書評『世界の歴史はウソばかり』蒙昧にして臆病なる“歴史学者”どもに告ぐ!~歴史学会の闇と本当の敵~ #倉山満 #ビジネス社 #世界史

書評『世界の歴史はウソばかり』

蒙昧にして臆病なる“歴史学者”どもに告ぐ!~歴史学会の闇と本当の敵~

■蒙昧にして臆病なる“歴史学者”どもへ

 蒙昧にして臆病なる“歴史学者”ども。
ねずみの尻尾の先ほどでも勇気があるなら、”学会ムラ”を出て堂々と言論で決戦せよ。
その勇気がないなら、内実のない自尊心など捨てて降伏するがよい。
命を救ってやるばかりか、無能なお前たちが食うに困らぬていどの財産を持つのも許してやる。
※『銀河英雄伝説』の主人公ラインハルト・フォン・ローエングラムに倣って


2018年新春早々、発売となった月刊くらら1月号。
そもそも、なぜ本書が書かれたのかというと、ビジネス社の担当者が「どの民族が世界で一番愚かかを比較する本を書いて下さい」と依頼してきたのが始まりだったとか。
そんな依頼をする方もする方ですが(笑)、倉山満先生は即答で「国民国家論でいきましょう」と答えたのだそうです。
倉山満の国民国家」「格調高いヘイト本」という“キーワード”が散りばめられている本書。

なぜ「格調高いヘイト本」なのか?
なぜ「倉山満の国民国家論」という副題を必要としたのか?
それを考察してみたいと思います。 
 

■歴史を直視したらヘイトになった!

 
本書には「史上、最も格調高いヘイト本」というキャッチコピーが付けられています。
なぜ、本書が“ヘイト本”なのか。
本書が各国の“本当の歴史”を語っているからです。
いわゆる“通説”としてまかり通っていることを挙げてみると、次のようなものではないでしょうか。
 
イギリス=大英帝国ノルマン・コンクエスト千年の歴史
フランス=自由、平等、博愛の人権の国、最初の近代国民国家
ロシア=米国に比肩する大国
アメリカ=自由と民主主義の国
中国=中華四千年の歴史 ・・・等々
 
この「通説」がどれほど嘘だらけなのかは本書や倉山先生の『嘘だらけシリーズ』、『『教科書が教えない世界史』や宮脇淳子先生をはじめとしたチャンネルくららファミリーの著書を読めばわかります。
 
ノルマン・コンクエストだ」なんていってもオリバー・クロムウェル清教徒革命によって断絶していますし、おフランスなどは「平等」の名のもとにルイ16世をギロチンにかけて、ロシアは16世紀ごろまでは、モンゴル帝国“単なるパシリ”にすぎません。
 
アメリカは、現在ですら刀狩りのできていない織田信長で止まっている国”で、中国ごときは、夏王朝から明の時代まであらゆる民族が入り乱れて独裁、腐敗、革命を繰り返しているだけの“断絶された歴史”があるだけで、三千年間途切れることなく続いている歴史など存在しません。
純粋に歴史を直視して物事を見ていったらヘイトになってしまっただけなのです。
 

■7世紀から国民国家だった日本 ~防人と臣籍降下

そんな各国が国民国家となってきたのはここ200年程のことです。
どの国も幾多の苦難苦闘を経て、統治者から一般民衆までが同じ国家に帰属する理想的な国家体制=国民国家という体制へと移行していきます。
いまだに国民国家になれていないロシアや中国のような“ファシズム国家”や、そもそも国民国家の大前提である“主権”を保つことができない韓国のような国すらあります。
 
一方我が国、日本はどうか。
日本は既に7世紀には国民国家となっていました。
大和朝廷が成立する前、四世紀の頃から古墳が全国各地につくられており、最南端は塚崎古墳群(鹿児島)、最北端は角塚古墳などで、いずれも5世紀にはその範囲が日本だったのであろうと考えられています。
さらに時代が進み、白村江の戦いを経て、福岡県太宰府に水城を築き、防人を動員することになったときも防人には関東(茨城、群馬、武蔵)から人を動員しているのです。
これこそ「国民軍」であり、この時点で日本には武蔵の人だろうが、茨城の人だろうが、「同じ日本人」であるという意識が芽生えていたと倉山先生は指摘します。
 
さらにもう一つ、日本が古来より国民国家だった証左として。
井上辰雄著『嵯峨天皇文人官僚』(2011年、塙書房)によれば、子だくさんだった嵯峨天皇が御子の臣籍降下をご決断された理由は「国の財政逼迫」だったのだそうです。
 
