グローチウス著『戦争と平和の法』 平等者間の法と不平等者間の法 #グローチウス #格言 #戦争と平和の法 #国際法

法は行為の属性として考えられ、而して平等者間の法と不平等者間の法とに分けられる

 

本書に「戦争の法について」なる表題を附したわけは、(前にも述べたやうに)まず第一に、何等か正しき戦争があるか、また戦争においていかなることが正しいか、ということを究明するにある。

 

何故ならば、ここに使用している法(ユス)なるものは、正しきもの”ユスツム”なるものに他ならないからであり、しかもそれは、積極的というよりは、むしろ消極的の意味であって、法は不正なるものではない、という意味なのである。

 

しかるに、理性を用いるものの社会の本質と相容れざるものは不正なるものである。

 

かくてキケロは自己の便宜のために、他人より奪い取ることは自然に反すると言っており、且つこれを証明するために、彼は万一かかることが惹起したならば、人間の社会および共同体は必然的に破壊されてしまうであろう、といっている。

 

フロレンチヌスは、人が他人に対して奸計を用いることは罪悪である、けだし自然は、我々の間に一種の血縁関係を作っているからである、と言っている。

 

セネカは曰く「身体の各部分は互に調和している。けだし個々の部分が維持されることは、全体に関係することであるからである。

同じように、人間は結合体のために生まれている故に、相互に助け合うのである。何故ならば、社会は、それを構成している各部分の、相互の愛と保護によってのみ安全に存在し得るからである。」と。

 

更にその社会は、兄弟の間、国民の間、友人の間、盟友の間における如く、不平等ならざる社会もあり、また、父子の間、主人と奴隷との間、王と臣民との間、神と人間との間における如く、不平等なるアリストテレスのいう優越性に基く―社会がある如く、互いに平等に生きているものに妥当する正しさと、支配する者とされる者を、かかるものとして考える場合に、彼等に妥当する正しさとがある。

 

予に誤りなしとすれば、後者を不平等者間の法と呼び、前者を平等者間の法と呼ぶことは至当であろう。

 

一又正雄訳『戦争と平和の法 第一巻』(1989年、酒井書店)

 

f:id:ScorpionsUFOMSG:20180128120953j:plain

グローチウス

 

書評『ビジネスで差がつく論理アタマのつくり方』 #平井基之 #ダイヤモンド社 #チャンネルくらら #論理アタマ

書評『ビジネスで差がつく論理アタマのつくり方』

 

資格取得、出世につながる、つなげる!子供の成績もアップする!働くお父さんのための論理アタマのつくり方

 

■東大に文理両方で合格した男

著者は平井基之さん。

現役で東大理科一類に合格し、卒業後に大手学習塾に勤め、退社後は私立高校で難関大学受験者専門クラスの統括責任者に。30歳を超えてから一念発起。1年で東大文科三類の合格を目指して受験勉強を開始し、見事合格。

現在は受験戦略家として、日本お笑い数学協会員として、そしてネットチャンネル「チャンネルくらら」の火曜日、木曜日のレギュラーMCとして多忙な日々を過ごされています。

そんな平井さんのデビュー作である本書は、毎日忙しく働くビジネスマン、働くお父さんたちにうってつけの一冊です。

 

■「あと1点が・・・」「オレの人生終わった」 学校だけでは終わらない!資格勉強、昇進試験という阿鼻叫喚の地獄絵図

「よっしゃ、ラッキー、合格! これでもう勉強する必要なくなった!」

大学受験が終わった直後に、こう思った人も多いのではないでしょうか。大学受験が終われば、もう勉強とは”無縁の世界”になると。

ところが現実は甘くないものです。社会人になってからも勉強は付いて回ります。特に資格試験、昇進試験という形で顕著となって現れます。

「実は資格試験、昇進試験というのは人生において高校受験、大学受験並みにシビアなものかもしれない。」

最近身の回りで起きた出来事を思い返す度にそう思わずにはいられません。

 

-「たった1点の差」が「一人前」と「人に非ず」の境目に-

私は今、不動産業界に勤めているのですが、不動産に関する資格と言えば、「宅地建物取引主任者」です。(近年、名称が「宅地建物取引士」に改称されましたが)

