満先生の表現に首肯する人は少なくないのではないでしょうか。
 
そんな中にあって、日本に1つだけ残されていた希望がある、それこそが「天皇陛下」なのだと倉山先生は指摘されます。

 
■今上陛下のお姿にみる真の保守

「体制からはじき出され、石を投げられたとしても、日本国を愛しながら死んでいく。私はそこに真の意味での保守の姿をみる。
そもそも、今の日本国の体制と、日本国そのものは違う。このことを指摘した思想家が敗戦後どれほどいただろうか。」


これは、『この国を滅ぼさないための重要な結論』のあとがきで述べられている言葉です。
 
そもそもは”保守“を自称する言論人に向けて発せられた言葉であり、”右上とは何たるか“を指し示すために書かれたものです。
 
ですが、ここで述べられている“右上保守”の姿が今の今上陛下のお姿と重なって見えるのは気のせいでしょうか。
 
陛下ほど、悪口雑言を浴びせられた天皇がいたでしょうか。幼いころより外国かぶれと陰口を叩かれ、昭和時代は頼りないとの悪評、即位されてからは左翼の天皇呼ばわり。
 
それでも陛下は国民をお見捨てにならなかった。
 

『象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば』にもそれが凝縮されていますが、それだけではありません。
今上陛下の人生は天皇の役目を果たす」こと、その一点にのみ捧げられてきたものであると言って過言ではありません。
 
確かに歴代天皇も多くの場面で、天皇としての役割(秩序を回復する)を果たしてこられましたが、今上陛下ほど、人生を賭してその役割に真摯に向き合い続けて下さった天皇も数少ないのではないでしょうか。
 
今上陛下がいかに国と国民に尽くすために、その人生を捧げてこられたのか、『日本人として知っておきたい皇室のこと』に詳しく描かれています。

 
本書『日本一やさしい天皇の講座』『日本人として知っておきたい皇室のこと』を併せて読むことで、陛下がいかに国民を大事に思っているのか、皇室の存在が日本にとって、国民にとって、いかに必要不可欠なものであるのかということを“心で感じる”ことが出来るのではないでしょうか。
 
二百年に一度の「譲位」という一大事に、真摯に向き合うためにも必読の書と言えます。
おススメです!


  

為参考:『日本人として知っておきたい皇室のこと』収録
「変質した政府との戦い」

■変質した政府との戦い

GHQによる「皇室」解体政策の悪影響は、戦後まもなく大学において顕著に現れるようなった。よく知られているように、六〇年安保から七〇年安保の時代に学園紛争が吹き荒れ、全国の大学は左翼全学連によって席巻された。大学は急激に左翼化し、「天皇制」を打倒し社会主義革命を夢見る勢力が台頭するようになった。
一方、政権与党の自民党ロッキード事件に代表される汚職によって世論の批判を受け、昭和四十九年七月の参議院選挙で敗北し、社会党自民党勢力が拮抗する保革伯仲時代が到来する。
  
並行して学生運動出身者たちがマスコミや政府、大学に入り込み、「保守の顔」をして政府を動かすようになる。その影響を受けて政府の左傾化が始まるが、象徴的なのは昭和五十二年七月二十三日、文部省は学校教育の基準である「小・中学校学習指導要領」を全面改訂した際、ゆとり教育を導入する一方で、教育内容を精選するという名目で、「天皇についての理解と敬愛の念を深める」などの字句を削除したことである。
恐らく教育課程の改悪を念頭に置かれてのことだろう。その年の十二月、陛下は次のようにお述べになり、浩宮陛下と共に歴代天皇の歴史を学ぶご意向を示されたのである。
  

これは皆で考えた問題ですけれども、天皇の歴史というものを、その事実というか、そういったものを知ることによって、自分自身の中に、皇族はどうあるべきかということが、次第に形作られてくるのではないかと期待しているわけであります。

(昭和五十二年、お誕生日前の記者会見)
 
心ある国民もまた、政府の「変質」を憂慮していた。皇室を支える仕組みを民間の手で立て直しすべきだという意見が続出し、昭和五十二年頃から元号法制化運動が起こるのである。「このままでは次の元号は制定されなくなってしまうが、それでいいのか」という訴えは広範な支持を獲得し、昭和五十三年に「元号法制化実現国民会議」(議長、石田和外元最高裁長官)が結成され、翌昭和五十四年六月六日、元号法が成立するのである。
危機感を抱いた社会党は、元号法を契機に皇室制度が再建されていくことを阻止すべく執拗に政府を追求した。なんとその追及に政府は屈してしまうのである。
 
昭和五十四年四月十七日、衆議院内閣委員会において社会党上田卓三議員は「今回、この改元元号法制化によって法律的に根拠づけられようとしているわけでありますが、改元の問題を皇位継承という一連の流れの一環として見た場合に、旧皇室典範に記されているような践祚大嘗祭といった儀礼はどのような扱いになるのか」と質問した。
  
これに対して真田秀夫内閣法制局長官は「大嘗祭なんというのは恐らく国事行為としても無理なのじゃないかと思う」「憲法二十条第三項の規定がございますので、そういう神式のもとにおいて国が大嘗祭という儀式を行なうことは許されないというふうに考えております。」と回答した。
大嘗祭とは、皇位を継承するにあたって、その年の稲穂を神々にお供えし、国家の安泰と国民の安寧を祈念される最も重要な儀式である。こともあろうに内閣法制局長官がその儀式を「行うことは許されない」と断言したのである。
  
