『倉山満が読み解く 足利の時代─力と陰謀がすべての室町の人々』 “北〇の拳”し過ぎる!!逞しすぎる室町の人々 前作『太平記の時代』の面々がさらにパワーアップ!!
『倉山満が読み解く 足利の時代─力と陰謀がすべての室町の人々』
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“北〇の拳”し過ぎる!! 逞しすぎる室町の人々--前作『倉山満が読み解く 太平記の時代―最強の日本人論・逞しい室町の人々』の面々が、さらにパワーアップ!
正直、室町時代と言えば、「足利尊氏、足利義満、金閣寺、以上おわり」という程度の知識しかなかったのですが、これだけ個性的なメンツが揃っていたとは、改めて驚きを禁じ得ません。
当時流布されていた、終末観的百王説とも相まって、まさに“北〇の拳”に出てきそうな個性的な人物たちが、ところ狭しと暴れまわります!!
■楽しすぎる主要人物
足利尊氏・・・謎のカリスマ性を持つ、引きこもりがちで、躁鬱気質の初代将軍。ケタ外れの強さを誇る。悲しくなると地蔵菩薩の絵を描きたくなる。「北〇の拳」でいえば、強さ以外は、まるで社会不適合者のケンシロウに近い気が。
足利直義・・・尊氏の弟。事実上の副将軍。昔は尊氏が「この世の栄華はすべて直義に与えたまえ」と願文を捧げるほどの仲の良い兄弟だったのに、尊氏のご落胤である直冬を養子にしてから、徐々に亀裂が入り、命を狙い狙われる関係に。
友人同士であったにもかかわらず、ユリアをめぐって関係が悪化したケンシロウとシンの間柄を彷彿とさせる。(ケンシロウとシンは兄弟ではありませんが)
佐々木道誉・・・本書の主人公。変幻自在に乱世を生き抜く、己の才覚のみでのし上がる婆娑羅大名の代名詞。実は当代一流の教養人にして文化人。道誉のイメージは、「食いたい時に食い、飲みたい時に飲む」「俺はあの雲のように 自由気ままに生きるのよ」という名セリフで有名な、“雲のジュウザ”で決まりでしょう。
自由奔放、無頼のようでいて、義に篤いところもイメージ重なります。(ジュウザはユリアのために全てを捧げましたが、道誉も尊氏以下、足利家のために一族全てを捧げます)
足利直冬・・・尊氏のご落胤。不憫に思った直義が養子にするも、そのことが尊氏・直義兄弟が不仲になる原因に。NHK大河「太平記」では強度のファザコンとして描かれたとか。その屈折ぶりから、「愛などいらぬ」と豪語しながら、その実、誰よりも愛に飢えていた、聖帝サウザーを想起させます。やたらと戦に強く、根性があるのは、やはり父親譲りと言わざるを得ません。
足利義満・・・三代目将軍。史上最も皇室に迫った怪物。実は後円融天皇とは“いとこ同士”。北〇の拳で言えば、ラオウよりもカイオウに近いか。権謀術数に長けているだけでなく、祖父尊氏譲りの戦闘力も有し、非の打ちどころがない三代目。中国かぶれにして、自己顕示欲のかたまり。
※その自己顕示欲の強さが、没後600年の時を経た“系統図”にすら現れているとは恐れ入ります。(P206参照)
孫子専門家の海上知明先生の評によれば、孫子の体現者といえば「秦の始皇帝か、武田信玄」なのだそうですが、個人的には、その間に割って入ってくるぐらいの「孫子の使い手」に思えてなりません。
一条経嗣・・・ヘタレで小心者の関白。ただし最後の最後、土壇場で皇室を守った救国の英雄。北〇の拳でいうならバット辺りかなと言いたいところですが、のび太が相応しい。
こんな個性的な人物たちが、暴れまわっていた室町の時代、面白くないわけがありません!
■教養こそが国を、皇室を、そして大事な人を守る。
「はじめにーなぜ私が室町を語るのか?」の締めにおいて、倉山満先生は次のように語っています。
「だから私は、本書を、日本を愛し、教養を身につけ、皇室と大事な人を守りたいと思っている、すべての人に捧げる」
なぜ、室町を語ることが日本を愛し、教養を身につけ、皇室と大事な人を守ることに繋がるのか―?