この「宅建取引士」、国家資格であり、不動産取引において資格保持者でしかできない業務があること、金融業界等、他業界でもニーズが高いことなどから、転職にも役に立つ、実務で活かせる資格として常に人気ランキングで上位にくる人気資格です。

合格率も例年15%~17%前後、つまり10人受験すれば確実に8人は落ちるという、弁護士資格や税理士などには及ばないにしろ、「わりと難易度が高い資格」として認知されています。

 

宅建取引士にしかできない業務があるということで、当然不動産業界では必須の資格となっており、年配の方だと宅建取引士を持っていない者は人に非ず」とまでいう方もいらっしゃいます。

が、そこは合格率15~17%。日頃実務経験を積んでいるからと言って簡単に合格できるものではありません。実務経験の長いベテランなのに合格できない人もいます。

 

そういう意味でもとりわけ悲惨だったのが、今年2017年度の宅建取引士試験だったのではないでしょうか。

大手資格スクール各社の予想では、今年の合格ラインは50点満点中「33点~34点」というのが大方の予想でした。自己採点してみて34点だったという人も周りにはわりといて、「今年はいけたかも」と手ごたえを感じている人もおり、「大手スクールの予想で34点だって言ってるんだから大丈夫じゃない?合格出来て良かったねぇ」などと話したりもしていました。

 

・・・ところがいざ合格発表となってみると、なんと合格ラインは「35点」

たった1点の差で、ある人は「一人前」と認められ、ある人はまた「人に非ず」状態が続くのです。

「合格出来て良かったね」と言った人には掛ける言葉すら見つかりませんでした・・・。

 

-「オレの人生終わった・・・」と嘆いた友人-

掛ける言葉が見つからないと言えば、私の友人の話です。

友人は、”お役所的な企業”に勤務しているのですが、友人曰く一定以上のポストに就くには「昇進試験」を受けなくてはならないのだそうです。

しかも、試験を受けることが出来る回数は明文化はされていないものの、実質的には「3回まで」が慣例なのだとか。

つまり、3回試験に失敗するともうそれ以上の出世は望めないのです。

 

どれだけ実務で業績に貢献していたとしても、試験に落ちたという理由で「良くて課長止まり。それ以上のポストに就くことはない」ということが確定しているのです。

 

「そんなバカな」と思われるかもしれませんが、別の親戚の話を聞いても、その親戚が勤める会社は会社が決めた資格の取得がマネージャーになるための必須条件なのだそうです。

どうやら、往々にして資格取得、昇進試験が出世のカギとなっている会社というのは意外に多いのかもしれません。

 

「出世できないなら、とっと他の会社に転職すればいいではないか」という声も聞こえてきそうですが、出世が望めなくなったからといって、30代に突入し、家族が増えれば、そうそう簡単に「転職」できないというのも厳然たる現実。

実際、40歳を境に転職後の年収減少が始まるのだそうです。

リクルートワークス研究所の「ワーキングパーソン調査2014」によると、20代、30代では転職後年収が増加する人が5~10%ほど多いのとは違い、40代以降は一転、年収減少組の割合が上回ってくるのだそうです。

 

3回目の試験が終わったあと、友人は「オレの人生終わった・・・」と嘆いていましたが、同じ境遇を実感しているお父さん方も多いのではないでしょうか。

 

■働くお父さんにこそ必要な論理アタマ

聞いているだけで悲しくなるようなエピソードばかりですが、いずれの場合も確実に言えるのは、「誰しも学校を卒業したからと言って、”勉強”から卒業したわけではない」ということではないでしょうか。

とはいえ、学生と社会人で大きく異なる点があります。それは勉強に対する「優先順位」です。

 

学生は「勉強が第一」なのが当たり前ですが、社会人はそうはいきません。

「仕事が第一」「家庭が第一」であって、自分の勉強は二の次、三の次なのです。そうなると“限られた時間”で“いかに効率よく勉強”し、資格取得、昇進という“ミッション成功”へと導くか。

ここが最も大事な要素になるのではないでしょうか。

 

この“限られた時間”で”効率よく勉強する“ための下地が「論理アタマ」なのです。

著者の平井さんは「量を増やすのは悪い作戦」「机に向かうだけが勉強ではない」と説きます。

むしろ「論理アタマ」になれば、そんなことをする必要はないのだそうです。

 

大いに結構なことではないですか!