その二年後の昭和五十六年、皇后陛下は「戦後生まれの世代が国民の過半数を占める時代になりましたが、今後皇室の在り方は変わってゆくとお考えですか」という質問に、次のようにお答えになった。
  

時代の流れとともに、形の上ではいろいろな変化があるでしょうが、私は本質的には変わらないと思います。歴代の天皇方が、まずご自身のお心の清明ということを目指されて、また自然の大きな力や祖先のご加護を頼まれて、国民の幸福を願っていらしたと思います。
その伝統を踏まえる限り、どんな時代でも皇室の姿というものに変わりはないと思います。

(昭和五十六年、お誕生日前の記者会見)
  
いかに時代が変わろうとも、政府が社会党の追求に屈しようとも、宮中祭祀において「歴代の天皇方が、まずご自身の清明ということを目指されて、また自然の大きな力や祖先のご加護を頼まれて、国民の幸福を願っていらした」伝統を踏まえていくとのご決意を、皇后陛下は明確に示されたのである。
 

■戦後憲法下での「大嘗祭
しかし、政府による「皇室の伝統」軽視の傾向は止まらず、宮内庁は昭和五十七年、ご高齢を理由に昭和天皇がお出ましの祭祀を四つ(春季・秋季皇霊祭、神嘗祭新嘗祭)に制限してしまう。一連の政府の対応を受けて天皇陛下は、昭和六十一年五月二十六日付「読売新聞」に掲載された文書回答で次のようにお述べになった。
  

天皇が国民の象徴であるというあり方が、理想的だと思います。天皇は政治を動かす立場
にはなく、伝統的に国民と苦楽をともにするという精神的立場に立っています。このこと
は、疫病の流行や飢饉に当たって、民生の安定を祈念する嵯峨天皇以来の天皇の写経の精神
や、また、「朕、民の父母と為りて徳覆うこと能わず。甚だ自ら痛む」という後奈良天皇の写経の奥書によっても表されていると思います。


  
ここで注目しなければならないことは、「後奈良天皇」について言及されていることだ。一四六七年に起こった応仁の乱を契機に室町幕府は衰え、戦国武将による群雄割拠の時代が始まる。それは同時に、皇室を支える経済体制の弱体化も意味した。
一五二六年に三十一歳で皇位を継承された後奈良天皇は一五三六年、践祚後十年目にして戦国大名の寄進で即位式をようやく実施できたが、費用のかかる大嘗祭を同時に行うことはできなかった。当時の文献によれば、皇居の土堀は崩れ、庶民らは三条大橋の上から内侍所(現在の皇居・賢所)の燈火が見えたほど困窮は甚だしかったという。
 それだけに一五四〇年から四五年にかけて疫病が蔓延した際には何もできないご自分を責められ、御自ら「般若心経」を書写されて全国二五箇所の一宮に奉納された。そして、一五五七年、大嘗祭を挙行されないまま、後奈良天皇崩御されてしまう。
  
このように苦労された後奈良天皇について言及された背景には、畏れ多いことながら、ご自分も後奈良天皇のように政府の支援を得られず大嘗祭を挙行できないかも知れないが、それでも国民の安寧を祈り続けていくという悲壮なるご覚悟があられたのではないか、と思わざるを得ない。何しろ内閣法制局長官が「国が大嘗祭という儀式を行なうことは許されない」と明言していた時である。
  
昭和六十二年九月二十二日、昭和天皇は腸通過障害で手術をされ、念願であった沖縄ご訪問は中止となった。翌六十三年九月十九日、昭和天皇は再びご不例となり、昭和六十四年一月七日、ついに崩御された。
直ちに皇位を継承された陛下がまず直面されたのは、占領政策に屈し、皇室の伝統を歪めようとする政府であった。政府は、昭和天皇のご葬儀を行うにあたって憲法政教分離条項がある以上、皇室の伝統を歪めることもやむなしという判断を下そうとしていたのである。
  
危機感を抱いた「日本を守る国民会議」の黛敏郎運営委員長らが一月二十四日、竹下首相と会見し、ご葬儀は皇室の伝統に基づいて行われるように強く要望した。最終的に皇室行事の「葬場殿の儀」において当初予定されていなかった鳥居と大真榊が設置されることとなったものの、国家行事の「大喪の礼」において鳥居は撤去されるという事態になった。
この間、憲法によって国政に関する発言権を奪われた陛下は父君・昭和天皇のご葬儀であるにもかかわらず、何ら発言することができなかった。
  
 昭和天皇のご葬儀と並行して大嘗祭のあり方についても、憲法政教分離条項との関連で議論になった。「即位の礼準備委員会」を設立し、現行憲法下での皇位継承儀礼について検討を進める政府に対して、神道政治連盟など民間有志による「大嘗祭の伝統を守る国民委員会」が約六〇〇万名の嘆願署名を集め、「即位の礼大嘗祭が国家の儀式として伝統に則り斎行される」よう要望した。
  
 この要望を踏まえ十二月二十一日、政府の「即位の礼準備委員会」は、大嘗祭について「宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは否定できない」としながら「皇位世襲制をとる憲法下では国も深い関心を持たざるを得ない」とその公的性格を認めた。政府は、皇室の伝統に基づいて「公的行事」として大嘗祭を挙行することを決定したのである。
  
 戦後憲法体制下において多くの制約を課せられたものの、皇室の伝統を継承できたことがいかに大きなことであったのか。天皇陛下は「(平成の十九年間を)振り返ってみて、今まで直面した最も厳しい挑戦や期待はどのようなものでしたか」という質問に対して、次のようにお答えになっている。
  