御子たちを皇族のままにしておくと、「封邑(領地)を累(わずら)わし、空しく府庫を費やす。」と述べられ、「親王を除き、朝臣の性を賜う」ことを定められたのだとか。
古今東西、日本の皇室以外に「国の財政逼迫を憂うがゆえに、自ら進んで息子・娘を民間人にした君主」なんて存在したのでしょうか。
 
この一件からも、統治者から一般民衆までが同じ国家に帰属しているという国家の理想形、すなわち国民国家体制が日本では「すでにこの頃(7世紀)から確立していた」と言えるのではないでしょうか。
 

■もう一つの国民国家論と歴史学会の闇 ~歴史学研究会編『国民国家を問う』を問う~

「倉山満の国民国家論」という副題がどうしても気になり、色々調べていくうちに、ある一冊の本を見つけてしまいました。
その本とは、歴史学研究会編の『国民国家を問う』(青木書店 、1994年)です。
 
木畑洋一(東大名誉教授)、西川長夫(立命館大名誉教授)、西川正雄(東大名誉教授)、油井大三郎(東大名誉教授)ら、歴史学会の重鎮ともいうべきメンツが「国民国家」をテーマに執筆したもので、“世界史の構造と国民国家”という概論にはじまり、国民国家のヴァリエーションとしてフランス、ドイツ、ハプスブルク、アラブ、米国、ソビエト、中国、アイヌ、沖縄そして日本を論じるという構成になっています。
 
そう、国民国家を問う』と『世界の歴史はウソばかり』は、非常によく似た体裁をとっているのです。
アルフォンス・ドーデの『最後の授業』など、文中で触れられているエピソードもなんだか共通性を感じさせます。
むしろ、倉山先生は『国民国家を問う』と同じ体裁を”敢えて”採用したのではないかと思えるほどです。
ですが、体裁が似ているからと言って結論が一緒なのかと言えばそうではありません。
むしろ導き出されている結論は“真逆”です。
 
国民国家を問う』では総じて国民国家を“戦争の装置”、“人民を抑圧する装置”、“植民地主義の最たるもの”と捉え、「国民国家は悪」という観念のもと論じられています。
日本についても日本は西欧を模倣して国民国家になった”帝国主義後進国”に過ぎず、帝国主義に染まって台湾、朝鮮を侵略したのだ、アイヌ琉球を侵略したのだと主張します。
 
なぜ、このような評価になるのか。
それは、日本の歴史学者歴史学会がアカ(共産主義)に染まっているからです。

歴史学会という名の共産主義者の巣窟

倉山満先生は本文中やチャンネルくららの動画などで
歴史学会はヒステリーの集まり」
国民国家を否定するのはファシズムが好きだから」
「9割が共産主義者
「アカっぽいバカ」
「白痴」
歴史学会のことを批判するコメントを残されていますが、これは単なるレッテル張りではありません。
 
共産主義者であることを歴史学会のメンバー自らが「自白している」からです。
国民国家を問う』の執筆者の一人である故・西川長夫教授は自著『戦争の世紀を超えて』(2002年、平凡社)において、

「戦後歴史学マルクス主義の圧倒的な影響力の下に形成されたことは、改めて論じるまでもありません。」

と述べています。
すなわち、戦後の歴史学会は共産主義者の巣窟”というのがその実態なのです。
  
この西川教授、自他ともに認めるマルクス主義者であり、西川氏の説くところの国民国家論とは、
「国家とは戦争の装置という前提のもと、「国民国家」とは国家が総力戦を行うときにその機能が最も強力に最大限発揮される国家形態であり、国民とは国家というイデオロギー装置によって再生産されたものという視点から、それ(=国民国家)を批判しようと試みるという理論」なのだそうです。
 
あるいは「カール・マルクスの国家死滅論を受け継ぐ理論」とも述べます。
西川教授にかかると「国家の死滅とともに国民の歴史も死滅せねばならない。すなわち歴史学も消滅せねばらない運命にある」のだそうです。
「国家は死滅すべき」という価値観を持つ人物が国民国家を肯定的に捉えるはずもないのは自明ではないでしょうか。
 
彼らの歴史認識がどれほど歪んでいるのか、それがその闇が垣間見れる場面が他にもあります。
西川教授は『フランスの解体?』(1999年、人文書院)で次のように述べます。

「歴史はつねにそれが書かれた現在を語っている。フランス革命200年に描かれた革命像は現代世界の混乱を映しだす。
だが見誤ってはならないのは、われわれが直面しているのは社会主義の敗北と資本主義の勝利ではなく、社会主義“国家”の失敗であり資本主義“国家”の変質であろう。