もともと「問題を解いて解いて解きまくる」ような受験生のような勉強時間は取れませんし、机に向かう時間だってなおさらです。

 

ならば、量を増やさなくともしっかり身に付くコツが、机に向かわなくても自然と勉強できるコツがあるなら、それを活用しない手は無いといえるでしょう。

  

■親が学べば、子も学ぶ! 目指せ!論理マスタ―!

資格取得に、昇進試験にと、いかにお父さんのキャリアアップのために論理アタマが必要なのかを見てきましたが、親が論理アタマになるということは、子供にも少なからず影響を及ぼすようです。

 

本書によれば「両親のレベルアップは、子供のレベルアップ」であり、「両親が絶えずレベルアップしているご家庭のお子さんは、両親を尊敬し、言うことをよく聞く傾向が非常に強い」のだそうです。

この一文を読んだときに、ふと思い出したのが『下剋上受験』(桜井信一著 産経新聞出版)に登場するエピソードでした。

 

この『下剋上受験』、中卒の父親(著者の桜井さんご本人)と娘(佳織)が二人三脚で中学受験を目指すという、実話をベースにしたお話で、2017年に阿部サダヲ深田恭子ら豪華キャスト陣によりドラマ化もされたことで、ご存じの方も多いのではないでしょうか。

原作では次のようなエピソードが登場します。

「計算と漢字だけでもう2時間も経ってしまった。まだ苦痛を感じない。何時間も勉強すると考えただけで、それはもう修行のような辛さだと思っていたが、まったくそんなことは無い。結構楽しいものだ。ふたりでやっているからというよりも、こうしてひとつひとつ学ぶということは意外に心地よいものだと思う。(中略)ひょっとすると勉強って楽しいものかもしれない。

 

一見、順調に滑りだしたかのように見えますが、すぐに壁にぶつかってしまいます。

何度練習問題を解いても一向にスピードが上がらないのです。

志望校の問題は1問1分のペースで解かなければ制限時間内に終わらないのは明らか。にもかかわらず解いても解いても30分以上かかってしまうのです。

娘には「がんがん解きまくろうぜ」と言いながらも桜井さんは疑問に思います。

 

 「筆算が速い、暗算が速い。そういう単純なことだろうか。野球でいうと足が速い、投球が速い、そういうことなのだろうか。足が速くなるにはがんがん走るしかない。速い球を投げるにはがんがん投げるしかない。そういう単純な話じゃないはずだ。

 

そして、「フォーム」の大切さに思い至ります。机の前に並んだテキストの中から「フォーム」を教えてくれるコーチとなるべき教材を見つけたその時、暗号が解けたような感覚になったそうです。

 

「確かにこのテキストには反復練習が大事だと書いてある。しかし、その前に「数」に何かを感じなければならないと教えてくれているのだ。・・・・・・すると、数字が喋っている。確かに意味を持っている。

165×32は筆算するなよとささやいているではないか。244÷4も筆算するなよと笑っているではないか。

 

・・・・・・私は、数に対する接し方をあまりにも知らなさ過ぎた。数を見た瞬間に分解したくなる感覚。バラバラにした状態を想像できる目。これが重要なのだ。

 

・・・・・・すべての人の顔が異なるように、すべての数も異なる表情を持っている。同じ国なら同じ顔をしているように、数にも同じような表情をしているものがある。こうして数を見つめていると、算数って、計算って、こういうことを知るために繰り返し練習するのかもしれないと気付き始めた。」

 

「133を見て19で割れると気付く子を育てる。91を見て13で割れると気付く子を育てる。その勘を養うために大量の計算問題をやらせるなら、多くの子は途中で投げ出すだろう。

しかし、20までの素数をすべて空で言えて、その素数の倍数を九九のように空でいえるようにすること、何の役に立つかもわからず暗唱するのではなく、どんなときに役に立ち、どれほど大きな武器になるのかを知った上で暗唱すること。

 