振り返ると、即位の時期が最も厳しい時期であったかと思います。日本国憲法の下で行われた初めての即位にかかわる諸行事で、様々な議論が行われました。即位の礼は、皇居で各国元首を始めとする多くの賓客の参列の下に行われ、大嘗祭も皇居の東御苑で滞りなく行われました。これらの諸行事に携わった多くの人々に深く感謝しています。

(平成十九年、欧州ご訪問前の記者会見)
  
即位の礼大嘗祭を行うことができた喜びがこのご発言から窺われるが、それは、誠に申し訳ないことながら、それだけ戦後憲法体制と、そのもとで変質した政府によって「厳しい時期」を強いられてきたということでもあると言えよう。
  

■皇室の伝統を踏まえた憲法解釈
平成の御代に入ると、皇室の伝統を重んじられる陛下の御心を無視するかのようにマスコミは「開かれた皇室」論をしきりに喧伝し、昭和天皇との断絶を強調するようになった。とくに天皇陛下が平成元年一月九日の「即位後朝見の儀」でのお言葉の中に「日本国憲法を守り」という一節があったことから、『朝日新聞』などが、平成の天皇は「護憲」であり、「改憲派天皇陛下のご意志に背いて改憲を進めるのか」という論調で記事を書き始めた。
  
この「護憲天皇」という主張に過敏に反応して今度は保守系の一部からも「いまの天皇陛下は護憲で、リベラルだ」といった批判が出て来るようになった。
現行憲法の規定を読めば分かるように、天皇の立場で憲法を批判するわけにはいかない。
さりとて何もおっしゃらなければ社会党のような意味での「護憲」論者とみなされかねない難しい立場に追い込まれてしまったのである。
 
追い討ちをかけたのは、『朝日新聞』をはじめとするマスコミだった。お誕生日前に行われる記者会見において記者たちは、「昭和の時代と比べて天皇としての活動のあり方も変わってきたようにお見受け致しますが、ご自身では、どんな点をどのような思いから変えてきたとお考えでしょうか。さらに今後、国民の期待をどう受け止め、どのような形でこたえていきたいとお考えでしょうか」といった質問を毎年のように繰り返した。そこには、「平成の天皇陛下は、昭和天皇のスタイルを変えようとする伝統軽視の護憲リベラルだ」というレッテルを張ろうという悪意が透けてみえる。
 
陛下はこうした質問に対してあくまでも誠実に、しかし妙な言質をとられることのないように慎重な言い回しでお答えになっている。
 

日本国憲法で、天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であると規定されています。この規定と、国民の幸せを常に願っていた天皇の歴史に思いを致し、国と国民のために尽くすことが天皇の務めであると思っています天皇の活動の在り方は、時代とともに急激に変わるものではありませんが、時代とともに変わっていく部分もあることは事実です。
私は、昭和天皇お気持ちを引き継ぎ、国と社会の要請、国民の期待にこたえ、国民と心を共にするよう努めつつ、天皇の務めを果たしていきたいと考えています。

(平成十年、お誕生日前の記者会見)
 
このご回答を丁寧に拝読すると、現行憲法には「日本国民統合の象徴」としか書かれていないが、その意味を長い「天皇の歴史」を念頭に置いて解釈した場合、「国と国民のために尽くすことが天皇の務め」であり、「昭和天皇お気持ちを引き継」ぐことにもなるとおっしゃられていることが判る。
つまり、現行憲法を正面から批判するのではなく、「国民の幸せを常に願っていた天皇の歴史」に基づいて憲法の「象徴」規定を解釈することで、「象徴」たる天皇の務めとは「国民の幸せを常に願っていた天皇の歴史に思いを致し、国と国民のために尽くすこと」だという皇室像を打ち出されている。
「現行憲法を守るならば、戦前の歴史を否定し、昭和天皇と異なる『開かれた皇室』を目指すべきだ」というマスコミの追求に対して、「象徴」規定に基づいて皇室の伝統を守る憲法解釈を示されたのである。
   
陛下は昭和五十年代に自ら望まれて、最高裁田中二郎元判事から憲法の運用・解釈について学んでいらっしゃる。田中元判事は昭和二十一年から二十二年にかけて教育基本法を制定した際、GHQと交渉した経験を持つ専門家だ。「皇室解体」というGHQの意図が込められた戦後憲法体制下で、皇室の伝統を受け継ぐという「困難な道」を天皇として歩まなければならない―そのご決意を貫くため、陛下は周到な準備をされていたことを、田中元判事との勉強会は物語っているのではないだろうか。

 

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『梧陰存稿 五倫と生理との関係』を読む~教育勅語は儒教にあらず、自然の摂理に根差すものなり #教育勅語 #井上毅 #聖徳太子 #儒教 #五倫 #和を以て貴しとなす #自然の摂理 #梧陰存稿

『梧陰存稿 五倫と生理との関係』を読む

教育勅語儒教にあらず、自然の摂理に根差すものなり

 

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■梧陰存稿収録「五倫と生理との関係」

本文は『教育時論』第351号(明治28年1月15日号)に発表されたもの。

 

五倫とは、儒教の教えである

「父子の親(親愛の情)」、

「君臣の義(地位や事態に応じた適切な態度)」、

「夫婦の別(男女の区別)」、

「兄弟の序(兄弟間・長幼間の序列)」、

「朋友の信(友人間の信義・誠実)」

のことで、その内容は一見、教育勅語そのものであるかのように見えます。

   

ですが、本当に教育勅語儒教の教えを説いたものなのでしょうか?