本書の主人公・佐々木道誉と裏主人公・足利義満。
まるで対照的な二人ですが、共通点がひとつあります。それは二人とも恐ろしく“教養が高い”という点です。
■教養を武器に皇室の危機を救った道誉
道誉は婆娑羅大名の代名詞が如く言われる人物ですが、実は連歌集『菟玖波集』の編纂者にも名を連ねる一流教養人・文化人でした。
そもそも佐々木一族は代々、御家人の中でも特に公武に信頼がある一族しか任じられない検非違使(京都を警護する職)を担う家柄です。
また、後醍醐天皇の護送役を務めた時のエビソードや、千種忠顕を預かった時の件や、公家の北畠具行の護送と処刑を務めた時のエピソードなどからも、道誉は、実は義を重んじ、伝統を重んじる人物だったことが伺えます。
そういった教養の高さが、その道に通じた人たちの特別な信頼関係、道誉でなければ築けない人間関係、人脈の構築に寄与していきます。
その際たるものが盟友、勧修寺経顕との友情でしょう。
治天の君の側近として院執事と武家伝奉を兼ねるような家柄だった勧修寺経顕は、明治政府で例えるなら、三条実美と有栖川宮と岩倉具視を一人でやっているような人物だったそうです。
そんな経顕との友情が、「三上皇拉致事件」という室町幕府の最大の危機に際して、最大限生かされます。
ある意味、武力ではなく、道誉の教養が、北朝と室町幕府の危機を救ったと言えます。
■教養を武器に皇室を危機に陥れた義満
道誉が教養を武器に皇室を救ったのだとすれば、教養を武器に、皇室に肉薄したのが三代目将軍義満であると言えます。
義満は宮中きっての義満びいきだった二条良基から宮中での作法や和歌などを学んでいました。その知識は当時の公家たちをも凌駕するほどであったそうです。
また、何か仕掛けるときにも、必ず先例になぞらえ、先例の範疇を超えない範囲で皇室を“追い込んでいくの”です。こうされると、誰も文句が言えません。
(このあたりが、まさに孫子の兵法でいう「戦わずして勝つ」の真骨頂のように思えてなりません。)
そういった長い年月をかけた累積戦略の積み重ねでもって、王権簒奪目前まで迫ります。
■怪物・義満の野望を打ち砕いた“のび太”
そんな王権簒奪目前まで迫った義満の野望を打ち砕いたのは、ヘタレ関白、“室町ののび太”こと一条経嗣でした。
自らに尊号を求めてきた義満に、一条経嗣は最後の土壇場で仕掛けます
これによって義満は自らが治天の君となるべきタイミングを一旦逃してしまい、戦略を再構築しようとした矢先に謎の死を遂げます。
倉山先生の別著「世界一わかりやすい地政学の本」においても「一万人の“のび太”に本書を贈ります」という言葉とともに、「ドラえもん」の最高傑作と言われる「さようならドラえもん」でのエピソードが語られています。
未来に帰らなければならないにもかかわらず、のび太のことが心配で帰れないドラえもんを安心させようと、ジャイアンに決闘を挑む、のび太の姿が描かれています。
のび太はボロボロになりながらも、ジャイアンにしがみつき、音を上げたジャイアンが負けを認めます。のび太の勇気を見たドラえもんは安心して帰ります。
自分の運命は自分で決める。他の誰の支配も受けない。
自ら主体的に行動したからこそ、得られるもの-。
一条経嗣が行動したからこそ、皇室は守られました。
■微力は無力ではない。~のび太でも国を、皇室を、大事な人を守れる~
皇室と国民の絆が今も固く結ばれていることは、陛下の「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」および、それに対する国民の反応によって再確認されました。
「皇室を守りたい」というのは圧倒的大多数の国民が抱いている思いと言えます。
では、どう守るのか。
そこに対する知識が今の私たちには圧倒的に欠けていると言わざるを得ません。
そのために浅薄な天皇論に右往左往される人も少なからず存在してしまうのではないでしょうか。
よく理解できていないなら、「じゃあ、よく理解できるようにしましょう」(倉山先生・談)との気持ちから生まれたのが、先日、緊急出版された『日本一やさしい天皇の講座』なのだそうです。
本書『足利の時代─力と陰謀がすべての室町の人々』で行動することの大切さを学び、『日本一やさしい天皇の講座』で“どう守るのか”を学ぶ。
そうすれば、たとえ、のび太であったとしても、国を、皇室を、大事な人を守れるようになれるのではないでしょうか。
『日本一やさしい天皇の講座』と併せて読むことをお勧めします。
おススメです!