23も素数なのに、中学受験においては使う場面がないね、と楽しく得した気分で学ぶこと、これならずいぶん違ってくる。本来機械がやってくれる計算という分野を人間がやる意義、それを小学生でもうっすらと感じることができるのかもしれない。さらにその学習を親子で取り組むことができるなら、多くの子供は頑張ってみるのかもしれない。

 

ここで描かれているエピソードも端的に言えば、「論理アタマがいかに重要なのかを説いている」という一言に尽きるのではないでしょうか。

そして、子供に「論理アタマ」を教えるにあたっても、教える親自身が「論理アタマ」でなくて、どうやって子供が「論理アタマ」になるというのでしょうか。

 

塾や家庭教師がいるとは言っても、皆が皆、平井さんのように「論理アタマ」を教えてくれるとは限りません。「フォーム」を教えず、ただひたすら「解いて解いて解きまくるだけ」の塾や家庭教師も多いのではないでしょうか。

 

お父さん自身のキャリアアップ、子供の成長のためにも、論理アタマになることが重要なのだと気付かされる一冊です。

 

小4の時には既に算数の勉強は諦めていたという、数学嫌いなら誰にも負ける気がしない、論理アタマ0(ゼロ)の私も、本書と併せて平井さんのブログ「東大に文理両方で合格した男が綴る、受験の戦略」やチャンネルくららの受験特番「チャンネルくららの夏期講習」「チャンネルくららの秋期講習」、日本お笑い数学協会が世に送り出す予定の、”くだらなすぎて笑える話から、ガチで試験に使える話まで詰まった数学本!”、『笑う数学』(2018年1月27日発売予定)で、ポケ〇ンマスタ―ならぬ論理マスタ―を目指したいと思います。

おススメです!

 

東大に文理両方で合格した男が綴る、受験の戦略

exam-strategy.jp

 

チャンネルくらら

f:id:ScorpionsUFOMSG:20180201022742p:plain

(毎週火曜配信)憲法学者の闇!小野義典 平井基之

http://bit.ly/2GBRLVy

 

 

 

 

 

グローチウス著『戦争と平和の法』 戦争及び戦争の法 #グローチウス #格言 #戦争と平和の法 #国際法

戦争及び戦争の法

ある人々が、戦争においては、すべての法(ユス)が休止すること、法を実現するためにあらざれば戦争を企てるべきでないこと、而して一度戦争が行はれた時には、法と真実の限界内においてのみ行はれねばならない、と考へたことは全く認むべきではない。 

デモステネスの至言に曰く戦争は「裁判(ユディキウム)の方法によって制御し得ない人々に対して行はれる」と。

 

何故ならば、反抗するには弱すぎると感ずるところの人々に対しては、裁判は効果があるが、同等に強くあり、また自分自身さう考へる人々に対しては、戦争が行はれるからである。しかし、戦争が正しくあるためには、裁判が行はれるとき常に存すべきと同じ慎重さ(レリギオ)で戦争が行はれねばならない。

 

それ故、戦の最中には、法は沈黙するかも知れないが、沈黙するものは国民法や裁判関係法規や、平時に特有の法規のみであって、恒久的な且つあらゆる時に適応する法ではないのである

 

敵国間においては、成文法、すなわち国民法は、効力を失うが、不文法、即ち自然が定め、または万民の合意(コンセンス・ゲンチウム)が定立したところのものは依然効力を有するというプルサのディオの言葉は誠に至言である。

 

一又正雄訳『戦争と平和の法 第一巻』(1989年、酒井書店)

 

f:id:ScorpionsUFOMSG:20180128120953j:plain

グローチウス

 

DV加害者の思考を読む 「変わるなんてちょろいゲームみたいなもんさ」 #三橋 #三橋貴明 #DV #暴行 #加害者

年明け早々、妻を殴ってケガをさせたとして、逮捕された、元経済評論家の三橋貴明ですが、その後、自身のカウンセリングの様子をブログで公開しています。

 

三橋氏のDVを報じる記事

経済評論家の三橋貴明氏がDVで逮捕され釈放 テレビ界からオファー控える動きも|ニフティニュース

news.nifty.com

 

カウンセリングの様子を書いた三橋氏のブログ

三橋貴明『その後 2』

amba.to

(抜粋)