  

教育勅語発布は現場からの嘆願~教育現場の混乱~

そもそも教育勅語はなぜ発布されたのか。

文科省HP掲載の学制百年史「明治憲法教育勅語」-「教育勅語の起草と発布」によれば、

「条約改正問題を控えて欧化主義思想が国内を支配し、従来の徳育の方針と激しい対立を示すようになった。そして徳育の方針に関し、論者は互いに自説を立てて論争し、いわゆる「徳育の混乱」と称せられる状況を現出した。」

とあります。

これが教育の現場にも多大な混乱を招いたことに地方長官たちも困り果て、徳育の根本方針を文教の府において確立し、これを全国に示してほしいという趣旨の建議を提出したことがその発端であると記されています。

 

教育勅語と言えば、何だか上から下へ押し付けたものという印象が未だにまかりとおっていますが、実際は、下からの嘆願に応える形で作成されたものと言えます。

 

また、現場の混乱を収拾するために作成したのであれば、ある特定の学派に偏った教えであっては混乱が収まるはずがないことは自明と言えるのではないでしょうか。

 

教育勅語自然の摂理に根差したもの

にもかかわらず、一見すれば、教育勅語はまさに五倫の教えを述べた儒教的なものにうつります。

なぜか。

その理由を本論文で井上毅は次のように述べています。(※当方意訳)

「五倫は人として人たるものは社会で生活するために必ずその規範に則って行動すべき道にして、古今を通じ、国内外で実践されている、逃れようとしても逃れることはできず、避けようとしても避けようがないものである。

 

誰が五倫を儒教固有の主義だと言っているのか。また誰がこれを東洋の古い因習の一つとみなしているのか。東西各国の情勢も調べず、古今の歴史をも論じていないではないか。

どんな論理であっても我々人間に息づく元来備わっている自然の摂理に抵抗することはできない。

 

個人の生活と五倫の関係とは、例えば目と色のようなものである。

色がなければ目はその役割を果たせない。暗室に閉じ込められて五色を見させられたところで、その色は見えはしない。

人が五倫の関係を失うということは、自然の摂理を失うということだ。」

 

つまり、儒教に基いて教育勅語が作成されたのではなく、人の摂理、自然の摂理に基いて教育勅語を作成したら、偶然、五倫と同じになったというところではないでしょうか。

 

実際、本書『梧陰存稿』で解説するところの五倫の内容を読むと、そこに通底するのは、儒教というよりはむしろ、聖徳太子が説いた「和を以て貴しとなす」とする“共存共栄の精神”であるように思えます。

 

本論「五倫と生理の関係」を読めば、より一層、教育勅語の内容を味わい深く感じることが出来るのではないでしょうか。

 

是非一度読んでみて頂きたいです。

 

五倫と生理との関係(意訳。抜粋)

■夫婦の別(男女の区別)(要旨意訳)

男女が結ばれること、二人で一人になることは一陰一陽一剛一柔であって、天地の不思議な作用があって、子孫を育てる。これは人類の組織構造に起因したるものであって、自然の摂理であることに異論はないのではないだろうか。

古典では諾冊二神(イザナギノミコトとイザナミノミコト)でお述べになられるところの有余不足相補うの作用とおなじく、互いに助け合うというエピソードがある。

すなわち、男性は剛勇にして潤大高尚の徳を備え、女性は温和にして機微精緻の性質を持っているというのは、一方は外を治め、一方は内を治めるのに適当な固有の能力であるといっていいのでないか。

 

このため西欧列強においても女性が政権を担うことがないのは、どの国でも同じところである。

西欧諸国の男女同権の説は、私権においてのみ、どの程度認めるかについて差があるとしても、民法においてはこの説が実行されている例はない。

 

夫婦の間における作用とおなじように、倫理の関係は自然の摂理における人身の組織構造に基づくものに他ならない。

 

■君臣の義(要旨意訳)

君臣の関係はというと、西欧諸国の先人たちがいうように人は団体動物である。

人は相集まって、団結し、助け合い、頼り合い、交換し合わなければ生活することはできない。

集団が小さければ村落であり、大きければ国家となる。一家があれば家長がおり、一国あれば君主がいる。

多くの人がつどい合う中にあって、秩序が成り立たなくてよいのだろうか。

治める人は人に養われ、人を養う人は人に治められる。木枝が別れるのと同じように、ばらばらのように見えて、その根本はひとつである。

そのようにして主君の道は成り立っている。

 

「かのアフリカ人又は南洋諸島が無知で愚かであることは、殆ど獣類と大差ない有り様であるが、とりわけ人類としての特徴を現わすものは村落に酋長がいるかどうかをもって説明し得る」と、探検家の手記で伝えられている。

 

これは君臣の道は夫婦親子と同じように人類の元来備わっている機能に基づくものではないだろうか。

 

そもそも人は羽毛があって空を飛べるわけでもなく、鱗があって水の中を潜行することもできず、歯角爪牙の類のものも、獲物をつらぬくのに十分ではない。

 

このように薄弱な体躯といえども人々の親しみ合い、慈しみ合う情と団結しあう力は、虎豹豺象をも追い払い、恐ろしき怪獣毒蛇をも攻め平らげて、百物の上に最高優勝の地位を占めるに十分なものである。

 

もしこの団結の効用がなければ、一族の人間、人民が絶滅することにそう時間はかからないだろう。

10万の兵も将を欠くときは戦うことはできず、億万の民衆も君主を欠くときは立つことさえできない。そうした団結の強さは、ただ国民の忠愛の情がどのような状態であるかで推し量ることになる。

 

■五倫に対する批判について(要旨意訳)