つまり、現実社会でソ連が崩壊したのは社会主義が資本主義に劣っていたからではなく、”国家”という存在(彼らの言葉でいうところの”システム”)が社会主義をダメにしたのだと言うのです。
なんと都合のいい論点のすり替えなのでしょうか。
  
『世界の歴史はウソばかり』と対比すると、日本の歴史学者歴史学というものは歴史というものを“共産主義”にとらわれた観点からでしか見ることができない、アカデミズムとはかけ離れた存在なのだということを思い知らされます。
 


歴史学者の仮面を被った極左 東大名誉教授・油井大三郎とザ・レイプ・オブ・南京

 
この西川教授のほかにも、どこかで見覚えのある名が『国民国家を問う』には記されていました。
その名は油井大三郎(東大名誉教授)です。
 
この油井教授こそ、評論家の江崎道朗先生の著書『コミンテルンルーズヴェルトの時限爆弾』(2012年、展転社)において、欧米のニューレフトと連携し日本を解体しようと目論む共産主義グループの理論的支柱の一人”として取り上げられている人物なのです。
 
油井教授について、江崎道朗先生は次のように述べます。

1960年代までは「日本人民は、過去の軍国主義者たちが起こした無謀な戦争の被害者」であり「再び日本の軍国主義によって犠牲にならないためにも、再軍備・九条改正に反対しよう」というのが左派リベラルの主張であった。あくまでも一般国民は「軍国主義の被害者」であったのだ。
ところがジョン・ダワー教授の提起を受けて、「軍国主義の被害者」から「アジアの加害者」へと、戦争責任の論じ方を転換させていくのである。
 
この転換を理論的に支えた一人、一橋大学の油井大三郎教授は1989年、ノーマンらの活動を再評価する一冊の本を出した。
この中で油井教授は「たとえ、日本が武装解除されても、天皇制が残るならば、日本は他の世界にとって未解決な危険な問題であり続けるだろう」というノーマンの言葉を引用しながら、
天皇制が『国民統合の象徴』として残ったことは(中略)日本人の間で日本を『単一民族国家』とみなす神話を牢固たるものにさせ、国内の少数民族に対する差別を構造化させることにもなった」
として占領軍が天皇制を容認してしまった結果、在日朝鮮人などの少数民族に対する差別が残ったのだと示唆した。
要は、天皇制が廃止されなかったから、日本は戦後、真の民主化が達成できなかったのだと主張したのだ。
 
さらに日本がドイツと異なり、アジアに対する加害者責任を追及されなかったのは「本土での戦闘が避けられたため、本土での空襲や飢えなどによる被害体験を強く意識し、『外地』での加害体験は伝承され難かった」ことと、「アメリカ側が日本の戦争責任追及を棚上げにしていった」からだと指摘したのである。
 
日本を徹底的に解体し共産化しようという課題を「日本人自身の手によって完成されることが求められている」と訴えたのである。(『コミンテルンルーズヴェルトの時限爆弾』より


油井教授らの主張が謝罪外交の必要性及びその理論を支え、「家永教科書検定訴訟支援運動」を支援する組織や「ピース・ボート」運動へと展開し、やがて「南京大虐殺」キャンペーンへと至ります。
そしてこの運動に呼応する形でアメリカ、中国、その他の諸国で、過去の日本の侵略に対する批判が高まるよう国際世論を喚起することを目的とした「抗日戦争史観維護会」が結成されていきます。その後も次々と同趣旨の組織がカナダ、香港などでも結成されていき、最終的には約三十もの中国系組織の連合体として「世界抗日連合」が結成されます。
こうした運動を通じて現在の「南京大虐殺」問題の発端であるアイリス・チャン女史の「ザ・レイプ・オブ・南京」も執筆されます。
 
つまり日米中韓4か国のニュー・レフトの活動家たちが日本の加害責任を追及する反日国際ネットワークを構築するうえで、油井教授は多大な貢献をもたらした人物なのです。 
 


今そこにある国史(ナショナル・ヒストリー)の危機 歴史教科書見直し問題とニュー・レフトの謀略

 
ニュー・レフトたちの反日国際ネットワークの構築に多大な貢献をもたらした油井教授。
彼らの運動はこれだけにとどまりません。
彼らの”運動”は今もなお継続中なのです。
 
なにを隠そう、先ごろ「歴史教科書に坂本竜馬吉田松陰武田信玄上杉謙信らに関する記述は不要」だとする提言が出され、話題になった”歴史教科書見直し問題”。
この提言を行った高大連携歴史教育研究会の会長こそ、油井大三郎教授その人なのです。
 