ビール腹次官誕生?! 毎日新聞「次期次官は福田淳一主計局長に」 #ビール腹次官 #くたばれ財務省
ビール腹次官誕生?! 毎日新聞「次期次官は福田淳一主計局長に」
毎日新聞記事より。
これで確定なのでしょうか。
少し気になるのは、「体制を一新して」の文言でしょうか。
果たして、「何」が一新されるのか。
気になります。
財務省:次期次官に福田淳一主計局長 月内にも発令 - 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20170616/k00/00m/020/074000c
麻生太郎財務相は15日、佐藤慎一財務次官(60)が退任し、後任に福田淳一主計局長(57)を昇格させる人事を固めた。首相官邸の人事検討会議を経て、月内にも発令する見通し。主計局長からの次官就任は2年ぶりとなる。
福田氏は1982年入省。予算編成を担当する主計局が長く、2015年7月に主計局長に就任した。財務省は、体制を刷新して18年度予算編成に臨む。
イギリス労働党の躍進と日本のリベラルの違い #緊縮は人権侵害 #日本の左派はシバキ主義
英労働党、若者に浸透 「反緊縮」、党首貫く:朝日新聞デジタルhttp://www.asahi.com/articles/DA3S12983011.html
『日本をダメにするリベラルの正体』 の書評でも書きましたが、「財政赤字を減らすために人命まで犠牲にするのはおかしい」という庶民の声を拾いあげたのが英労働党。
右とか左以前に、人命よりも財政赤字削減が大事なんて、そりゃあ、オカシイでしょう。
その一方、日本の左派はというと・・・
(連合ニュース)
麻生財務大臣に対し「2018年度 連合の重点政策」について要請を実施
https://www.jtuc-rengo.or.jp/news/news_detail.php?id=1288
連合は6月2日、「2018年度 連合の重点政策」に関する要請を麻生財務大臣に行った。
1.日 時:2017年6月2日(金)15:30~16:00
2.場 所:ホテルニューオータニ内会議室
3.出席者:
(財務省)麻生太郎副総理兼財務大臣、岡本薫明大臣官房長、太田充総括審議官、
可部哲生主計局次長、矢野康治大臣官房審議官(主税局担当)、阪田渉大臣官房文書課長
(連 合)神津里季生会長、逢見直人事務局長、新谷信幸副事務局長、
安永貴夫副事務局長、川島千裕総合政策局長、平川則男総合政策局長
4.要請の概要
要請の冒頭、神津会長から麻生大臣に要請書を手交した。続いて、川島総合政策局長が以下のポイントを中心に要請書の内容を説明し、「経済財政運営と改革の基本方針2017(骨太の方針2017)」と2018年度予算に反映いただくことを求めた。その後、意見交換を実施した。
<主な要請のポイント>
①とぎれない震災復興をはかるための財源の確保
②政府予算の財政規律の厳格化
③所得再分配機能を高めるための所得税改革および給付付き税額控除の導入
④「地域包括ケアシステム」の構築に向けた診療報酬・介護報酬の同時改定の実施
⑤医療、介護、保育の人材確保
⑥「子ども・子育て支援新制度」実施のための財源確保
⑦就学前教育から高等教育まで、すべての教育にかかる費用の無償化
相変わらずの緊縮財政原理主義。
日本の左派、リベラルは単なる”シバキ主義”の別称に過ぎないと言えます。
『日本をダメにするリベラルの正体』
リベラルは泥棒のはじまり
■リベラルが盗んだもの③ 国民所得と経済成長~人権よりも財政再建が大事なリベラル~
最後に、日本のリベラルが盗み奪っているものとして国民所得と経済成長が挙げられます。
本書でも山村明義先生が指摘されていますが、安倍政権の行っている経済政策は実は「経済左派」の施策に他ならず、むしろ日本のリベラルの唱える経済政策は「経済右派」とも称すべき「シバキ主義」「清算主義」「設計主義」に凝り固まっており、とりわけ特筆すべき点として日本ではリベラルほど”増税”、”財政再建”を主張しているという”ねじれ現象”が生じている点が挙げられます。
カルビン・クーリッジ第30代アメリカ大統領は、「必要以上の税を集めるのは合法的強盗である。」という名言を残しました。
またブレディみかこ氏という英国在住のリベラリストの著書『THIS IS JAPAN』によれば、「欧州では左派リベラルほど、大前提としてみな”反緊縮”の経済政策を志向している」と述べられています。