このようにして五倫は人として人たるものは社会で生活するために必ずその規範に則って行動すべき道にして、古今を通じ、国内外で実践されている、逃れようとしても逃れることはできず、避けようとしても避けようがないものである。

 

誰が五倫を儒教固有の主義だと言っているのか。また誰がこれを東洋の古い因習の一つとみなしているのか。東西各国の情勢も調べず、古今の歴史をも論じていないではないか。

どんな論理であっても我々人間に息づく元来備わっている自然の摂理に抵抗することはできない。

個人の生活と五倫の関係とは例えば、目と色のようなものである。

色がなければ目はその役割を果たせない。暗室に閉じ込められて五色を見させられたところで、その色は見えはしない。

人が五倫の関係を失うということは、自然の摂理を失うということだ。

 

私は儒家たちが五倫を威張り顔に一門の占有物のように主張して他の者を無父無君などと言い煽ることを笑う者である。

 

また世の人が五倫をもって儒教主義の産物とし、自らは五倫の教えのために奮起しているかのように思い込んでいる者たちを笑う者である。

田母神さん『冤罪獄中記』からの一撃! チャンネル錯乱の悪宣伝を暴く③ 世にも奇妙な起訴編 #チャンネル錯乱 #反撃の田母神 #冤罪 #偽装保守

田母神さん『冤罪獄中記』からの一撃! チャンネル錯乱の悪宣伝を暴く③ 世にも奇妙な起訴編

#チャンネル錯乱 #反撃の田母神 #冤罪 #偽装保守

 

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(↓前回はこちら)

『田母神さん『冤罪獄中記』からの一撃! チャンネル錯乱の悪宣伝を暴く① 高級コリアンクラブ編』 ⇒ http://amba.to/2qSnWKQ

 

『田母神さん『冤罪獄中記』からの一撃! チャンネル錯乱の悪宣伝を暴く② 領収証編』 ⇒ http://amba.to/2qW6ViV

※今回は悪宣伝というわけではありませんが

 

■田母神さんがかけられた嫌疑とは何だったのか。

今回、田母神さんが公職選挙法違反の嫌疑をかけられたのは公職選挙法第221条の買収および利害誘導罪のようです。

(以下参考抜粋)

公職選挙法 第221条(買収及び利害誘導罪)より抜粋

http://senkyo-navi.net/18/237/000725.html

 

選挙運動期間中かどうかに関係なく、選挙での当選を目的として、有権者選挙運動員に対して、お金や品物を渡したり、食事やお酒をごちそうしたり、旅行や芝居・演劇・コンサート等に招待したりすることなどが、買収罪にあたります。

 

お金や品物を渡した人やごちそうした人だけではなく、お金や品物をもらった人や、食事やお酒をごちそうになった人、旅行や芝居・演劇・コンサート等に連れて行ってもらった人も、同じように、罪に問われます。

【 買収罪の例 】

有権者にお金を配る
・ 車上運動員(いわゆるうぐいす嬢)に対して法律に定める額を超えて報酬を支払う
選挙運動員に対
して、法律に定める額を超えて報酬を支払う
・ 法律上報酬を支給することができる運動員以外の人(選挙運動を手伝った人など)にお金や金券を支払ったり、食事を提供したりする

 

そして、この買収罪の罪に問われる対象者として次の者が列挙されています。

1.公職の候補者

2.選挙運動を総括主宰した者

3.出納責任者

4.選挙運動を主宰すべき者として第1号又は第2号に掲げる者から定められ、当該地域における選挙運動を主宰した者

島本・鈴木両名が行った選挙運動員への金銭の配布について、田母神さんも指示、了承していたのであれば、「共謀していたことになる」ということで公職選挙法違反として起訴されたのです。

 

当然の如く田母神さんは「自分は金銭を配ることを指示もしていないし、了承もしていない」と無罪を主張されましたが、裁判所は「被告の指示や了承があったと推認される」としたことから、今回の判決に至っています。

(参考)

公職選挙法違反 田母神元幕僚長に執行猶予つき有罪判決 | NHKニュース http://bit.ly/2rUnyJ1

推認とあるように関係者の証言などをもとに、田母神さんが指示・了承していたと考えるのが合理的だと裁判所が判断しただけに過ぎません。

 

裏を返せば、「共謀を指し示す直接的な証拠は何一つありませんでした。」と裁判所自ら白状しているようなものなのでは。

 

■自白しているのに起訴されないチャンネル錯乱?!

上記のような理由で田母神さんが起訴されたことを踏まえると、ある疑念が湧いてきます。

それは、「なぜ選対トップであったチャンネル錯乱のラードは起訴されなかったのか」ということです。

 

『不徳を恥じるも私心なし 冤罪獄中記』によると、なんとチャンネル錯乱のラードは証人喚問中に、うぐいす嬢への法定を超える報酬の支払いを了承していたことを自ら法廷の場で自白しているのです。

 

それはこちらの、NAVER まとめでも取り上げられています。

↓ 

(以下参照)

冤罪!?田母神裁判、執行猶予判決!本当の悪は・・・!?

http://bit.ly/2rUQfFT

ラード「ウグイス嬢については、島本から、法廷では一万何千円だけれど、実際、それではやっていけませんので、色をつけてやらなければまずいと報告を受けて、そういうものなんですかと。私は選挙をちゃんとやったのは初めてだから、それはそうかということで言った。」

検事「そこで了承したということか

ラード「はい

(参照おわり)

 