土曜日に、夫婦カウンセリング(岡野あつこ先生)の二回目を受けて参りました。

今回は、妻のお母様も一緒でした。
 夫婦生活を円満に送るためのコミュニケーションについて色々と勉強し、実践に励んでいます。


 川端先生や岡野先生のカウンセリングを受けるようになって以降、夫婦喧嘩は起きていません。カウンセリングがここまで効果があるとは・・・。

 問題が深刻化する前に、早めに受けておけばよかったと、深く後悔しています。

(抜粋終わり)

  

どうやら、カウンセリングが順調にいっていることをアピールしたいらしく、「カウンセリングを受けるようになって以降、夫婦喧嘩は起きていません」と述べていますが・・・

 

そもそも、DV事件、暴行事件が発生した時点から考えても、まだ1ヵ月も経過してません。

ということは、カウンセリングを受け始めてから、1~2週間しか経過していないのでは?

 

1~2週間、夫婦喧嘩が起きていないことが良い出来事であるかのように思えるなんて、以前はどれほど頻繁に夫婦喧嘩があったというのでしょうか?(そもそも、今回の一件はDVであって、夫婦喧嘩ではありませんが)

 

また、どう考えてもカウンセリングを受けた回数も、まだ1、2回が関の山のはず。以前にも当ブログで紹介したランディ・バンクロフト著『DV・虐待加害者の実体を知る』(2008年、明石書店)には、加害者プログラムを受けることになったDV加害者の心理として次のようなことが書かれています。

 

「変わるなんてちょろいゲームみたいなもんさ」

 

DV加害者は、人を操る技で自分がさも変わったかのようにみせかけたりします。

これは第一章に出てきたカールのやり方と同じで、彼はDV加害者プログラムでは自分をみつめて変わったかのようにみせかけながら、ペギーへの言葉での虐待は以前にも増して残酷になり、急速に身体的暴力に戻ってしまいました。

離れている彼女ともう一度一緒になりたかったり、保護命令を受けて家から閉め出されたため、戻る許可を得ようとしたりして私のDV加害者プログラムに入ってきて、ほしいものを手に入れたとたん消えてしまう加害者男性たちを私は数知れずみてきました。

 DV・虐待加害者の実体を知る ランディ バンクロフト

http://amzn.to/2FoArBV

  

三橋貴明氏の改心が本物であることを願っていますが、さすがに1、2回のカウンセリングだけでは、人の性格は直らないのでは?

  

三橋氏のブログはカウンセリングに対して非常に前向きに、ポジティブに取り組んでいるかのような印象を与えますが、むしろ、本当の加害者プログラムは加害者本人にとって苦痛以外の何ものでもないそうです。(本人はDVしている方が楽だから)

三橋氏のブログからは、それが微塵も感じられないということは、やはり三橋氏もカールと同様、「変わるなんてちょろいゲームみたいなもんさ」と心の中でつぶやいているのでしょうか・・・。

 

f:id:ScorpionsUFOMSG:20180130041437j:plain

 

 

月刊テーミス18年1月号より 日銀貴族どもからみた日銀総裁人事の勝敗ライン #くたばれ日銀貴族 #日銀総裁人事 #日銀ダービー #おい雨宮 

月刊テーミス18年1月号より

「黒田日銀総裁「続投説」へ「交代要望論」疾る」と題された記事が掲載されていました。

 

黒田総裁の後任として色んな人物の名を挙げていますが、ああだ、こうだ書かれていますが、要するに

黒田総裁続投、学者枠で本田副総裁、日銀枠で雨宮副総裁ならオッケー

ということのようです。

 

本田副総裁で官邸に妥協したようにみせかけておきながら、安倍総理からの支持以外、政治的基盤を持たない本田副総裁ならば、副総裁に据えたところで何ら影響力を行使できないことを見据えてのことなんでしょうね。

 

そして、将来は日本をデフレに陥れてきた赤い日銀貴族どものプリンスミスター日銀」と書いて「悪党」と読む雨宮氏が黒田総裁の次の日銀総裁ポストに就くというシナリオでしょうか。

 

雨宮氏の副総裁入りを阻止できるのかどうか。

安倍総理の決断に日本の命運がかかっています。

  

f:id:ScorpionsUFOMSG:20180130020634j:plain

 