緊縮財政政策とは財政赤字削減を優先課題にすることであり、財政支出を削減したり、増税することでこれを達成しようとする政策のことです。
そうなると政府は公共投資を控え、福祉、住居、医療、教育といった最低限必要な分野への支出も減らし始めます。
イギリスでは過度な緊縮財政によって、公的インフラ削減・閉鎖によって公務員が失業または非正規労働者となったり、医者に診療を受けることが至難の業になったり、学校でも1クラス当たりの人数が増え、近所の学校が定員オーバーとなり街はずれの遠く離れた学校に通わなければならない生徒が出てくるという事態が現実に発生していると記されています。
極めつけは英国政府による障害者認定であり、障害者への生活補助金を削減するために「片手に指1本あれば就労可能」と皮肉られるほど障害認定の基準が厳しくなり、必要な支援を受けられなかった障害者が死亡するケースも相次いだため、国連から「英国政府は障害者の人権を侵害した疑いがある」として調査に乗り出す事態にまで至っているというのです。
「”財政赤字を減らすために人命まで犠牲にするのはおかしい”という庶民の叫びを反映させるために立ち上がったのがイギリスの左派系政党なのだ」
と指摘されています。
一方、日本ではどうでしょうか?
「緊縮財政は人権侵害だ」という声が日本のリベラルから聞こえたことはありません。
むしろリベラルが率先して「増税しろ、財政再建しろ、そのためには社会保障を、公共投資を削減しろ」と主張しているではありませんか。
ここに取り上げた事柄だけでもいかにリベラルが嘘と欺瞞にまみれているかということが明らかになっていると言えます。
社会福祉に取り組んでいる財務省OB 全国盲ろう者協会 真砂靖理事長(元事務次官) #頑張れ大蔵省
社会福祉に取り組んでいる財務省OB 全国盲ろう者協会 真砂靖理事長(元事務次官) #頑張れ大蔵省
アマチュア財務省ウォッチャーを自称しておきながら、真砂元事務次官が現在、全国盲ろう者協会の理事長を勤めているとは初めて知りました。
というか、退官後も社会福祉活動に取り組んでいる財務官僚って初めて見た気が。
財務官僚と言えば、「社会保障の持続性が~」、「将来世代への負担が~」などの大義名分を振りかざすのが常ですが、よくよく考えると、真砂さんのように退官後も、社会福祉活動などに取り組んでいる人は見た記憶がないですね。
結局、「社会保障が~」も「将来世代への負担が~」も、お役所仕事の一環で、退官すれば、「知ったことではない」という事なんでしょうか。
たぶん、香川事務次官が存命だったら、何かしらの社会活動に従事されていたかもしれませんね・・・。
出来る事なら、こういう活動にこそ、元財務官僚という看板を活かしてもらいたいものです。
Action(活動) 週刊 経団連タイムス 2017年5月18日 No.3315
http://www.keidanren.or.jp/journal/times/2017/0518_11.html
コミュニケーションを通じた「心のバリアフリー」を-1%クラブ講演会を開催
開会あいさつで二宮会長は、福島教授が25年前に1%クラブで障がいのある人もボランティアの支援があれば孤立せず同じ世界につながれると述べていたことを紹介し、「誰一人取り残さない」ことを掲げる国連のSDGs(持続可能な開発目標)との目的の共通性を指摘した。そのうえで、すべての人がよりよい未来をつくるには、企業の「イノベーションの力」が重要だと述べた。
福島教授の講演の概要は次のとおり。
■ 盲ろう者とコミュニケーション
目と耳が不自由であることは、テレビに例えると、音と映像の両方が切断された状態だ。私が18歳で盲ろう者となった時、コミュニケーションが閉ざされたことが特にショックであった。相手の反応だけでなく、そこに人がいるのかどうかもわからず、世界のなかで自分だけが取り残されたような孤独を感じた。しかし、指点字というコミュニケーション手段を得たことで、再び他者とつながることができた。
盲ろう者は思いを発することが難しく、判断に必要な情報を得ることもできず、支援の網から漏れることもある。全国に盲ろう者が推定2万人いるとされているのに対し、国内唯一の支援組織である全国盲ろう者協会の登録者は1000人にすぎない。盲ろう者になった後に医学的に対処できることは限られているが、コミュニケーションを通じて人と結びつくことで、彼らの生活は豊かになる。
■ オリンピック・パラリンピックに向けたバリアフリー