また、鈴木氏の証言では、当初は金銭の配布について自分の取り分が400万だと聞いて「こんなにもらえるの」と喜んでいたとの証言も出ています。

(ラード本人は否定していますが)

さらには、週刊誌などでは「お金を断って、怒鳴りつけた」と吹聴していますが、怒鳴られたはずの鈴木氏は「怒鳴りつけられたことはない」とも証言しています。

 

上記の公職選挙法第221条で列挙されている「選挙運動を総括主宰した者」とは選対本部長などの実質的責任者のことを指すのだそうです。

 

散々、長期勾留され、社会的に抹殺されかけた田母神さんが、裁判所の推論だけを根拠に判決を受け、

自ら公職選挙法に違反したことを自白しているチャンネル錯乱のラードが、何の罪にも問われず、のうのうと毒電波を垂れ流し、田母神さんを批判し続けている・・・。

 

理不尽極まりないと思うのは私だけでしょうか?

 

「今は心静かに。今に見てろ」

(『不徳を恥じるも私心なし 冤罪獄中記』より)

田母神さんの今後の反撃に期待したいです。

 

PS:

錯乱が5/24付けで放送していた内容によると、鈴木氏が作成した資料や証言が田母神さんが有罪となる有力な証拠であったのだと言いたいようです。

だったら、

「ラードは自分の取り分が400万だと聞いて”こんなにもらえるの”と喜んでいた」

という鈴木氏の証言も事実だったというわけですね。

 

また、「自分は選対本部長だったが、私の責任がどこにあるのかいってもらいたい。」

と発言していますが、そのものズバリ、”選対トップ”としての公職選挙法 第221条(買収及び利害誘導罪)に関する説明責任なのでは?

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ちなみに若者はチャンネル錯乱なんて観てませんよw

田母神さん『冤罪獄中記』からの一撃! チャンネル錯乱の悪宣伝を暴く② 領収証編 #チャンネル錯乱 #偽装保守 #反撃の田母神 #冤罪

田母神さん『冤罪獄中記』からの一撃! チャンネル錯乱の悪宣伝を暴く② 領収証編

#チャンネル錯乱 #偽装保守 #反撃の田母神 #冤罪

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前回の「高級コリアンクラブ編」に引き続き、田母神さんの”実質的勝利”を踏まえて、今回はその②「領収証編」です。

 

(↓前回はこちら)

『田母神さん『冤罪獄中記』からの一撃! チャンネル錯乱の悪宣伝を暴く① 高級コリアンクラブ編』 ⇒ http://amba.to/2qSnWKQ

  

この領収証に関することも使途不明金が発覚してすぐからチャンネル錯乱のラードどもが喧伝していたものです。

  

【桜特捜班】田母神事務所政治資金横領事件、告訴状の準備完了[桜H27/6/29]
http://bit.ly/2rQCdVC

(引用)
まあはっきり言うと、手前の金だと思ってドンドコドンドコ、はっきり言いますと、会計責任者からお金をもらってね、使っちゃった。今一生懸命必死になって、実際は領収書を揃えたりね、何だとかって誤魔化そうとしてますけど、こういう色んなものがね、我々証拠とか色々掴んでおりますから、粛々とやるということであります。

(引用終わり)

  

などと称し、あたかも「領収証を偽造している」かのような発言です。

さらに輪をかけて、次の動画には、H29/5/24現在においても、以下のような説明書きがなされています。

  

【田母神横領事件】架空の会計責任者!今、問われる保守の自浄作用[桜H28/3/10] 

http://bit.ly/2qSngoC  

(引用)

遂に司直の手が入った田母神俊雄事務所の政治資金横領事件は、田母神氏自身が説明責任から逃亡し、かつ自身に有利な印象操作を図るなど、卑劣・卑怯な振る舞いを繰り返している。また、着服したという会計責任者の後任は、全くの名義可貸しで実務にタッチしておらず、そこに田母神氏自身の手による横領や文書偽造疑惑も追加される事になった。保守の自浄能力が問われる今般の事件について、水島から可能な範囲で説明をさせていただきます。

(引用終わり)

 

■存在していた領収書

結論から言えば、領収証に関して偽造した事実は一切ありませんでした。

 

16/7/2付の朝日新聞によれば次のように報じられています。

関係者によると、田母神被告の事務所などに、飲食店などで使った大量の領収書が残っていた。特捜部が精査したところ、大半は田母神被告の政治活動と認めうる支出だったという。

 

また既に不起訴となっている選挙資金横領疑惑、今回の公職選挙法違反疑惑のどちらの裁判においても、領収証の偽造などという話は持ち上がっていません。

 

前回の高級コリアンクラブ編でもそうでしたが、チャンネル錯乱のラードどもが、領収証についても、ありもしないデタラメを吹聴し、騒ぎ立てていたというのが現時点における厳然たる事実と言えるのではないでしょうか。

 

なんせ、裁判所どころか他のメディアですら領収証偽造疑惑などとは”一切報じられていない”のですから。

   

ありもしないデタラメを吹聴して、人を貶めるような人間を”下衆”と称したと思うのですが・・・。

違うのでしょうか?