かってに日銀幹部名鑑 雨宮正佳 赤き日銀のプリンス #くたばれ日銀貴族 #日銀総裁人事 #デフレ #日銀ダービー - ScorpionsUFOMSG’s diary

bit.ly

 

特別番組「まもなく5年に一度の天王山!脱デフレ杯G1日銀ダービー」山村明義 かしわもち 倉山満【チャンネルくらら・1月17日配信】

youtu.be

@YouTubeさんから

グローチウス著『戦争と平和の法』 正義は馬鹿気たることにあらず。 #グローチウス #格言 #戦争と平和の法 #国際法

国家において、国民法に従う国民は、たとひ国民法を尊重することによって、彼にとって有利なあるものを捨てなければならないことがあっても、彼は愚かではない。

 

同様に人民が諸人民に共通の法を無視するといふところまで、自己に有利なるものを重要視しなくとも愚かではない。

 

二つの場合の理由は同じである。

何故ならば、当面の利益のため、国民法を侵犯する国民は、彼自身及び彼の子孫の恒久的な利益を確保するものを破壊する如く、もろもろの自然法及びもろもろの万民法を侵犯する人民は、将来における事故の平和の堡塁をも除去するからである。

 

一又正雄訳『戦争と平和の法 第一巻』(1989年、酒井書店)

f:id:ScorpionsUFOMSG:20180128120953j:plain

グローチウス

 

書評『自衛隊元最高幹部が教える 経営学では学べない戦略の本質』 #折木良一 #KADOKAWA #戦略 #ビジネス #シンゴジラ #伝説の自衛官 #チャンネルくらら

書評『自衛隊元最高幹部が教える 経営学では学べない戦略の本質』

f:id:ScorpionsUFOMSG:20180129002600j:plain

  

「礼はいりません。仕事ですから」
これは映画「シン・ゴジラ」で國村隼が演じる財前正夫統合幕僚長が、東京を破壊し尽くしたゴジラを凍結させる「ヤシオリ作戦」を前に、主人公である矢口蘭堂長谷川博己)に向けて語ったセリフですが、何を隠そう、この財前統合幕僚長のモデルとなった「伝説の自衛官」と呼ばれているのが本書の著者である折木良一さんです。
 
大震災当時、23万人を誇る自衛隊制服組トップの統合幕僚長として、未曾有の災害と原発事故に対応した折木さん。
 
そんな折木さんが一般企業の経営者、ビジネスパーソンに向けて「戦略の本質」を語った本書。
本書では原発事故当時のヘリ放水を行った経緯や、アメリカ太平洋艦隊のロバート・ウィラード元司令官とのやりとり、自衛隊の情報の集め方、扱い方、情報をどのように意思決定に活用しているのか、など興味深いエピソードが数多く散りばめられていますが、本書を読んで感じた「戦略」のエッセンスについて述べてみたいと思います。

 

 ■「戦略を考えるための戦略」ではなく「勝つための戦略」を求めよ

一般的に戦略、特に経営戦略と言われて思いつくものと言えば、アンゾフの「成長マトリクス」、M・ポーターの「競争戦略」、ハメル&プラハラードの「コア・コンピタンス経営」などではないでしょうか。
 
いずれも優れた理論であることは否定しないのですが、「これらの理論を駆使することこそが経営戦略なのだ」という風潮もあるような気がします。(特にコンサル系の経営書を読むとそう思う事が度々あります。)
 
ですが、本当にこれらの理論を使いこなすことが「戦略」なのでしょうか?
 
なぜ私たちが戦略を必要とするのか。
それは、「人・モノ・カネなど資源(リソース)が限られた中で、いかに差別化し、競争の優位性を獲得するか」、これを追求すること、この一点に尽きるのではないでしょうか。
 
では、上述の理論を用いたならば、必ず「競争優位」が獲得できるのか。
そんなことはまずあり得ないでしょう。
 
なぜならば、これらの理論はあくまでも「戦略を考えるための戦略」、いわばコンセプトあるいはフレームワークのようなものであり、これらの経営理論を活用することそのものは「戦略でも何でもない」からではないでしょうか。
 