コミュニケーションを取るうえで障壁がある点で、外国人と盲ろう者は共通している。
オリンピック・パラリンピック開催に向け、内閣官房の「ユニバーサルデザイン2020関係府省等連絡会議心のバリアフリー分科会」に有識者として参加した。私は、ハード面でのバリアフリーも重要だが「コミュニケーションのバリアを取り除き人と人がつながること」が重要だと考える。そのためには、各自が周囲の人とコミュニケーションが取れているか、職場や家庭、近所での対応をいま一度振り返ってみてほしい。日常の対応が洗練されれば、外国人とのふれあいにも活きてくるだろう。
◇◇◇
続いて、全国盲ろう者協会の真砂靖理事長が、盲ろう者や家族に対する相談や自立訓練支援、通訳・介助員養成、タイプライター貸出等、同協会が行う盲ろう者支援について説明を行うとともに、参加者に対し活動への協力を呼びかけた。
講演を受けて二宮会長は、福島教授がその著書で「絶望=苦悩-意味」というヴィクトール・フランクル(注)の公式を「意味=苦悩+希望」と変形し、希望があれば苦悩があっても生きる意味を見いだせるとしたこと、その一方で苦悩のなかで生きることはつらく、その理由を問いかけても沈黙が返ってくるだけと、かつて遠藤周作が代表作『沈黙』で記したことに触れ、コミュニケーションこそが生きる実感を得て苦悩と沈黙を乗り越える力になるのではないかと所感を語った。そのうえで、コミュニケーションが持つ深い意味をあらためて問い直したいと述べ、会合を締めくくった。
◇◇◇
全国盲ろう者協会の活動は会費や寄付に支えられている。協会に関する情報・問い合わせは同会ホームページ(http://www.jdba.or.jp/)を参照。
-理事長挨拶-
社会福祉法人全国盲ろう者協会
理事長 真砂 靖(まなご やすし)
全国盲ろう者協会が、盲ろう者支援のための通訳・介助員の養成や派遣事業などを行うことを目的として設立され、四半世紀が経ちました。この間、先人たちの弛まぬ努力により、視覚と聴覚の重複障害である「盲ろう」という言葉がようやく少しは知られるようになり、又、アメリカのヘレン・ケラー・ナショナルセンター(注)のような盲ろう者のためのセンターを我が国にも作るための調査研究も始まっています。
それでも、まだまだやるべきことが山積しています。協会に登録している盲ろう者は、約1,000名です。また、通訳・介助員のサービスを利用している盲ろう者も、全国で約1000名に過ぎません。協会が、身体障害者手帳に基づき行った平成24年度の調査によれば、視覚と聴覚の重複障害者は全国に少なくとも1万4000人という結果です。また、盲ろう者であっても、視覚と聴覚の両方の手帳を所持していない人もいるので、実態はもっと多いとも言われています。仮に、1万4000人を前提としても、一割未満の登録率であり、通訳・介助サービスの利用率です。もっと多くの盲ろう者が、コミュニケーションや移動の支援を得て、社会参加を進めていく必要があります。
協会は、有志の方々の会費・寄付によって支えられていますが、今の活動でも、赤字が発生しています。私は公務員時代、社会保障予算を担当したことがあります。社会保障予算は、最大の予算項目で、30兆円に上ります。にもかかわらず、本当に困っている分野には、その対象人数が少ないこともあってか、充分に光があたっていないのが実情です。
皆様のご理解とご協力が盲ろう者の生きることを支え、その社会参加を可能にします。
協会へのご支援をお願い申し上げます。
(注)有名なヘレン・ケラーは、視覚・聴覚の両方を失い、多くの場合発声も困難でした。そのすさまじいハンディを克服して、世界の障害者に夢と希望を、そして健常者に感動を与えました。その陰には、彼女自身の努力と才能もさることながら、サリバン先生の献身的な支えがありました。ヘレン・ケラー・ナショナルセンターは、皆でこのサリバン先生の役割を担おうと、アメリカに設立された盲ろう者の支援施設です。
(弁護士・元財務事務次官)
本が好き!書評PVランキング 『日本一やさしい天皇の講座』が週間PV第1位! #本が好き #チャンネルくらら #倉山満
『日本一やさしい天皇の講座 倉山満著』のランキング、紹介記事まとめ #倉山満 #扶桑社 #譲位 #皇室
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二百年に一度の「譲位」という一大事に、真摯に向き合うための必読の書!