  

貶められた田母神さんの怒りの声が聞こえてくるようです。

  

「今は心静かに。今に見てろ」

(『不徳を恥じるも私心なし 冤罪獄中記』より)

田母神さん『冤罪獄中記』からの一撃! チャンネル錯乱の悪宣伝を暴く① 高級コリアンクラブ編 #チャンネル錯乱 #反撃の田母神 #冤罪 #偽装保守 #ラード

田母神さん『冤罪獄中記』からの一撃! チャンネル錯乱の悪宣伝を暴く① 高級コリアンクラブ編 

#チャンネル錯乱 #反撃の田母神 #冤罪 #偽装保守 #ラード

 

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公職選挙法違反の罪に問われた裁判も執行猶予となり、田母神さんの実質的勝利に終わりました。

(チャンネル錯乱の放送がお通夜みたいだったことが全てを物語っています。)

 

とは言え、田母神さんご本人は判決内容にご不満な様子。Twitter控訴する意思があることを示唆しています。

 

自動車事故で、本来、責任負担10対0のはずなのに、あれこれ理由をこじつけられて8対2にされたら、腹立たしくもなるといった心境なのではないでしょうか。

 

閑話休題

ともかく裁判も一旦落ち着いたということで『不徳を恥じるも私心なし 冤罪獄中記』で書かれている内容に従い、チャンネル錯乱の悪宣伝を暴いてみたいと思います。

 

■高級コリアンクラブ編

今回の件についてチャンネル錯乱のラード達が撒き散らしていた悪宣伝の代表的なものの一つと言えば、使途不明金は田母神らが遊興費に使っていた。しかもそれは赤坂の高級コリアンクラブで使い込まれていた。」というものではないでしょうか。

 

さも、裏取りをしているかの如く、ラード達は言っていましたが、結論から言えば、

田母神さんは高級コリアンクラブに通っていませんでした。

 

高級コリアンクラブに通っていたのは鈴木、島本両名だけであり、このことは店側にも確認済みであることが本書『冤罪獄中記』で明かされています。

  

一方の錯乱側はというと、

こちらの優良ブログの記事『田母神問題・チャンネル桜水島氏錯乱中…その9』によれば
http://amba.to/2rPYrap

 

単に「鈴木、島本が行っていたのだから、田母神も同席していたはず」と憶測で発言していたことを暗に認めています。

要は、本来は「鈴木・島本」が連帯して行っていたことに、なぜか田母神さんも加わっていたことにして、憶測で発言していたのです。

  

そもそも放送メディアを自称するのであれば、店側への取材などを行っていても不思議ではありませんが、チャンネル錯乱が、そのような取材活動を取った形跡は寡聞にして知りません。

 

ロクな取材活動もせず、田母神さんを横領疑惑の容疑者に仕立て上げようとしていたのが、チャンネル錯乱だったというわけです。

 

この一件によって、左翼やリベラル側から見れば「やはり保守や右翼はネトウヨだからダメだ」というレッテルが貼られ、実際に大勢の人が保守陣営から離れていき、保守は一大勢力になれず、五年以上立ち直れなくなったと指摘されるような打撃を受け、千載一遇のチャンスを失ったと言われています。

(参照)

『日本をダメにするリベラルの正体』外伝 チャンネル錯乱、愛国詐欺のなれの果て
http://amba.to/2ojfrqr

 

何よりも、憶測だけで犯罪者扱いし、人ひとりの人生を狂わそうとしたという事実に憤りを感じざるを得ません。

 

「今は心静かに。今に見てろ」

(『不徳を恥じるも私心なし 冤罪獄中記』より)

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井上毅論集『梧陰存稿』を読む ~国語ができれば賢くなる?!こどもの脳発育のために重要な国文教育~ #井上毅 #国語教育 #国文教育 #教育 #教養 #初等教育

井上毅論集『梧陰存稿』を読む

~国語ができれば賢くなる?!こどもの脳発育のために重要な国文教育~

 

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(前回はコチラ)

http://amba.to/2r1XwGK

 

■序文:梧陰存稿国文の部小言

まず「梧陰存稿国文の部小言」というタイトルで序文が書かれており、井上毅がなぜ、本書『梧陰存稿』を公刊しようと思ったのか、その理由が書かれています。

  

※誤読している箇所があるかもしれませんので、その時はご指摘頂ければ幸いです。

(意訳)

梧陰存稿国文の部小言

若い頃は好んで漢文を学び、文を磨こうとしていた。中年の頃から顧みて、その非を悟り、文部の職を受けるにあたり、公衆に向かって漢文は廃止すべきであることを明言し、己の職に拘らず一個人として有志の末列に加わる誓いを立て、国文興起の盛運をたすけるべきとの志をも公にしたのは、やむにやまれぬ心の切なる思いを述べたものである。

 

将来、国文教育が再び繁栄に向かうだろうというのは、噂話を風で捉えるかのように根拠のないものであるようだ。

世の著述家、ジャーナリスト達は不規律な雑文(漢文崩し)の慣習を使用し、規則だっている国文など相手にもしていない。

 

また国文刊行雑誌の載せる、道の記、旅の記など伊勢物語土佐日記のまがい物のような梅の記、櫻の記、楓の記物も、四季の咏こそ優雅に書き記すとも実用に値せず、三鏡または古今の注釈などは研究され尽くしている狭い分野のものでしかなく、一般の百科芸術経済政治社会に何の影響もあろうはずがない。

きつい言い方をすれば漢文にも劣る不要物であるといえる。

 

国文教科読本の目的は、読法および文法を授け、音調を正し、さらに読本により記録された事実をもって、間接的にほかの諸科を学ぶための基礎とすることにある。

 

故に、国文読本はなるべく単純な文章を選んで、高等教育に従って高尚な古人の名文を教えるべきで今日に不要の死語を用いた多くの注釈を必要とする文章を教えるべきではない。(専門家は除く)

 

にもかかわらず、盛衰記や義経記などまがいものの文章を優美だとし、また当時だからこそ美談として広く世間に広まっていたものを今日の教科書の選章としたるは何たることか。