経営学においてはこれらの理論を「至上のもの」「すべての問題を解決する万能薬」の如く扱いがちですが、これらを活用したところで「持続的な優位性」を獲得できなければ、何の意味もありません。
私達、ビジネスパーソンが本当に必要としているのは、「勝つための戦略」なのです。
 
本書では巷の戦略論が見落としている5つの視点を取り上げることで、巷の戦略論を駆使することが必ずしも「勝つための戦略」に直結しないことを明らかにしています。
 


■ケースメソッドは戦史に学べ※但し注意が必要

 
本書では経営学が教えないが、軍事戦略では特に重要視されているものとして「戦史研究」を挙げ、文中でも「キューバ危機」、「ノルマンディー上陸作戦」は戦略の成功例として、「ミッドウェー海戦」、「ガダルカナル作戦」は戦略の失敗例として取り上げられています。
いずれも意思決定の重要さ、シナジーの作り方、マネジメントの要諦、戦略目標を統一することの重要性、戦力の逐次投入の愚かさなどなど、現代のビジネス社会にも通じる教訓を得られるモノばかりです。
 
私自身も戦史には疎いので、まずはこの4つのケースから勉強しようと思いますが、これ以外の戦史から教訓を得ようとする場合に、注意しておきたい心構えをひとつご紹介したいと思います。
 
それは『金融財政business』に掲載されていた孫子研究の専門家にして第一級の戦史研究家でもある海上知明先生の「新・歴史夜話 軍記物語の利用方法:「平家物語」についての一考察」という論文で書かれていた一節です。
 
そこでは、史実に拘りすぎ、歴史の「if」を認めようとしない姿勢であった場合、誤った教訓を得てしまう可能性があるということが指摘されています。
海上先生の言葉を引用すると

確実な史実のみの利用と「if」を認めない姿勢では限界が訪れる。
唯一の結果として勝利があり、戦闘方法もそれ以外の戦い方はない。そこから「勝利した戦い方だから正しい戦闘法だ」という理屈が生まれ、「勝利した」=「名作戦」となり、その名作戦をマニュアル化して覚えるという危険な罠が待ち構えているからだ。
 
この見方の欠点は、戦略原則の視点での検証が行われないということにある。戦略原則からの視点で検証すると一目瞭然ながら、事実のみの追求にとらわれていると、見えないことが多くある。
 
勝利した戦い方にも愚策は多くみられるが、勝利すれば愚策も名作戦とみなされ、その模倣が敗戦を導くということに気がついていないのである。
 
派手な勝利が覆い隠しているのは、後世における「失敗の本質」であることが多い。
模倣しているのが愚策ならば、戦う前から敗戦は決定づけられている。
それは「結果論の罠」とも言うべきものである。


ケースメソッドとして戦史から教訓を得ることはとても大事なことですが、「結果論の罠」に陥らないように注意しながら、そのエッセンスを抽出することが大事なのだなと思わずにはいられません。

 

己の資質を高めよ~よき人にこそ、よき戦略は宿る~


最後に、本書を読んで最も感銘を受けたことであり、巷の戦略論が触れていないけれども、非常に重要なことを取り上げたいと思います。
 
それは、「己の資質を高めること」です。
これは、本書の中でも特段、章立てて書かれている内容ではありません。
ですが、折木さんご本人の体験談からは、「いかに判断を誤らないために最新の理論を研究してきたのか」、「部下を動かすために、己を厳しく律してきたのか」といったことがうかがい知れ、その姿勢は松下幸之助『指導者の条件』の中の一節「大将は大将」を想起させます。 

前田利家の所領にある末森城を佐々成政が大軍をもって囲んだという知らせが入った時、利家はすぐさま救援のため出陣しようとした。その時一人の家臣が、「占いの上手な山伏がいるので、出陣の吉凶を占わせませしょう」と勧めた。利家も一応それに従ったが、山伏がやってきて書物を取り出し、ぜい竹で占おうとすると、「自分は卦がどうあろうと出陣する決意をしているから、そのつもりで心して占え」と申しつけた。
 
するとその山伏は、即座に書物を懐にしまい、「今日は吉日で、しかも今が吉時でございます」と答えたので、利家も「お前はまことに占い上手だ」と喜び、勇んで打ち立って、勝利を得たという。
 