高大連携歴史教育研究会のHPによれば、今回、歴史上の偉人の多くが必須用語から漏れた理由として

「歴史を「暗記科目」ではなく、「考える楽しみを味わえる科目」に代えるには、歴史の大きな流れを示す「概念用語」を中心として、それを説明するために必要な「事実用語」を優先的に残すことを考えています。」
「「北海道や沖縄の高校生でも学ぶ日本史には何が必要なのか」、「高校生が日本という国で学ぶ「日本史」とは何なのか」を意識し、「全国の高校生が覚えるべき用語」を精選した」

と掲載されています。
 
一体なんの冗談なのでしょうか?
 
倉山先生とおかべたかしさんの共著である『基礎教養 日本史の英雄』(2016年、扶桑社)でも述べられているように、歴史の大きな流れを掴もうと思うならば、むしろ歴史上の人物、偉人たちにフォーカスしていった方が覚えやすいはずです。人がいるところには、必ず物語があり、その物語こそが歴史をドラマチックに彩るからです。
概念用語を並べただけの、年表のような歴史に一体誰が面白さを覚えるというのでしょうか?
歴史教科書見直し問題は、「国家の死滅とともに国民の歴史も死滅せねばならない。すなわち歴史学も消滅せねばらない運命にある」とする歴史学会のマルクス共産主義歴史観が顔を覗かせているとみるのが自然なのではないでしょうか。
 
つまり、日本の歴史学者とは、姿を変えた共産主義者であり、国史(ナショナル・ヒストリー)を憎む彼らは「歴史をいかに後世に伝えるか」ではなく「歴史をいかに伝えないか」に腐心しているのです。
 

 
■明治初年に戻った日本を救うのは誰か

 
本書の結論部分。倉山先生は

「さて、現代。日本は国境画定の段階に戻りました。明治時代に逆戻りです。」
「今、大久保利通榎本武揚はいません。あるのは、彼らが残した知見をわれわれが学び、生かすかどうかだけです。」

と述べます。
 
平成25年の第118回日本法政学会で発表された倉山先生の「明治初年の国境画定」という論文を読むと、当時の大久保利通榎本武揚らがいかにインテリジェンスを駆使して、清国やロシア、西欧列強と対峙していたのかよく分かります。(インターネットで検索すれば誰でも読むことが出来ます)
 
確かに現代の日本は憲法9条により手足を縄で縛られている状態ではあります。
防衛費も財務省に予算の首根っこを抑え込まれ続け、近年多少増額されたとはいえ、世界標準のGDP2%に程遠い状況です。
ですが、当時の大久保利通榎本武揚らの置かれていた状況を考えれば、恵まれているのではないでしょう。
当時は物理的に軍備の増強など図る余力がなかったに等しいのですから。
 
それでも彼らは日本国民の権利を守るために、国家の総力をあげて外交を行い、ときに武器を持って立ち上がったのです。これは相手が如何なる他国であっても例外ではありません。
ここで言う武器とは何か。
国際情勢を見極める地政学の知見と国際法の論理、そして「先占の法理」を主張するに足る歴史・文化・伝統に対する理解です。
 
そして現在。倉山先生の指摘のように大久保や榎本に当たるような人物は見当たりません。
では、どうするか。
大久保や榎本がいないのであれば、私たち自らが大久保や榎本になるしかないのではないでしょうか。
倉山先生の近著で言えば『工作員西郷隆盛 謀略の幕末維新史』は当事者意識をもって事に臨む大切さを、『真実の日米開戦 隠蔽された近衛文麿の戦争責任』は当事者意識の欠如がどれほどの不幸(=滅亡)をもたらすのかということを、私たちに教えてくれます。
 
また、わたしたちが本当に対峙すべき相手とは、必ずしも中国や韓国といった諸外国であるとは限りません。
 進歩的知識人と称するニュー・レフト、
 ”国民の歴史”を塗り替えようとする歴史学者
 日本経済を疲弊させる増税に邁進する財務官僚、
 全ての法制を牛耳る内閣法制局
 
これらの日本人でありながら日本が嫌いという屈折したエリート層こそ、乗り越えなければならない相手、対峙しなければならない相手なのではないでしょうか。
 
なぜ地政学が重要なのか、なぜ国際法が重要なのか、そしてなぜ歴史認識が重要なのか。
 
倉山先生の数多くの著書や言論の場での発言の一つ一つが、「大きな世界観、大局観の中ですべて繋がっているのだ」ということを改めて再認識することが出来た良書です。
 
おススメです!!

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