 

某樓記遊、某山記がどれほど上手い文章だと言っても、それは奈良、平安の頃に真っ先に学ばなければならないものであって、富国強兵の現代にあって修めるべきは実学でなければならない。

 

国文教育における障害物の最たるものは現代人であって殊更に漢文を学んでいる化粧の怪物どもであろう。(私は現に中学読本で行われている第四第五の巻は廃止すべきだと思う)

 

このような有り様であるにもかかわらず、国文学者および教育者の中からも国文教科書の改正を提言する人が少ないのはどういうことか。

 

嗚呼、国文よ。千年来、暗黒世界に沈み込んでしまったことで、その輝きを万丈に放つ力すら失くしてしまったのだろうか。

 

その絶望的な状況は一向に止む気配がない。とは言え、(日本は)言霊の幸はふ国である。

国文教育の発達が国家の運命を左右するのだから、世の人が決して放置するはずがない。 

 

時は既に来ている。将来必ず豪傑なる人物が現れ、閉ざされた世界から抜け出し、幼稚な学説を斬り、奈良平安の巣から脱して、大いに国文教育の組織を拡張し、近世の学術経済百般の書物を網羅し、天地に至るまで広く影響を与え、西洋の緻密なる論理法を自在に操り、支那の豊富な文材を使いこなし、わが国の文明の発達を成して、旭の光が弥高く、豊かに登る勢いを示すに違いない。

 

国文存稿を出版するにあたり所感を記した。

(了)

 

■明治における国文教育の意義

この「国文の部小言」から察するに、明治28年当時、まだ書き言葉は漢文を教えることが主流であり、国文(日本語で書かれた文章)を教えることはまだまだ主流とは言い難い状況だったようです。

 

そうした状況に、井上毅は居ても立ってもいられず、出版を決意したのが本書『梧陰存稿』であることが、この序文から伺えます。

 

それにしても「漢文は廃止すべき」とまで言い切るとは穏やかではありません。

一体なぜ、井上毅はそこまで国文教育に拘ったのでしょうか?

 

この序文を読む限り、井上毅が何よりも重視していたのは百科芸術経済政治社会において通用する実学であったように思います。

 

だからこそ、実学の習熟に何の役にも立たない、今は使われることなく死語となっている言葉を多用し、文章の煌びやかさのみを修めようとする漢文(あるいは漢文を教える教師)を「化粧の怪物」と称したのではないでしょうか。

(現に、国文であれば何でも構わないと言っているのではなく、国文刊行雑誌の載せる、道の記などは「漢文以下の不要物」と言っています。)

  

西洋列強に追いつくべく、近代化を進めていた当時にあっては、大いに産業を興し、国を強くする必要があり、そのために学問を修める必要がありました。

それは漢文では成し遂げられるものではなく、国文によってこそ成し遂げられるものだったのでしょう。

 

とはいえ、「支那の豊富な文材を使いこなし」としているように、実際には漢文は漢文として大いに使いこなせと言っていることにも注目すべきではないでしょうか。

 

■現代における国文教育の意義とは

では、現代における国文教育の意義とは一体何なのでしょうか?

 

巷では組織的な再就職あっせん(天下り問題)や前事務次官が出会い系バーに出入りしていたという、なんともため息が出るような話題しか振りまかない文科省には、次のように掲載されています。

 

(以下抜粋) 

【小学校/中学校学習指導要領】

言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で正確に理解し適切に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。

 

(1) 日常生活に必要な国語について,その特質を理解し適切に使うことができるようにする。

(2) 日常生活における人との関わりの中で伝え合う力を高め,思考力や想像力を養う。

(3) 言葉がもつよさを認識するとともに,言語感覚を養い,国語の大切さを自覚し,国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養う。

(抜粋終わり)

 

正直、わかったような、わからないような、今一つ掴みどころがない内容のように思えます。 

これを読んで、「やっぱり国文教育は大事だ、大いに勉強しよう」と思う人はそれほど多くはないのではないでしょうか。

 

■脳の発育のために重要な国文教育

むしろ、「国文教育は、脳の発育のために決定的に重要である」とする方が簡潔明瞭でわかりやすいような気がします。

 

脳障害児治療の先駆者として、また、健常児の早期発達に関する活動で、多大な功績を残したグレン・ドーマン博士の著書『親こそ最良の医師』には次のようなことが述べられています。

 

(以下引用)

ものを学びとる能力のある唯一の器官である脳は、テレビを通じて大きくてはっきりしたことばを、耳を通じて「聞き」、それを脳独自の方法で解釈する。

同時にその脳が、テレビに大きくはっきりと写された文字を、目を通じて「見」、まったく同じ方法で解釈する。

こどもの脳にとっては、像を「見る」のも音声を「聞く」のもまったく変わりない。

(引用終わり)

 

像を「見る」のも音声を「聞く」のも、まったく同じ方法で解釈するのであれば、日常生活でしゃべったり、聞いたりする言葉使いや話し言葉で用いる文法で書かれている文章の方が、脳にとっても理解しやすいという結果になるのは、ごく自然な結果ではないでしょうか。

 

それが井上毅がいうところの

「国文教科読本の目的は、読法および文法を授け、音調を正し、さらに読本により記録された事実をもって、間接的にほかの諸科を学ぶための基礎とすることにある。」

という事なのではないかと。

  

現時点においては、このような見解に至りましたが、「教育に正解はない」というのも一つの真理であると言えます。

 

機会があれば、小学校の国語の先生に一度「国語教育の意義とは何ですか?」と聞いてみたいものです。