これが大将というか指導者のあり方だと思う。指導者にとって、部下なり他の人のことばに耳を傾けることはきわめて大切である。
また、ある場合には、この利家の占いのように、一つの神秘性をもった権威を活用して、士気を鼓舞するということも大いにあっていいと思う。
 
しかし、どんな時でも、自分みずから、”このようにしよう”、”こうしたい”というものは持っていなくてはならない。そういうものを持った上で、他人の意見を参考として取り入れたり、占いのようなものを活用することが大事なのであって、自分の考えを何も持たずして、ただ他人の意見なり、占いの結果に従うというだけなら、指導者としての意味はなくなってしまう。
 
昔から、大将にはおおむね軍師というものがついている。そういう軍師を持つことによって、成功を収めた大将は少なくない。しかしその場合も大事なのは、最後の決定は大将がするということである。
軍師の意見を聞くことは大いにあっていい。しかし、その意見を用いるかいなかは大将が決めるべきであって、何もかも軍師のいう通りになっていたのではいけないのである。

意見を用いないなら軍師の必要はないではないかという見方もあろうが、そうではない。結果的にそれを用いないとしても、その意見を聞くことによって、より周到な配慮もでき、それだけ万全な準備ができやすいわけである。
 
要は指導者としての主体性というか主座というものをしっかり持たなくてはいけないということである。
そういう指導者としての主座をしっかり保ちつつ、他人の意見を聞き、ある種の権威を活用していく。そういう指導者であってはじめて、それらを真に生かすことができるのだと思う。
松下幸之助著『指導者の条件』より

 
軍師あるいは戦略理論家のような人間であれば、多少、個人の性格に難があっても済まされるのかもしれません。(現に偉大な戦略理論家たち、アルフレッド・セイヤー・マハンカール・フォン・クラウゼヴィッツなどは、人の好き嫌いの激しい、敵を作りやすい性格だったとか)
 
ですが、戦略を実行せねばならない大将が人の意見に耳を傾けない独裁者タイプイエスマンしか側に置かないワンマンタイプであったならば、どうでしょう?
果たしてその戦略は成功裏に終わるのかどうか疑わしいと言わざるを得ません。
 
銀河英雄伝説にもフレデリック・"マーチ"ジャスパーという提督が登場しますが、勝つときは必ず見事に勝ち、負けるときは必ずとことん負けるという提督で、勝ち・勝ち・負けを繰り返すことから”行進曲(マーチ)ジャスパー”の異名をとっていたキャラです。
 
負けても次で取り返せるならいいのかもしれませんが、その「次」があるのかどうかわからないというのも現在の厳しいビジネス環境というものを象徴しているのではないでしょうか。
 
だからこそ、「勝つ戦略」を考えるその第一歩としての、”絶対に負けることが許されない”戦略、すなわち軍事戦略が、そして「この人ならついていこう」と思えるリーダーシップを備えた人物というものが求められているのではないでしょうか。
 
折木さんは現在、自衛隊OBの方々で構成された『日本地雷処理を支援する会(JMAS)」という国際協力NGOに参加されており、JMASはカンボジアラオスで不発弾処理を通じて国際貢献を行っているのだそうです。(2017年9月現在における累計不発弾処理重量(kg)はカンボジアで611,319kg、ラオスで90,505kgにものぼる)
 
そして、本書の印税も全額JMASに寄付されるのだそうです。
この一点だけからでも折木良一さんのお人柄、素晴らしい人格者であることがわかるのではないでしょうか。
 
真に優れた戦略を体得し実行したければ、自分自身の資質を高めることこそ最も必要なのではないか。それこそが経営学では学べない「戦略の本質」そのものなのではないかと思わされた一冊です。
 
おススメです!

 

(書評サイト 本が好き!)

自衛隊元最高幹部が教える 経営学では学べない戦略の本質』の感想、レビュー(Scorpionsさんの書評)【本が好き!】

www.honzuki.jp

#本が好き

 

(関連記事) 

伝説の自衛官が語る"原発ヘリ放水"の真実 自衛隊元最高幹部が内幕を語る:PRESIDENT Online - プレジデント http://president.jp/articles/-/23927 @Pre_Onlineさんから