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【書評】
yumikwさんの書評
倉山満 日本一やさしい天皇の講座 感想
拙書評
天皇(すめらみこと)にみる真の保守の姿
『日本一やさしい天皇の講座』書評 #本が好き
『梧陰存稿 言霊』を読む~我が国の憲法 五色を“しらす”天皇(すめらみこと)#井上毅 #梧陰存稿 #しらす #うしはく #倉山満 #江崎道朗
『梧陰存稿 言霊』を読む~我が国の憲法 五色を“しらす”天皇(すめらみこと)
『言霊』
本論文は『皇典講究所講演録』第二巻(明治23年3月1日刊)に「古言」と題して収録。のちに『教育時論』第360号付録「梧陰先生遺文」(明治28年4月15日刊)に収録。
大日本帝国憲法 第一条
「統治す」とされてますが、井上毅が作成した憲法草案においては、「しらす」とされていました。
『帝国憲法物語』(倉山満著)によれば、当時においても、すでに人々にとって馴染みのない言葉となっており、このため「統治す」という言葉が採用されたそうです。
憲法義解でも「統治す」とは「しらす」に他ならないと解説が加えられていますが、「しらす」は、さらに支配、領有を意味する「うしはく」に対する語であることが梧陰存稿収録の『言霊』でも述べられています。
「うしはく」を現代風に言えば、「占領している」とか、「占有している」というのが適切なのではないでしょうか。
そこには暗に物質的な力(武力)による上からの抑えつけという概念が通底していると言えます。
では「しらす」という言葉それ自体が直接的に指す意味とは何なのでしょうか。
「統治」という言葉すら、現在においては「まとめおさめること。特に、主権者がその国土・人民を支配し、おさめること」とされており、これでは、井上毅が「玉と石ほど違う」と指摘した「しらす」と「うしはく」の明確な違いが伝わらないような気がします。
「しらす」の意味を考えてみたところ、同じく梧陰存稿に収録されている『五倫と生理との関係』で述べられている比喩が目に留まりました。
『個人の生活と五倫の関係とは例えば、目と色のようなものである。
色がなければ目はその役割を果たせない。暗室に閉じ込められて五色を見させられたところで、その色は見えはしない』
(by「五倫と生理との関係」より)
人が元来備えている素晴らしい特性、すなわち五倫を“色”に例えたならば、暗室に日の光を行き届かせ、“五色”のありのままの美しさを“知らす”ところに、“しらす”の本義があるとも言えるのではないでしょうか。
倉山満先生の『日本一やさしい天皇の講座』や『日本人として知っておきたい皇室のこと』に掲載の江崎道朗先生の論を読みながら、こんなことを考えてみました。
梧陰存稿、本当に味わい深いです。
『梧陰存稿 言霊』(意訳)
■言霊
古い言葉を吟味するということは一つの歴史学である。いずれの国であっても太古の歴史は曖昧であって当時の思想や風俗は文字で残っている伝記のみであって知ることが困難であることが多いが、古くから伝わる言葉は古の人の風俗・思想をそのまま後の世に伝えて、遥か未来から古へと遡って当時の様子を想像させる。
ならば古言を取り調べることは歴史学の一つとして数える価値があるといえる。
そもそも「言霊の幸はふ国」と称えられる我が国の古言には様々な尊きことが述べられている中に、私はこの上なく素晴らしい言葉を見つけた。
土地と人という2つの原資を備えた国を支配する所作を称える言葉は、国々によって様々だが、支那では国を有(も)つと言う。有つとは、我が物にして、我が領分であり、手に入れる心であって、一般に、ある屋敷を手に入れた、或いは、ある山を我が物にしたと言う時と同じ言葉である。
詩経に奄有天下とあり、奄有とは「覆いかぶせて手に入れる心」であって、天下は広大なものであるから、このように称したのであろうと思われる。
これは、領土、国民をモノのように一つの私財とみなすものであって、『中庸』においては富有天下ともいう。
一人が天下を私物にするとは穏やかならぬ言葉であるが、支那の聖人はこの言葉を修飾するために、「有天下而不興というが、不興ということと有つということは、一句の中にあって意味の矛盾があるものだ」と述べている。
その後、政治思想が発達して、治国又経国などという言葉を用いるに至ったが、この治るといい、経すというのは乱れた糸のひとつひとつを揃える心であって、多少は精緻な文字であるとはいっても、それでももっぱら物質上の考えにもとづいて成り立っているものである。
また人民に対してはどのような言葉を用いているかというと民を御すと言い、または民を牧すという。御すとは馬を使い、牧すとは羊を飼うことであって、これは人民を馬羊のように捉えていた太古未開の時代の一般的な思想をそのまま反映したものである。
ヨーロッパでは国土を手に入れることを何というかと問うてみると、国を占領すと言うらしい。占領という言葉は<オキュパイド>、そっくりそのまま奪うという意味をも含んでいる。また人民に対しては<ゴーウルメ>、船の舵をとるという意味の言葉を使っている。支那で御す、牧すと言ったのと同じで、人民を一つのモノとみなすところから転じたものである。
支那も西欧諸国も、昔の人の国土、人民に対する言葉は、まったく粗雑な言葉を用いたものである。国土を縄張りにして、自分の領分とするという事を目的とし、人民をひとつのモノとみて、手綱をつけ舵をとって、乗り治めるというあしらいで、こういう言葉を使ったものと思われる。これは、(これらの国の)古の人は、現代のように政治学の精密な思想がなかったからであろう。
さて、我が日本は、この国土人民を支配することの思想をなんと言っているか。
「古事記」に健御雷神をお下しになって、大国主神をおたずねになられた場面では「いましのうしはける葦原の中つ国は、我が御子の知らさむ国ぞといよさしたまひき」とある。
「うしはく」といい、「しらす」というこの二つの詞をもって、太古に「人主の国土人民に対する働き」を名付けたものであった。
一方では「うしはく」と言い、もう一方では「しらす」と言うからには、二つの間に差があったに違いない。大国主神については「汝がうしはける」とのりたまひ、御子のためには「しらす」とのりたまうたのは、この二つの詞に、雲泥の差があったからだと思われる。
「うしはく」という言葉は、本居宣長の解釈に従うと、すなわち「領す」ということで、ヨーロッパ人が“オキュパイド”、と言い、支那人が“富有”、“奄有”と言うのと全く同じ意味である。これは、いち土豪の所作であって、土地人民を自分の私財として取り入れていた大国主神のしわざを表したものであるにちがいない。
正統の皇孫として、御国を照らし臨み玉ふ大御業は「うしはく」ではなく「しらす」と仰せられたのである。
その後、神武天皇の御称名を始国馭天皇(はつくにしらすすめらみこと)と申し上げ、また代々のご詔勅に大八洲国知ろしめす天皇ととなえ奉ることを、公文式となされたのである。
畏れ多いことだが、皇祖伝来の御家法は「しらす」という言葉にあると言っても過言ではない。
国を知り、国を知らすというのは、各国に比較することのできる言葉がない。今、国を知り、国を知らすということをそのまま、支那、西洋の人々に聞かせたならば、その意味を理解できないだろう。
それは、支那、西洋の人々には国を知り、国を知らすということの示す意味合いが、元来、その脳髄の中に存在しないからである。
「知る」ということは、今の人々が普通に使う言葉のように「心で物を知る」という意味であって、内なる心と外たるものの関係を表し、内なる心は外のものに臨んで、鏡がものを照らすように「知り明からむ」という意味である。
西洋の論理法に従って解釈すれば主観的に無形の高尚なる性霊心識の働きを表したものである。古書で、「しらす」という言葉に「御」の字を当てたのは、当時の歴史を編纂した人が、適当な漢字が無いのに苦しんで、この字を借用したのであって、元来「知らす」という日本語の意味には適しない文字である。
こういうと、古の人にそれほど高尚な思想があるはずがないと非難する人もいるだろう。
そうはいっても諺に論より証拠とあるように、古典に「うしはく」と「しらす」と二つの詞を対比する形で使っている。また、「うしはく」と「しらす」という言葉の主格(健御雷神と大国主神)との間に玉と石との差があることを見れば、なおのこと議論の余地はない。
もし、違いがないのだとしたら、この一文を何と解釈することができるのか。
故に支那、ヨーロッパでは一人の豪傑が興起して、多くの土地を占領し、一の政府を立てて支配した征服の結果を国家と解釈することができるが、わが国の天つ日嗣の大御業の源は、皇祖の御心の鏡をもって、天の下の民草を「しろしめす」という意義から成り立つものである。かかる次第であるから、わが国の国家成立の原理は、君民の約束ではなく、一の君徳である。「国家の始まりは君徳に基づく」という一句は、日本国家学の開巻第一に説くべき定説である。
我が国の建国の原理は国知らすということである。その原理によって種々の素晴らしい成果をもたらした。
第一はヨーロッパの国々の歴史上の状態を尋ねるに大方の国は一人の豪傑が占領したものであって大いなる“個人財産”である。故に、国を支配することは民法上の思想に基づき、一つの財産をあしらいもって領分とし、その人々がこの世を去るときには民法上の相続を行い、子が三人いれば、その国を3つに分けてしまうのである。
彼の歴史上に名高いシャーレマン帝はその莫大なる版図を三人の子に分けたことで、一つはドイツとなり、一つはフランスとなり、一つはスペインとなった。
この相続がヨーロッパ大陸の大乱の種を蒔いたと言えるのではないか。
モンゴルの相続法も同様であって、元の大祖は広大なるアジアの土地を4人の子に分けて支那の一部、モンゴルの一部、インドの一部、ペルシャの一部と切れ切れにしたことは歴史にみえることだ。
これはヨーロッパでは珍しくないことで二百年前まで行われていたが、オーストリア帝の諸邦各国との条約に一国を相続するのは一統の子孫に傳えるべきものにして幾多の子孫に分割すべきものにあらずということを初めて約定した。
これを彼の国の学者は学理様に主張して古は私法と公法との区別を知らず、国と家との区別を知らず、家の財産相続法を以て国土の相続に混同していたものであるなどと言っている。
我が国では公法私法などという学理論の有無に拘わらず、建国のおのずからの道において天日嗣の一筋なることは自然に定まっており、二千五百年前より、この大義を誤ったことがない。神武天皇の御子は4人いらっしゃったが、嫡出の綏靖天皇に御位をお譲りになられて他の3人の皇子たちには国土を分け与えることもしなかった。
ヨーロッパ人が二百年前に辛うじて発明した公法の区別は、我が国には太古より明確に定まっていたことで、皇道の本質であると言える。これは何故かといえば即ち我が国をしらすという大御業は、国土を占領することと、おのずから公私の違いがあるからである。
第二にヨーロッパにおいては古の君臨の事業を一人の私物私法としてみなすが故に君位・君職に関する経費については君主個人のもとに財産が集まることで、その費用を支出していたが、その後国費がかさむにしたがって、はじめて人民に調達金を命じ、金銭を献納させ、主君の領地からの歳入不足を補った。
これがヨーロッパの租税の始まりである。
今も現にドイツの中の小国には、君主の家の歳入が不足するにいたって、はじめて徴税ということを法律にした国さえある。
我が国の君道はこのような狭い道ではなく、国知らすという一大道理であることは最初から明らかであるため、君位君職に関する経費は全国に分け、負担させて、人民の義務として納めることとした。
ヨーロッパの租税は元来、約束承諾によって成立したものであり、我が国の租税は君徳君職のもとで暮らす人民の義務であると言える。
以上のように述べた東西の間の違いは何がそうさせたのかといえば、これは偶然の結果ではない。いずれの国の歴史も千年の後の変遷は千年の昔に生じているものである。
私は太古の歴史を歩いて、こじつけの説をつくることを好むものではない。
とはいえ、この国を「うしはく」といい、「知らす」ということの違いに至っては、作り話ではないことは明文事実であり、また二千五百年来の歴史上の結果が証明し、他の国と全く雲泥の違いがあることは誰一人として否定できないだろう。
そもそも我が国の万世一系は畏れ多くも学問のように論ずべきものではないとはいえ、その最初に必ず一つの原因があることに疑いはない。
いま、何度もいうようで恐縮だが、最後に一言、結論を言わずにはおれない。
畏れ多くも我が国の憲法はヨーロッパの憲法の写しにあらずして即遠つ皇祖の不文憲法の今日に発達したものである。
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